先日、ご支援をいただいたロンドン在住の知人の応援コメントを紹介させてください。
「手塚治虫の火の鳥を自粛期間に読んでいる9才の娘が、何か感じたようで、自分のお小遣いから寄付してくれました。子供にもこのような機会をありがとうございます」
まさか9才のお子さんが支援してくれるとは、正直なところ想定していませんでしたが、まさに「今生きる人と共に造られる大仏」の意義を再認識させてもらえる、心強い言葉をいただきました。
実は、このプロジェクトを進める中で『火の鳥 鳳凰編(ほうおうへん)』にあるエピソードが、ずっと気にかかっていました。そこで描かれているのは、「大仏を造ることに巻き込まれた人々の苦しみ」です。
奈良の大仏
今から1300年前の[天平(てんぴょう)15年]、長く続いた「天災」と「天然痘(てんねんとう)」などの災難を収束させようと発願した聖武天皇(しょうむてんのう)は、奈良に巨大な盧舎那大仏(るしゃなだいぶつ)を造ることを決めました。その後、様々な困難を乗り越えて、12年後の[天平宝字(てんぴょうほうじ)元年]に、大仏が完成します。しかし、その1年前に聖武天皇自身は亡くなっていました。
大仏の完成までには、鑑真和尚など、多くの僧侶が携わりましたが、そこで最も大きな役割を担ったのが「行基上人(ぎょうきしょうにん)」です。当時、多くの人々から信仰を集めていた行基は、時の朝廷から弾圧を受けていました。しかし、大仏を造るために、むしろその影響力が必要と感じた聖武天皇は、行基とその弟子たちに勧進(かんじん)を進めさせました。この行基の活躍のおかげで、大仏造立のための多くの支援を得ることに成功したのです。
*勧進=寺社・仏像の建立・修繕などのために寄付を募ること。
「火の鳥」で描かれた歴史
手塚治虫の『火の鳥 鳳凰編』では、この大仏を造るためには、莫大な国費と共に多くの犠牲も払われたことが描かれています。人々は不眠不休で働かせられ、旱魃(かんばつ)や飢饉(ききん)の中でも強制的に続けられた、と。しかし、記録をみる限りでは、人々はあたかも奴隷のように働かされていたわけではなく、職人たちには食料や衣服、賃金が与えられ、多くの仕事を生んでいたことも確かなようです。そして鳳凰編の後半では、大仏の完成を契機にして宗教と政治が結びつき、貴族が絶対的権力者となる時代が始まったことが象徴的に描かれています。
念のため申し上げておきますが、僕自身は手塚治虫の漫画が大好きです。彼が生み出した「火の鳥」は、人間がつくりあげた「宗教」を超えた存在として描かれています。ブッダの生涯も書いた手塚は、当然ながら「仏教」自体の価値は否定していません。人々の救いを目的にした「仏教」ですらも、われわれが扱い方を間違えると、人々を苦しめることにもなりかねないと警告しているのです。
大仏に抱くイメージ
このように『火の鳥 鳳凰編』では、圧政による大仏造立が描かれています。僕も小さい頃にテレビで見たアニメが強く印象に残っています。このためからか、一定数の人が「大仏」に対してネガティブなイメージをお持ちのようです。そして、現在解体中の「淡路島の世界平和大観音」をはじめとしたバブル期に造られた大仏が、維持費の問題等でトラブルを引き起こしている例が少なくないのも、大仏へのイメージを更に悪くさせているようです。
しかし、僕は思うのです。聖武天皇にしても、バブル期に大仏を造った個人にしても、決して「世の中を悪くしよう」という意図はなかったはず。むしろ「平和への祈り」という強い想いが込められていたことも見逃してはいけない重要な事実です。結果的に、その「想い」だけが蔑(ないがし)ろにされているのは残念でなりません。
今回、僕たちが造ろうとする大仏は、公金が投入されているわけでも、個人の財産を基にしているわけでもありません。あくまでも「今を生きる人たち」みんなからご支援やご意見を募り、それに応じた形で創り上げられるものです。誰に命じられたわけでもない、僕たち自身で生み出すものになります。
未来の子どもたちにも、安心して継承できる「新たな大仏」を共に造りましょう。今の時代なら、きっとそれが可能なはずです。