山中泉夫さん。中島地区の地区長さん。
今回このクラウドファンディングで、地区側の取りまとめをしてくださっており、いつもたくさんの無理なお願いを「うちらの地域のことやきねぇ」と優しく聞き入れてくれます。
今回、私たちの打ち合わせのなかで、山中泉夫さんから話を聞いてみたいねということになり、インタビューを行うことになりました。以下、泉夫さん(いずおさん)と呼びます。
泉夫さんは現在71歳で、地区長や土佐町文化財保護審議委員など、地域でさまざまな活動をされています。
ーーー子どものころの思い出は?
小学校は田井小学校で、当時観音堂の横にあった。通学路は観音堂を通って、階段を上り、キンモクセイの横を通って正門に向かっていた。メンコやカッチン、ベーゴマなどで遊び、キンモクセイに登った記憶もある。
キンモクセイには大変大きな思い入れがあり、10月になるとキンモクセイの香りが地区を包み、本山町まで香りが届いていた。
ーーー当時の中島のお祭りはどんな感じですか?
盆踊りや奉納相撲は今と同じようにあった。奉納相撲は各地域の力士が集い、力比べをしていた。地区の威厳をかけた闘いだった。今と違うところは、当時舞台を作って、演劇が行われていた。出店も地元の人がたくさん出しており、楽しみの一つだった。昭和43年頃からの早明浦ダム建設時は現場関係者等ですごい数の人が中島にはいた。
ーーー泉夫さんは郵便局員さんでしたよね?
農業高校を卒業して百姓をやるつもりやった。郵便局の試験に受かったからそのまま就職した。37年勤めてそのあとは受託で配送をやりながら、山師や農業をする生活になった。郵便局はずっと土佐町におれるから最高やったよ。
ーーーかなり長い間、地区の役員されてましたよね?
平成6年から27年まで、約22年やった。副地区長、会計、地区長と全てやってきた。今回また5年ぶりに地区長になるとは・・笑。
ーーーこの取り組みをはじめて、どうですか?(感想お願いします)
地元の企業等に寄付を回ってみたが、本当にお店が少なくなった。昔みたいに簡単に集まるものでもない。クラウドファンディングを一緒に進めてくれて本当によかった。
夏の大祭は我々で進めていくのは限界がある。若い人の力を借りて、伝統を受け継ぎながら新しいことも始めていってもいいのかも。
ーーー泉夫さんにとって中島観音堂のお祭りとは?
地域の和・絆の手段である。
開催するにはみんなの協力が必要。これがなかったら、一年間会わん人もおる。絶対続けないかん。
この話を伺った次の日テレビの取材を受けました。その時に合間をみて写真を一枚。
素敵な笑顔で、泉夫さんの人柄があらわれています。
作業着での写真撮影ですが、
実はこの取材の前、1人で観音堂の草刈りをやっていたとのこと。
よくよく聞くと、月に1回はここに来て、草刈りをやっていると聞いた。
そんな泉夫さんと、このプロジェクト、絶対成功させたい。