はじめに・ご挨拶
猫屋敷温と書いて、ネコヤシキハルと読む。
区切るところは、ネコヤシキ・ハル。
歳はというと、ついこの間の4月18日に、とうとう31歳になってしまった。
結婚は?と聞かれるので書いておくと、27歳の7月7日に結婚をした。
(記念日って忘れてしまいがちだから、大好きな七夕にした)
私は24歳だか25歳だかのときに、発達障害の診断を受けた。
それまでは、「なんだか生きづらいなあ」と感じながらも、
ヒトが言う、いわゆる「フツー」の生活をしていた。
「生きづらさ」は、とくにコミュニケーションに出ていて、
わたしのコミュニケーションは基本的に「壁打ちコミュニケーション」だったのである。
それを打破したのが発達障害の診断だったのだ。
それからひたすら自己啓発本やら会話術の本やら読み漁り、
今やきちんと「キャッチボールコミュニケーション」が取れるようになった。
そんな、ADHDカメラマン、猫屋敷温がお送りする、一風変わった世界をご覧あれ。
このプロジェクトで実現したいこと
わたしは写真を撮ることはもちろんのこと、文章を書くこともすきなのである。
あと、編集作業もとてもすきだ。
そして、ひとと話すことはもちろんすきだ。
その昔、水商売の世界にいたこともある。
そんなわたし、「雑誌を作りたい」という夢がある。
それも、『動く』『聞こえる』そんな未来形雑誌だ。
こんな雑誌を世に出して、あっと驚かせてやりたい。
この夢を一緒に叶えてくれる仲間を募集しています。
プロジェクトをやろうと思った理由
もともとは自主製作の冊子を作って販売していました。
知人に、と或る雑誌の企画を持ち込まれ、「雑誌作りって楽しい!!」と思い、
自分のアイディアが湧水の如くあふれ出し、
話すと「それ、自分でやりなよ!」と言われたので。
発達障害独特の「フットワークの軽さ」でやっていこうと思いました。
季刊誌「ねこやすみ」について
掲載する内容は、
・グラビア
・座談会
・寄稿コーナー
・etc...
を予定しております。
これまでの活動
平成元年4月生まれ。
中学高校と写真部所属、日本大学芸術学部写真学科に2年半在籍。
2020年1月、共同制作冊子「さよなら、トーキョーオリンピック」を出版。
2020年3月、金沢・スタジオMASSHIにて
「さよなら、トーキョーオリンピック展」を開催。
2020年4月、「マガジン一服 第三号」特別付録と本誌に寄稿。
北國新聞掲載(2020年2月28日)
朝日新聞北陸版掲載(2020年3月6日)
資金の使い道
雑誌の制作費、及び活動資金に使用します。
リターンについて
おうちでゴロゴロしながら、季刊誌「ねこやすみ」を思う存分お楽しみください!!
季刊誌「ねこやすみ」創刊号コース
季刊誌「ねこやすみ」創刊号+ねこのつどいin東京ご招待コース
季刊誌「ねこやすみ」創刊号+ねこのつどいin石川ご招待コース
実施スケジュール
2020年7月上旬:実施決定
2020年7月~9月:創刊号制作
2020年9月下旬:創刊号発送予定
2020年11月中旬:ねこのつどいin東京 開催
2020年11月下旬:ねこのつどいin石川 開催
最後に
今回、コロナの影響により、活動を自粛せざるを得ない状況になりました。
そんな中、おうちにいながら、Skype、zoomなどを駆使し、
新たな雑誌のカタチを生み出そうと考え出したのが、季刊誌「ねこやすみ」です。
季刊誌「ねこやすみ」は、普通の雑誌と違い、ただ「読むだけ」ではなく
様々な仕掛けが閉じ込められた、全く新しいカタチの雑誌になっています。
みなさんの「コロナで沈んだ気持ち」を少しでも「ワクワクした気持ち」に変えられたら…
そんな気持ちで雑誌制作に挑みたいと思っています。
募集方式は、<All-in方式>です。
本プロジェクトはAll-in方式で実施します。
目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。
今回のプロジェクトに携わってくださる皆様、どうぞよろしくお願いいたします!
支援してくださる、これから「ねこやすみ」の新たな仲間になってくださる皆様、
ようこそ、ねこやすみの世界へ!どうぞ存分にお楽しみください。
最新の活動報告
もっと見るわたしのことー生誕から爆誕までー
2020/05/19 22:22平成元年春生まれ。東京都大田区羽田で育つ。本が好きな暗い幼少期を過ごす。小学校時代は基本的にいじめられていたので記憶から抹消している。卒業アルバムと文集は中一の秋に家の近くを流れる「タマちゃん」で有名な多摩川へ流した。(芥川が入水した玉川とは文字違いである。)中学時代は五月雨登校。高校は名前を書けば入れるような超底辺高校に進学。映画監督を夢みて武蔵美の進路相談会に行くと、教授から「きみには写真のセンスがある!日芸に行くといい!」と勧められホイホイ日本大学芸術学部写真学科を受験。奇跡的に合格するも、3年の夏を迎えるあたりに中退。理由は通うのが大変過ぎたから。通学に片道2時間半かけていた。今考えると相当アホだった。その後は様々なアルバイトを経験。水商売の世界にも入り、銀座の女にもなってみた。写真は趣味で撮り続けてはいた。24だか25の時に、発達障害との診断を降される。今までの生きづらさの理由が判明した。その間、何度自殺未遂を繰り返したものか…ICU入院歴もあったりもする。(しかも2回も。ふっふっふ。生きてるのが奇跡。)導尿なんてもんはもう慣れっこなのである。幻覚が見えるのも、慣れっこである。ちなみに左腕はイカ焼きと瓜二つだ。何の自慢でもない。皮膚移植をしたいと思っている。毎日20錠近くのクスリを飲んでいないとフツウの生活が送れない。そんな脳の障害を患っている。そんなわたしが、数多の男を誑かし、最終的によくわからんオッサンと結婚する羽目になり石川県に嫁ぐ。27歳になる浅春。その後、写真からは少し遠のいていたのだが、30歳の秋に原点回帰してみようと改めて写真家になる。そこで小説家を目指しているという高校時代の先輩と再会し、一緒に作品作りを始める。そして現在。様々なことにチャレンジしたい若作りババアがここに爆誕する。……それが猫屋敷温だ。 もっと見る
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