全国を飛び回り、いくつものサッカー協会や強豪校の監督とつながり、アメリカでいち早く5Gの契約を手に入れる。コロナ禍のさなか、緊急事態宣言が出てからおよそ1週間でスポーツチーム専用のクラウドファンディングプラットフォームを立ち上げ、無償での提供に動く。
運営するジュニアサッカーNEWS・全国少年サッカー応援団は2019年、月間1200万PV、190万UUを達成した。
全国最大規模のアマチュアサッカーサイトを運営する株式会社グリーンカードCEO 羽生博樹は、「どうしてもモチベーションが上がらなくて、釣竿をもって出社して、午前中終わったらそれで終わり、という時期もあった」という。
釣竿とともに出社していた男を「もう一度頑張ろう」とさせたものは一体何だったのか。
元代理店の社長がスポーツに気づくまで。
羽生の歩いてきた道は平らではない。
ITバブルのタイミングで、当時運営していた会社が大手通信会社の上場スキームのため、代理店として抜擢された。東京の片隅の小さな会社は、急に資本4億円、毎月の予算1億円を使い、300人規模の会社を運営することになった。
その大手通信会社は、2か月後に不正が発覚。運営を始めていた代理店はハシゴを外された形になり、とん挫した。株価は100分の1になり、訴訟寸前になったがすべて訴訟はつぶされた。
29歳のときだった。
取引先の商社が手を差し伸べてくれたため、九州で事業を始める。その事業も2年程度で本社のサービス打ち切りとともに終焉を迎え、福岡へ引っ越した。「仕事もなかったし、貯金も3,40万くらいしかなかった。子どももまだ小さかったし。ほんと、後がない状況でした」(羽生)
生活しなければいけない。ツテをたどって大阪の会社にホームページのソフトを売る権利をもらい、福岡中の会社に電話営業をかけた。そこで得た300万円をもとにHP製作事業を始めた。
そこで羽生の営業力が裏目に出た。2,3年で150社くらいのホームページを立ち上げ、従業員30人程度まで大きくした会社。しかし、その営業の8割は羽生自身の営業成績だった。あちらこちらへ出張で飛び回り、営業に明け暮れる日々。仕事は多忙を極めた。会社のナンバー2が、従業員を引き連れて独立する準備をしていたことにも気づかなかった。
半分以下の規模になった会社を続けるかどうするか迷っていたときに、趣味で開催していた個サル(フットサルのイベント)のつながりで九州大学に縁をもらい、そこで5年働いて現在の母体となるメディア事業を立ち上げた。
「僕の失敗の原因は、人のふんどしで相撲を取ってそれでよし、としていたところだと思ったんです。導いてくれる人には恵まれてきたので、ツキに甘えていた部分もあった。会社の大きさに目がくらんだ時期もあった。自分の実力で勝負をしていないから、今までの仕事は分不相応だったのだと思って、サービスも人もアイデアも、全部自社のものにしよう、と思ったんです。これが始まり。」(羽生)
羽生の小さな子供たちは、サッカーに明け暮れる毎日を送っていた。平日は練習に付き合い、土日は応援という生活の中で、試合には勝っても他会場の結果がわからない、調べてもわからないから次の対戦相手がわからない、という場面に何度も遭遇した。
アマチュアスポーツはもっと振興していいはずだ。
それを妨げているのは「情報が出てこない」というところにあるのではないだろうか。
サッカーの指導を通して、指導者たちが子供たちの人格形成に大きな影響を与えていることも知った。
指導者たちはもっと評価されてしかるべきじゃないか。
月謝のみで運営されているチームの指導者が実はボランティアだった、ということを知った時も驚いた。
どうして指導者にお金が入らないのだろうか。
アマチュアスポーツはもっと変わっていい。
情報の即時性が解消されて、指導者の社会的地位、アマチュアスポーツの社会的地位が上がればアマチュアスポーツはもっともっと盛り上がって楽しくなるはずだ。
