きっかけは岡山の山村の廃業した温泉施設の復活から
今回は、メンバーの一人である、もめの想いを綴ります。このプロジェクトのプロフィール写真でいうと水色のつなぎをきているのがわたし。チビふたりが子どもたちです。
わたしにとって、人生2度目のゲストハウスづくりです。わたし自身のことを言うとゲストハウス自体にはほとんど興味はなく、ゲストハウスをつくっている、という意識はほぼないです。それでもやることになった理由は、誰かが場の再生を望んでいるからです。
スタートは、岡山の小さな村にある廃業した温泉施設、あわくら温泉元湯を手がけたことからでした。再開を望まれていたタイミングに出くわし、ゲストハウスとして再生することに。改装当時、2歳と0歳の子を育てている真っ最中だったので、子育て当事者の自分が欲しい場所をこだわり抜いてつくりました。超大変でしたが、火事場の馬鹿力のようなもので切り抜いてきました。コンセプトは「子どもの笑顔が真ん中にある大きな家。」子どもからじいちゃんばあちゃんまで混ざり合った、まさにみんなの家みたいな場所に育っていて、「実家みたいな場所だなあ」と言われることがよくあります。
(その辺りのプロセスや葛藤はこちらの本に書きました 「まちのゲストハウス考」)
「みんなの家」のようなゲストハウス そして変容する「家」の概念
元湯をつくり、四季が二周回り、豊島のmammaをつくりはじめ、「家族」や「家」の概念がもっと多様で柔軟な存在になればなあと思うようになりました。わたし自身のことを語れば、生活の大半が元湯にあり、マジョリティの中にある”定型”の生活の像とは異なる日々を重ねてきました。1日の大半の時間を、元湯の運営スタッフ、インターンシップに来る学生さん、お客様、近所の人たちと共にします。必然的に、わたしから産まれた子どもたちも同じように、多様な存在との出会いの日々の中で、尊い個性が伸びやかに育まれてきました。その過程で、「自宅」には帰らず、ゲストハウスに住まうことになったり、元湯を共に立ち上げた社長でもある配偶者とは夫婦関係を解く巡り合わせになったり、わたしの中で、「家」という概念はどんどん変容してきました。
乳児院だった建物を残す意義 多様な人生のストーリーとの出会いの場になること
そんな背景の中、もともと乳児院だった場を、ゲストハウスとして生まれ変わらせるというミッションとの出会い。「幸せを育む”家”の形は、こうあるべき」という世に根強い価値観を、もっともっとぐらつかせたいなあと思うようになりました。この乳児院では、マジョリティが指す「家」とは異なる環境で、幾多の命が育まれたわけです。人生のストーリーはそれぞれ異なり、”定型”に収まっていることが幸せの尺度とイコールでは決してないはずです。
mammaと名付けた新しい場をつくる過程で、その時代を知らない我々が、乳児院時代の語り部との出会います。そのストーリーと触れ合うことで、多様な人生のストーリーに想像を巡らせることができます。このハコを残し、ゲストハウスの姿を借りて存在し続けることの意義は、ひとつ、そこにあると思っています。
多様な生き様のメンバーで日本の僻地に2箇所目の場をつくっていきます。
応援いただけたらとても嬉しいです。
(元湯とmammaのメンバー↓)