このあさがおプロジェクトは、金額の多さよりも、共感してくれる人を多く集めたいね、って話から始まっています。まぁ結果金額も上がれば良いし上がるんでしょうけど。
で、内容的にも三田市内とか三田市に住んでたとか、ゆかりのある人達からの共感支援になるかな、と思います。
そうすると、三田市って?という説明っているのかな。とも思うんですが、本文中でもサクッとしか触れていないので、一度説明しておくほうがいいと思いまして。
ちょっと古い時代から、振り返ると、兵庫県って元々神戸から始まったんですよね。
アメーバのように西へ東へ、瀬戸内に面する横の市町村を吸収していくような形で兵庫県は広がっていきます。理由としては神戸を国際港に仕立て上げるため、開発のための税金が必要だったから。
東西への拡張が行き尽くす頃、神戸は港町として次第に大きくなってきますが、今度は実際の行き来する物品も足りないことになり、兵庫県として拡張が北に北に向かっていきます。
そして遂には日本海まで辿り着くわけですが、そんな兵庫県の中では中部地域の南側、位の位置にあるのが三田市です。
六甲山系の背中側にあり、阪神間には鉄道でも道路でも直接つながっていないものの、なぜか阪神間に属しております。
西側には神戸市北部のエリアと三木市と接しており、東側には宝塚市と猪名川町を通じて川西そして大阪方面への街道があります。
北側には篠山から丹波エリアに向かう街道が通じており、なるほど三田っていう地域は東西南北の要衝だったのだ、と。
現在でも中国道と山陽道が接続し、新名神の出発地点でもあります(一部神戸市ですが、ほぼ三田と言っても過言ではないので)
そんな三田が交通網が発達するとともに大きくなるのは当然で、まちとしても大きくなっていきました。
バブルが続いていれば、三田市は20万人都市までに膨らむ予定でした。あくまで予定。結果11万人で頭打ち、となっています。
まちのインフラ自体はバブル期に十分な引き込みをしてたので20万人規模の仕様に出来上がり、実際には約半分の人口で享受していることに。
でも今後は半分の人口で倍のインフラを維持していかなきゃいけない(もしくは放棄していかなきゃいけない)ので課題としては重く暗い課題です。
そう人口増加率が日本一だったってことは高齢化率も日本一になるんですよ、近いごく近い将来。
暗い話ばかりじゃなく、三田ってまだまだ掘り起こせていない資産・コンテンツが在ると確信しています。