お世話になっております。
震災文芸誌『ららほら』、ちゃんと進んでいます。牛歩のごとくですが、近いうちに詳細を公開できると思います。お待ちください。
投稿作を公開するWEBなどは、諸事情でペンディング中です、すみません。理由を、率直に言うと、三点ほどあるのですが、ひとつは応募の点数がさほど多くはなかったこと。第二は、WEBに置くとちゃんと読まれない、攻撃的な読者の目に晒されて政治的論争の磁場に絡めとられること。第三に、書かれている内容に対する編者としての掲載の倫理的責任を負えるのかどうか。この辺りを鑑みて、「WEB版」はとりあえずペンディングして、まずは冊子の方を優先しています。すみません。ぼくの予測が甘かったです。
震災・原発などのテーマは、ぼくにとって「終わりのない」テーマだ、というつもりで取り組んでいるので、ゆっくりめのペースでしか進めないのはご容赦ください。ご支援いただいた志とご期待に沿える内容のものが完成するよう、鋭意制作中です。ぼく個人は、割と満足のいくものが出来上がるのでは、と感じていますが、ぼくのセンスは独りよがりの部分があるので、皆さんとその感覚が共有できるのか、期待しながら楽しみにしております。
それでは。近いうちに。
あ、そういえば、斎藤 美奈子さんの『日本の同時代文学』で、ぼくが編著をした『東日本大震災後文学論』が参照されておりました。こうやって歴史になっていくんですね。
https://www.amazon.co.jp/dp/4004317460/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_tMhcCb5XJ2V4G
なにかを書いたり作ったりしているときには、時々無意味なんじゃないかと感じるときがありますが、遠くのだれか、未来のだれかに響くことがあるのだ、という手応えがあると、やっていることの意義を再確認させていただける気がします。
大袈裟に言えば、『ららほら』は、世界中の人に、百年後の未来にまで、届きたいと思って企画したものです。震災の経験を文字にして、本にして、図書館や家庭においておいてもらって、アクセス可能な状態に開いておくことは、未来や別の場所で似た経験をした誰かに繋がっていくことだろう、心の底ではそういう風に大袈裟に期待してやっています(恥ずかしいので普段はあまり公言しませんが)。
多分、届くだろう、未来の人のための公共財を作っておこう、そういう気持ちで動いています。エゴイスティックなぼくにしては滅多にない気持ちなんですが、不思議と、そうなっていますね。なんでだろう。
藤田直哉