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京の花街『嶋原』 もう一つの花街 存続支援プロジェクト

日本最古の花街『嶋原』は、今は廃れかけてる街ですが、花街をもっと身近に気楽に楽しんで頂こうと色々催しをしたり、旧い風習を復活させたりして、再び皆様にご贔屓頂けるように動いております。この嶋原文化は日本の『花街文化』の原点。後世に伝えるべき文化であり『おもてなし』の心が詰まっています。

現在の支援総額

3,315,500

221%

目標金額は1,500,000円

支援者数

165

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2020/05/08に募集を開始し、 165人の支援により 3,315,500円の資金を集め、 2020/06/25に募集を終了しました

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京の花街『嶋原』 もう一つの花街 存続支援プロジェクト

現在の支援総額

3,315,500

221%達成

終了

目標金額1,500,000

支援者数165

このプロジェクトは、2020/05/08に募集を開始し、 165人の支援により 3,315,500円の資金を集め、 2020/06/25に募集を終了しました

日本最古の花街『嶋原』は、今は廃れかけてる街ですが、花街をもっと身近に気楽に楽しんで頂こうと色々催しをしたり、旧い風習を復活させたりして、再び皆様にご贔屓頂けるように動いております。この嶋原文化は日本の『花街文化』の原点。後世に伝えるべき文化であり『おもてなし』の心が詰まっています。

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■おおきに■

いつも京の花街を可愛がって頂きまして、誠にありがとうございます。

お陰様で京都は毎年観光客が年間5400万人もの方々にお越し頂けており、花街の文化も支えて頂いております。

それがこのコロナウイルスの影響で、お仕事は全てキャンセル。

京都の他の花街(祇園甲・祇園東・先斗町・上七軒・宮川町)は一斉に休業を余儀無くされました。




■京都・最古の花街嶋原■


日本最古の花街である『嶋原』は、約600年程前の室町時代に、今の京都駅付近に「九条の郷」と呼ばれる場所があり、『傾城局』と言う取締り事務所のようなところがありました。

その後、応仁の乱などの戦火にまみえながら転々としている内に、豊臣秀吉が天下を統一。しかし都は荒れ、盗賊なども現れておりました。

そんな都を建て直す手段として正式に花街が造られたのです。

初めは二条柳馬場。柳のたおやかさを生かし、町が整備されます。

そしてここが、日本最古、日本初の『公許花街 柳町』として誕生しました。

遊びをここに集約し、男も女もここで浮き世を忘れて遊んでも、一歩出るとしっかり仕事をする。

そのための癒しの場、次の日の活力になるような場所として造られた、今で言うテーマパークの走りでしょうか。

その後、徳川家康の時代になり、二条城の造営にからみ南の方へ移転。『六条三筋町』となります。

ここは大層繁栄し、吉野太夫や夕霧太夫が有名になりました。

太夫とは、『正五位』の別称で、十万石の大名に相当し、帝の宴席にも呼ばれる身分でした。

町衆文化から生まれた芸妓・舞妓のお客様は、町の旦那衆。

それに対し、太夫は公家文化から生まれ、お客様は公家や大名。

この『六条三筋町』には公家のお通いも多く、太夫も御所へ出入りをしておりました。

御所へよく出入りをしている女性の籠を見た

時の所司代 板倉周防宗重が、花街の太夫と知り憤慨。

風紀上良くない!と朱雀野へ急な移転を命じます。

この移転騒動の様子が長崎で起こった『島原の乱』に似ている・・・というので、ここは『嶋原』と呼ばれるようになりました。


アクセス

JR京都駅より嵯峨野線で「丹波口駅」

京都駅より市バス206で「島原口」

​​




幕末時、嶋原は幕府方だったので、新選組のお通いもありました。

150年前の大政奉還で、帝は江戸へ、お公卿様や大名も江戸へ、嶋原のお客様は一気に減少。

揚屋・お茶屋・置屋も軒数は減り、衰退を辿り、最後は「輪違屋」たった一軒となってしまいました。

そしてたった一軒では組合もなければ、花街の花「街」ではないというので、京都六花街から外され、京都は五花街、と嶋原という形になりました。


私どもの置屋『末廣屋』は、6年前に輪違屋さんから独立させていただき、二軒となりましたが、それでも街にはならない。


「嶋原の太夫」を忘れ去られていくのを止めなければいけない!


