mammaの準備を進めていると、乳児院時代に働いていた方が訪れてくださることがあります。今日も青空カフェをやっていると、3人組のご年配の方たちが車で来てくださいました。
1人の女性が「ここは、ゲストハウスになるの?それはいいねぇ。若い人たちがこうやって元気にやってくださるのは、いいですねぇ。」と感慨深そうに話していました。
その方のお話を伺っていると、ここで40年前に保育士をやっていた方だということがわかりました。
「40年前にはねぇ、0歳~1歳の子しか預かってなかったんですよ。少子高齢化の波がきてからは3歳までを預かるようになったの。ここの前の道から坂を降りて、子どもたちを連れて海辺によく行ったものですよ。そのときは芸術祭もなかったので、地元の人しかいなかったわ。」と笑いながら様々なことを我々に教えてくださいました。
工事が進んでいる元職員寮も見学していかれましたが「私は、ここで寝ていたのよ。子供たちを見守るために24時間体制だったから、2週間に1度しか自分の家には帰れなかったわ。今では懐かしいねぇ。」とおっしゃっていました。
私が「面倒を見ていた子どもが里親などに引き取られてどこかに行ってしまったときは、寂しくなかったですか?」そう尋ねると、「そんなことはなかったですよ。それによって子どもたちが幸せになってくれる、そう思えるだけでもう嬉しかったですよ。入口に貼ってある児童憲章にあるように、子どもはみんな幸せになるために生まれてきたはずだから、本当はここの施設だっていらなかったはずだもの。当時は、国内の里親以外にも、海外の里親を探すようにしていたんですよ。あ、昔の館長さんがね、神愛館を出た女の子が結婚式を挙げるからハワイに行って、ものすごくうれしそうに帰ってきたことなんてこともありましたね。」
昔のことを懐かしむように溢れ出てくる言葉には、ここで若い時の人生を捧げていたという想いが加わって、吸い込まれるように時間を忘れて聞きいっている自分がいました。お話ししている目はキラキラと豊島で取れるレモンのように輝き、心は神愛館から見える瀬戸内海の海のようにおだやかでした。
「ゲストハウスが完成するのを楽しみにしていますね。ありがとう。頑張ってくださいね。」そう言って30グラムの八朔のピールを大事そうに黒のポーチに入れて、車に乗って行かれました。
70年もの歴史を持つ神愛館なので子どもたちだけでなく、多くの職員の方が関わり、多くの子どもたちを見守られてきました。今後、神愛館で働いてくださっていた方もmammaのスタッフとして、お手伝いしていただく予定でいます。一言で「ゲストハウスをこれからやっていく」そんな言葉では形容することや規模間では収まらないぐらい、たくさんの強い想いや願いがあります。
多くの人がここにやってきて、建物が存続されていくことを喜んでくださることが多くあります。旅立つ人と共に寄り添い世界中に送り出していたスタイルから、世界中から旅する人を迎え入れるカタチへ姿は変えて行きますが、ここに携わってきた人たちの想いはその“まんま”伝えていきたい、と思っています。
目標金額までは・・・まだまだです^^;
応援どうぞよろしくお願いいたします!
ゆうさい