残り一週間を切りました!
ご支援いただき、心より感謝します。クラウドファンディングをするのは初めてだったので、こんなにご支援いただけるとは思えず、思わず胸が熱くなります。自腹でやってしまおうと思っていた企画、既に望外な悦び。これ以上と思うのは欲張りかもしれませんが、資金は全額、冊子作りや取材のために使えるので、使命を実現するためには、さらなる拡散をお願いしたい、と思っています……。
活動ですが、色々と動いています。実際にどのような取材を、どのようにするのか。どのようにしたら求めている文学の言葉に出会えるのか。言葉を発したい人たちと出会えるのか。プロの編集者や記者さんたちと相談し、計画を練って、具体的に動く準備を始めています。色々な方に会いに行き、話して、聞いて、探して、見て、歩いて呑んで…… そういう、巡礼のような、柳田国男のような、「文学」の探し方を、してみたい。
今のところ主要な活動となっているのは、先行する関係書籍を次々読んで、考えて、コンセプトを固めたり、ぼく自身の態度や姿勢を決めていく作業です。「文学」とは何か。「事実」「真実」とは何か。どんな意義があるのか。文学にとって災害とは何か、災害にとって文学とは何か。ぼく自身の先入観やステレオタイプを超えた「事実」「現実」「真実」に出遭うにはどうすればいいのか。それを「文学」として当事者が発することの意義は何なのか。文学的強度を求めることは搾取ではないのか、それを当人達に求める資格があるのだろうか、あるとすれば何のために? それは魂の救済になるのだろうか…… 考えることばかりです。
多分、これは、事前に綺麗でわかりやすい答えが準備できるようなものではないのだと思います。そうしてしまうことは、コンセプトや現実・事実・真実への裏切りになってしまう。可能なことは、生臭い現実と格闘し、具体的な人間とのやりとりの中で、ぼく自身が破壊されたり反省させられたり考えを変えたり迷ったり苦しんだり楽しんだり笑ったりする、そのような柔軟な態度で、当事者達の発する些細な声、分かりにくい声に耳を傾け続け、声が発しやすいようにすること。ぼくが聞き逃さないような姿勢を維持すること。そうしないといけないのだと思います。
自分自身が壊されたり、戸惑ったり、世界観を揺さぶられたり、価値観を根底から覆される、恐怖と不安に満ちた経験を、悦びとして受け取る準備をしておくこと。「何ができあがるかわからない」「どんなものが生まれるかわからない」期待と不安に満ちた状態に自分を留め置くことが、今必要な「準備」かと思っています。
極言すれば、人間が生きているという、その事実、その全てを、ひっくるめて受け止める、肯定も否定も矛盾も葛藤も理不尽も悲惨も喜びも楽しみも快楽も不条理も怒りも笑いも、それが人間に起きたこと、人間が感じたこと、人間が考えたことであるならば、それをそのまま事実性として受け止め、存在そのものを肯定する。
文学を何故読むのか。それは、他者を知りたいからだ。他者が世界をどう見ているのかを知りたいからだ。他者がどう生きて、どう社会を経験し、どう感じて考えているのかを知りたいからだ。それが何故なのか? ぼくには分からない。しかし、そこは「文学のふるさと」の一つであろうと思う。どんな個人の特異な経験であっても、無条件で知りたがる生き物である、そういう人間の合理性では説明のつかない何かに、賭けてみる価値はあるのではないだろうか。多分、それは有用性の問題ではない。だからこそ、流通しうる様々なものがある。だから、文学に賭けたいし、ぼくは、だからこそ、読んできた。そして、これから、作る。