最終報告
令和6年9月4日、2020年より4年がかりで目指してきた「大仏の安置」が完了し、9月末に改めて最終チェックを行ってきました。
今回は、クラウドファンディングの目的であった「大仏造立」の最終報告として、完成した大仏の写真を披露せていただくと共に、「大仏造立プロジェクト BIG BUDDHA PROJECT」の共同主催者である前田真治と風間天心それぞれより、改めてご挨拶を申し上げさせていただきます。大変長文にはなりますが、ご拝読いただけましたら幸いと存じます。
尚、今後も「ミニ大仏3000体」を目標に定期的にワークショップを開催していきます。大仏の経過報告なども含めて、時折こちらでもご報告を継続していく予定です。
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ご挨拶
長月の頭でありながら夏の盛りとあまり変わらない暑さの中で、大仏は洞春寺の敷地、(住職曰く)鬼門の位置に鎮座することが叶いました。ここに至ったのも、ひとえに大仏造立を応援してくださった皆さまのお力添えがあってこそです。
本当にありがとうございました。
今、総括という意味で、約4年間の活動を振り返って気持ちを著そうとしているのですが、スタートから4年も経つと、記憶は都合良く補正がかかって、何もかもが素敵なものに変化しており、忠実に語ることは難しそうです。
ただ、体に染み付いた記憶はまだ鮮明なようで「大仏」という単語への小さな筋肉の拒絶感や強張りで、決して平坦では無かったのだと伝えてくれます。
確かに、キャラバンから製作終わりまでの活動期間は、体も心も疲れ切って、何度もバグっていたことを思い出します。おかげで、脱臼のように癖が付き、通常ならバグる必要もない場合でも、簡単にバグれる特技を身につけました。(一応補足しておきますが、バグるとは、体力や精神力のリミッターを超えた状態で、疲れも恐怖も感じず、まやかしで楽になる状態のことです。)
そんな状態ではありましたが、活動中に大きな事故やトラブルも(多分)無く、関わった誰もが五体満足で活動を終えたことは大変幸運だったと思います。
目ぼしいトラブルと言えば、高速道路で急に車の警告ランプが全て点いてアクセルを踏んでも反応しなくなったり、暴走族の集団が一斉に検挙されている中で何故か族の仲間だと思われたり、キャラバンに同行していた仲間が焼き魚定食を食べてアニサキスに酷い目に遭わされたり。
新しいところでは、レンタカー屋で借りたばかりのトラックが、走行して1時間ほどで車を覆い尽くすほどの煙を吐いたり、大仏組み上げに合わせて台風が来たり、、。
概ね、青ざめる程度で留まり後に笑い話として消化できるので、これらは「多少の苦労はさせるが決して不幸は起こさせない」といった、仏様の粋な帳尻合わせとみなしております。
とにもかくにも、キャラバンから制作に至るまで、様々経験できた事は間違いなく財産であり、皆様がお力を貸してくださった事で得られた物です。
我々のたわいもない狼煙に真摯に呼応して頂き、惜しまず援助して下さった皆様には、感謝の言葉もありません。
今、大仏を洞春寺に建ち終え、この大仏が今後どのような役割を担っていくのだろう?と考えたりします。
1000を超えるミニ大仏が肉感を支えている大仏は、製作して頂いた方々の想いや表現が剥き出しで荒々しく、どの小像も意味を投げかけてくるのでザワついています。
うまく言えませんが、仏像の形に沿った街が現れたような感覚で、人の想いや表現というのは集まればしっかり馴染みのある空気感を作り出すのだなと妙な安心感を抱いたりもします。
そういったものは本来、荘厳で静謐な大仏という印象にそぐわないものかも知れませんが、人間にとても近いというのも、これまでの大仏とは違うベクトルで何かを授けてくれそうな気がします。
ありとあらゆる方々が手がけたミニ大仏群には、より取り見取りの解釈が並んでいるので、手を合わせた時、目に入ったミニ大仏に、思いもよらず人生の答えが描かれているかも知れません。
そのように、誰かが込めた想いを誰かが受け取って少し気持ちを好転させるような連鎖が起きると素敵だなと思います。
ちょうど秋も深まり、夜長を利用してあれこれと書き綴ってまいりました。
お礼とか、完成のご挨拶とか、この文がそんな体に仕上がっているのかは甚だ疑問ではありますが、様々な気持ちが交錯して取り留めのないのも、またこの大仏にふさわしい挨拶文なのではと都合良く解釈しでおります。
最後に、重ね重ねではございますが、大仏造立にご支援ご協力頂いた皆様へ心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
そして、大仏様。形になって下さってありがとうございます!
