2011年当時、当社のアパートには宮城県気仙沼市出身の大学生が住んでいました。
震災当時は「大丈夫」とは言っていたものの実際はお父さんの会社やおばあちゃんの床屋さんが津波で流され大変な状況でした。
彼女のおばあちゃんの床屋さんが流され、周囲の方々が髪が伸びているのに何もできないということだったので仲が良い美容室の経営者にハサミなど一式(理容のハサミがそんなに高いとは知らなかったので気軽に言ってしまったことは後悔)をいただき、彼女に託しました。
そんな中、生活費のこともありアルバイトを増やすと言っていたのですがそんな状況ですから
当社で卒業するまでアルバイトすることになりました。
彼女から6人にわたり東北出身で震災の影響を受けた若者たちを雇用することになりそれが南相馬子ども保養プロジェクトにつながるのですがそれはまた後ほど。
2011年には彼女のご実家がある気仙沼市を毎年訪れるようになりました。数年はまだまだ震災の爪跡が残っていました。
そんな彼女も大学を卒業してしばらくしてからご結婚され、嬉しいことに私が主賓の挨拶をさせていただきました。彼女のお父さんとは同い年。「神奈川の父」として接してきただけにご依頼をいただいた時とても嬉しかったです。
そんな彼女もお子さんを持つお母さん。時の流れを感じます。