こんにちは
【ともす想いたくす灯火】プロジェクトの鹿嶋です
ご支援、応援、本当にありがとうございます!
今日は、朝にtwitterでもつぶやいたんですが
母方の叔父について話したいです
・・・
叔父の家は川沿いにありました。幸い堤防が崩れることはなかったそうですが、
あとから聞いた話では、堤防ギリギリまで川の水があがっていたそうです。
震災当時、叔父はガンを患っていてストーマ(人工肛門)をつけていました。
地震がきて、庭の車に乗って、いつでも逃げられるように準備しながら
車内で待機していたそうです。
しかし、そのまま津波が到達、車のドアが開けられず、車の中も浸水。
車が津波に流されていく中で、
ボートに乗ったご近所さんが叔父を見つけ、
なんとか叔父をボートに引き上げてくださいました。
叔父はとても震えていたそうで、ご近所さんが靴下を何枚も履かせてくれたとのこと。
叔父はその時、ストーマが津波に浸かり、ばい菌がそこから体の中に入ってしまい、
体調がみるみる悪くなりました。
4月にお見舞いに行くと、
やせ細った叔父が看護師さんにモルヒネを増やすことを伝えていたのを
鮮明に覚えています。
ゆっくりゆっくり話す叔父。
すごくゆっくりだけど、いつものようにジョークを言い、
私を笑わせようとしていました。
その時、私はバイオリンを持っていたけど、
また今度お見舞いに来た時に弾こうと思ったのです。
しかし、5月に旅立ってしまいました。
叔父はお酒が大好きで、実家に帰る時は、よく一緒に飲みました。
すててこと腹巻で、一升瓶抱えて笑ってる。
今思えば、本当に可愛がってもらってました。
・・・
お通やの日、叔母が
「おんちゃん(叔父)の前でバイオリン弾いでやってけねが。(弾いてやってくれないか)
おんちゃん、静のバイオリン、うんと聞きでがってだんだ。(とても聞きたがっていた)」
と言いました。
私は、
4月に会えた時になんで弾かなかったのか、、、
次会った時でいいやって思ってしまったこと、
心の底から自分を憎み、後悔し、大泣きしてしまいました。
眠る叔父の前でAmazing Graceと北酒場を弾きました。
叔母が笑って、叔父の顔を覗きに行くと
「静!見でみらいん!(見てみて!)
おんちゃんの耳ぱたっと閉じでだのに
バイオリン鳴ってる方の耳だげ横さ開いでっちゃ!」
って女の子みたいにはしゃぎながら涙流してたのが、今も忘れられないです。
バイオリンが弾けることって、いつでもできると思っていたんだけど
これ以来、
今バイオリンを弾くことは、今しかできない。
今の私のバイオリンの演奏は、今の私にしかできない。
と、思うようになりました。
作品を作るのもそう。
自分の作品って、いつかやろう、と思ってしまうんだけど、
今の作品は今しかできない。
私のAmazing Graceを弾くスタイルの原型はこの時にできあがりました。
最近知ったのですが、
日本ではAmazing Graceってお祝いの時に聞く機会が多いように思うのですが
アメリカなどではお葬式にも演奏するのだそうです。
それを知って、私は少し嬉しかったです。
Amazing Graceを弾く時は
生前の叔父にバイオリンを聞かせられなかったことを後悔しながら
おんちゃん、今から弾くからね、といつも思っています。
鹿嶋静