令和6年10月吉日
前田真治
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ご挨拶
2020年、大仏をつくることを決めた2月の夜。
寒空の月を眺めながら「これはきっと、一生をかけて向き合う覚悟がいるな」と、自分に言い聞かせたのを思い出します。
覚悟はできていたものの、はじめて遭遇するパンデミックに翻弄されて、プロジェクトは何度も困難に見舞われました。その度に、たくさんの方々から様々な助けを借りて、なんとかここまで辿り着くことが出来ました。
お伝えしたいことは山ほどありますが、あまり長くなっても仕方ないので、要点を大きく5つに絞りました。詳しいことは、皆様にお会いした際に直接お話できたらと思います。
1 【 制作者の存在 】
今だに誤解されている事実として、このプロジェクトは僕一人が始めたものでは無いということです。あくまでも、前田真治と風間天心の二人が共同主催者として、ここまで進めてきました。
メディアに取り上げていただく際に、どうしても前田さんだけが切り捨てられることが多く、その度に残念な思いをしてきました。
最終的に辿り着いた〈棚大仏〉も〈ミニ大仏〉も、途中経過で生まれた大仏プランは全て前田真治が考え出したアイデアであり、設計も彼によるものです。そして、安置場所である洞春寺に話をつけたのも前田真治です。
歴史上の大仏が語られる際には、時の帝や僧侶名/寺院名のみが登場し、誰が設計し、誰が制作したのかは伝わっていません。
このプロジェクトで伝えたかったことの一つは、大仏という姿が形づくられるには、実際に知恵を絞って汗を流す制作者や技術者が不可欠であるということ。もっと言えば、制作者(アーティスト)が主体となって作られる大仏もあって良いのではないか、ということです。
2 【 魂 】
プロジェクト内では、通算3回の開眼法要を行いました。
まず、勧進キャラバンにお連れする〈勧進仏像の開眼法要〉
次に、モエレ沼で大仏をお披露目をした際の〈大仏完成の開眼法要〉
最後に、山口県の洞春寺で行った〈大仏安置の開眼法要〉
開眼法要とは、仏像の目を開く、つまり魂を入れるための儀式です。しかし正直なところ、僕自身「魂とは何なのか」というのが明確にわかっていません。
もちろん、儀式としての法要は不可欠であり、どのようにして魂が入るのかも原理的には理解しているつもりです。人間の意識を切り替える際に、形はどうであれ儀式というのは必ず必要な行為なのです。コロナ禍で人が集まれない時、個人的にでも何か儀式をした方が良いと思い、〈儀式をつくるワークショップ〉も開催したりしました。
一方〈ものづくり〉をする中で感じるのは、作品を制作する過程で次第に何某かの〈魂〉が宿りはじめる感覚です。個人的にはこちらの方が体感として〈魂〉の実在を感じるのです。今回の大仏は、1300体以上の〈ミニ大仏〉によって構成されています。つまり、1300体の魂が込められているのです。
『ドラゴンボール』の元気玉のように、〈みんなの思いが集まった大きなエネルギー〉こそが、この大仏の魂になっていると感じています。
3 【 自己満足と公益性 】
先日、あるお坊さんに大仏づくりの話をしかけたところ、「自己満足で大仏なんか作っちゃいけないよ」と一蹴されてしまいました。
確かに、現状で存在する大仏の多くは維持費や修繕費が大きな負担となっており、プロジェクトを始めた頃も〈淡路の大観音〉の解体が話題となっていました。コスパ/タイパが重視される昨今、アート作品もまた、その存在意義に疑問が投げかけられています。
創作意欲というのは人間に備わった生きる力の一つです。コロナ禍で鬱屈とした日々の中、ステイホームで絵を描いたり造形物を制作した人、DIYで家を改装したりする人も多くいました。僕が教えている中高生にも〈ミニ大仏〉をつくってもらいましたが、仏像を作ること自体が初体験なこともあり、みんな時間を忘れ楽しんで制作していたのを覚えています。
大仏は形になりましたが、経費が底をついているため、現状では屋外での設置となっています。数十年もすれば綻びが出てきますが、使用している部材は簡単に手に入る木材等であるため、誰でも直すことが出来ます。
残し続けることを後世に強いるのではなく、その時の人々が存続を欲すれば、必要に応じて修繕すれば良いのです。ただ、「何かを形にしたい」と芽吹いた創作意欲とエネルギーを、簡単に潰してはいけません。