末廣屋の女将でもある司太夫は約30年前からコツコツと自身で調べ、個人新聞を書き、お客様にお渡しして、そして京都の様々な催し物も楽しんでいただけるようツアーを組んだり、途絶えた行事も復活と様々な活動して参りました。



*約12年途絶えた嶋原の年末行事お餅搗きを、平成13年に復活。今年で20回目を迎えます。

*平成28年、約30年ぶりに、嶋原夏の挨拶回り「八朔」を復活。毎年8月1日。

*平成27年、約30年ぶりに、石清水八幡宮での奉納道中を復活。毎年4月第1日曜日。

*高台寺「北政所茶会」。平成18年から毎年太夫道中と太夫席でのお点前をさせていただいております。毎年10月6日。



■存続の危機■

ギリギリを保ちながらもここまで一度も崩れることなくやって参りました。

ただ、時代はかわり、花街で遊びをされる方も減る中、嶋原はまだまだ「高いだろうな」や「なにするかよくわからない」等、謎に包まれてるところが多々あるからか、他の花街のようにスムーズに来ていただくことができていません。


それが今回はコロナショック。

終息できたとしても、お客様方が戻ってこられるかどうかはわかりません。


終息後の楽しみを胸に抱きながら乗り越えていただけるように、そして嶋原へ来ていただくきっかけになればと…


『末廣屋』は現在太夫2人、少女2人、禿全国で21人程抱えております。

その中でも「太夫になりたいな」「なれたらいいな」と思ってくれてる子、「芸事をもっともっとしたい」と言ってくれてる子も何人もおります。

今このお仕事がない状況では、なかなかお仕事させてあげることができません。

少女と禿には年齢と身長制限があります。

一番成長期だからこそどんどん経験させ良き女性になるよう育てていこうと思っていましたがこの状況では叶いません。



コロナウイルスで休業となった他の花街には「おおきに財団」から助成金が出ると発表されました。

組合のない嶋原は「おおきに財団」にも入れてもらえず、助成金をいただくこともありません。

150年経っても他の花街と嶋原がかわっていないということを痛感しました。


いつかは、軒数を増やし、組合も作り、京都・六花街の復活!!!を一番の目標に活動し、数年前にやっと二軒になりました。

一歩ずつ進めている。

頑張れる。

待ってるだけではいけない。

自分達が動かないと知ってもらえない。

頑張ってきたんだから、もう一度頑張る時!と思いこの企画を考えました。







■特典のご案内■

8つのプランを企画させていただきました。

これをきっかけに花街に遊びに来ていただけたらと思い考えた特典です!

イメージの写真も掲載しておりますのでじっくりご覧いただければと思います。


①3,000円【シンプル応援】

②5,000円【最初の一歩】

③10,000円【花街遊びスタート】

④30,000円【嶋原遊びスタート】

⑤50,000円【ご贔屓さんになりたい】

⑥100,000円【よし!お座敷企画してみよう】

⑦200,000円【嶋原の旦那衆目指そう】

⑧300,000円【感謝!ええ旦那はんどす】




■よろしゅうおたのもうします■

少しづつですが再び嶋原を知って下さる方々が増えてきたとこでのこの状況です。

嶋原がこのまま廃れぬよう…伝統文化継承維持のため…。

皆様のお力を貸して頂けましたら、大変大変幸せでございます。

何卒お力添えの程よろしくお願い申し上げます。





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