現在リノベーション中の築100年の古民家ですが、それ以前のご先祖さん達のことを知りたくて、檀家となっているお寺を尋ねました。
6代前の平八さんという方がお寺に納めた位牌だそうです。これが残っている一番古い位牌です。
お寺の戒名の記録を紐解くと最初にその名前が登場するのは1460年頃です、住職さんの記録を書き写したメモです。1400年代初頭、約600年前にはこの地で暮らしていたといえるのではないでしょうか。
1467年〜1477年頃が応仁の乱の頃ですから、それより前からこの土地にずっと住んできたことになります。(※画像はwikiより)京都市内から移住してきて農業を始めたとも聞いています。
家には先祖代々の歴史を書き綴った家系図があるのですが、虫食い、破損も多く私には解読不可能です。これもいつかは解明したいと考えています。
創建1300年の地元の神社には春日大社の小宮を寄進していて、藤原系のお嫁さんを多くもらっているような歴史があるようです。
〜それから約400年が経過〜
そこから400年以上が経過して、写真が残っている最も古いご先祖さまの1人、オタキさんと呼ばれる4代前のこのお方、このオタキさんの息子がOMOYAを建てました。
この写真は2000年代初期のものですが、この何百年とほとんど風景は変わらなかったのではないかと思います。ご近所はみなさん田中姓です。家の周辺の土地は賭け事にのめり込んでしまったオタキさんの母の頃にたくさん借金のかたに取られてしまったそうです。
真ん中で軍服を来ているのがOMOYAを建てた曽祖父です。この写真は第二次世界大戦の徴兵時、陸軍曹長として中国に長く滞在していました。大変苦労に苦労を重ねたそうで、稲作をたくさんして土地を増やして10000㎡までに耕作面積は広がっていたそうです。
曽祖父の帰りを待つ家族達の写真です。真ん中の女性が高祖母おタネさん。弱音一つはかない大変気丈な女性であったそうですが、曽祖父が終戦後に帰って来た際はあまりに嬉しくてボロボロに泣き崩れたそうです。
〜後編に続く〜