4 【 記憶と記録 】
近年、立て続けに起こっている大災害。
災害だけに限らず、辛い記憶は次第に忘れていかなくては身が持ちません。
コロナという言葉に拒絶反応を起こしてしまうほど、コロナに関する記憶や体験も、早く忘れてしまいたい方が多いと思います。
「皆さんにつくっていただいたミニ大仏を屋内で保護すべきではないか」とも考えましたが、ある程度は記憶を風化させていくことの必要性も感じ、大仏も〈風雨にさらされ自然に風化していくこと〉を受け入れることにしました。
一方で「記録」は残していかなくてはいけません。プロジェクトのスタート時にも書いたように、1000年以上前の〈奈良の大仏〉が〈戦争、災害、飢饉、疫病〉を鎮めるために作られた経緯は、あまり知られていません。その事実を更に1000年後の後世に伝えるために、今、新たな大仏を経由する必要があると思ったのです。
プロジェクトの一連の動きは、様々なメディアに記事として残り、オンライン上にも多くの記録を残しています。これからプロジェクトの記録集もまとめる予定です。パンデミックの中で、社会がどのように反応し、人々は何を想い、どんな行動をしたのか。当時の記録を辿ることができる、その一端は担えたかなと感じています。
5 【 見通せない未来に 】
「大仏をつくるなら今しかない」その想いだけでスタートさせたプロジェクトでしたが、初めは大仏の〈大きさ、姿形、作り方、場所〉が何も決まっていませんでした。〈今、本当に求められている大仏〉を見定めるためには、より多くの人から意見を聞くことが重要だと思ったためです。
しかし、社会事態が日々変化するコロナ禍で、この不安定な目標を貫き通すのは、容易なことではありませんでした。一番大きな壁は、一度提示した〈型大仏プラン〉が金銭的に数年では実現不可能であることを認識した時でした。
しばらくは、「時間をかけてもやらなくてはいけない」と自分を追い詰めましたが、前田さんが別軸で生み出した「棚大仏」が、実は今回の大仏コンセプトに非常に適していることに気づきます。あくまでもプロジェクトのゴールは〈大仏をつくること〉。できるだけ早く大仏を具現化するために、プランを大きく転換することにしました。そのお陰で、実現に至ることができたのです。
指針となっていたのは、キャラバン第一回会場である須磨寺での対談で教えていただいた〈*ネガティブケイパビリティ〉という言葉。
大きな壁にぶつかった時、〈目標を諦める〉のではなく、〈方法を転換しスライドさせること〉が肝要なのです。不透明な時代には、この姿勢が不可欠であることをプロジェクトを通して実感することが出来ました。
(*答えの出ない事態や対処できない事態に耐える能力、または不確実さや懐疑の中にいることができる能力)
以上、結局かなりの長文になってしまいました…申し訳ありません。
大仏づくりを始めようとした動機として、「大仏を作るというのは一体どういうことなのか」を身をもって体験したいという思いがありました。そして、科学技術が発達し信仰心が変容する現代に、「大仏というのはどんな存在になりうるのか」を皆さんと共に考えたいという思いもありました。
ぜひ、実際に山口まで足を運んでお参りしていただき、できれば大仏の一部である〈ミニ大仏〉をつくってみてください。この大仏を「私がつくった大仏」にしていただくことで、それぞれの中で感じた〈想い〉を教えてください。
令和6年10月吉日
風間天心
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最後に。
改めて洞春寺へチェックに行った際、二人ともすぐに目に留まったミニ大仏がありました。それが、このお辞儀仏です。
設置した際には他と同様の姿をしたミニ大仏だったのですが、〈蝋ろう〉で出来ているため、直射日光の熱で腰から曲がってしまったようなのです。
まず、この形は大仏を屋外設置したことによって生まれた自然由来の形状(ある意味、神仏の力で生まれた形状)であること。それがこんなユニークな姿になっていることに驚きました。
そして、まるで僕たちの想い(大勢の方にご迷惑をかけたことへの申し訳なさと、長いあいだ応援してくだっさった方々への厚い感謝の気持ち)を代弁してくれているようなこの姿に、深い感銘を受けました。
と、いうことで、
この姿をもって、
最後のご挨拶とさせていただきます。
これまで本当に、ありがとうございました!!!