小さな会社でいい。
その代わり、全部自社製のものにしよう。
そう思って集めた2,3人の従業員の中に、現在統括責任者として会社の業務を一手に引き受けている、梅野がいた。
釣竿がPCに変わった日
梅野の経歴は変わっている。彼女は元エステティシャンだ。働き始めたきっかけは、「すぐ近くに会社の入ってる建物があったんですよね」と、それだけ。
オフィスワークに対する知識も少なかった梅野は、「わからなかったことはとりあえず全部聞きました」と笑う。「あまり質問しすぎて、もう1人いた従業員の方に迷惑がられたくらい」。
「とにかく淡々と仕事をこなすな、という印象だった」と羽生は当時を振り返る。会社を始めてはみたものの、羽生のモチベーションは上がらず、釣竿をもって出社していたのがこのころである。釣竿をもって海へ行く羽生を見送り、梅野は淡々と仕事をした。スピード感を持って、決してNOと言わずに仕事をする梅野の姿に、だんだん羽生は「今度こそ、やりたい仕事ができるかも」という気にさせられる。
「今まで同じスピード感で仕事をしてくれる部下に恵まれてこなかった。これならば自分が本当にやりたいことをできるのではないだろうか。一緒にやってくれるのではないかと思いました」(羽生)
そして立ち上げたのが「福岡少年サッカー応援団」。狙いは当たり、月間20万PVを福岡限定のサービスで創出する。これは福岡ならではなのか、それとも全国的に開く価値があるものなのか。テストマーケティングとして、沖縄でも「沖縄少年サッカー応援団」を立ち上げた。狙いは当たった。
「自宅の雇用を創出しよう」
福岡ではうまくいった。沖縄でも当たった。では、次は全国を視野に入れようとしたとき、ネックになってくるのが「情報の即時性」だった。今でこそ珍しくないリモートワークを株式会社グリーンカードが取り入れたのは2014年のことである。
いずれは全国でナンバーワンのアマチュアサッカーメディアになる。そのためには全国で情報の即時性を実施しなければいけない。そこで雇用したのが、サッカー少年少女の保護者たちだった。
「自宅でしか働けない事情がある人もいる。でも、働いていないからと言って能力がないということは絶対にない。そういう人に活躍してもらいたいと思ったんです」
保護者のネットワークはすごい。特に主婦のネットワークは目を見張るものがある。それでも網羅できない地域は多いので、創り上げたのが「LINEグループ」だった。
そのグループは土日のたびに各地の会場の結果を共有しあう。それを全国各地にいるライターたちがひとつにまとめ、記事にする。それを見に人が集まる。その中からまた理解者、情報提供者が増えていく。そんなグループメンバーは2020年6月現在、7353名になる。
「どんな小さい規模から始まったとしても、仕組みは1000人規模で回せるものを想定している。地域の情報を全部吸い上げるにはこうするしかなかった。」
どんな小さい大会もむげにしない。それは、ライターたちが保護者層中心だからだ。小さい大会でも、そこで頑張る子たちの熱意を、保護者たちの声援を知っている人たちだからこそ、熱を持って届けられる。
じわりじわりと月間のPVが400万を突破したころ、ひとつの大きな転機があった。welqというキュレーションメディアが、素人ライターによる不正確な医療記事を乱発し、取り締まりの対象となった。いわゆる「welq問題」である。
この余波を受けて、キュレーションコンテンツが一気に検索順位を下げられる現象が起きた。ジュニアサッカーNEWSが扱っているのは大会結果と各チームの募集情報。これもキュレーションコンテンツとみなされ、Googleでの検索順位が大幅に下げられたのである。広告収益は一気に減った。看板記事が検索結果トップから外された。それは、駆け出しのメディアにとって非常に大きな痛手だった。
(第2話に続く)
執筆者:水下真紀(株式会社グリーンカード統括編集長)