長崎・聖福寺に坂本龍馬像を建立するプロジェクトへのご支援、誠にありがとうございます。お陰様で当初目標は3週間でクリアすることができ、今新たな目標に向かって日々お声がけさせて頂いております。今回は、何故それほどまでに万寿山聖福寺への支援を訴えるのかについてお伝えさせていただきます。冒頭の写真は、本日6月18日の聖福寺の方丈の間のお写真です。田谷住職に撮影していただきました。先日から梅雨入りして雨が降っており、屋根を雨粒が叩くたび、屋根に蓄積した土埃や黄砂が傷んだ屋根板の隙間から落ちて参ります。それを受けるためにこの様にビニールシートが敷かれています。雨が酷くなると、さらに雨漏りが始まり、このシートの上にバケツや様々な器を置いて雨水を受けることになります。天井は雨水が浸水して傷み、上の写真の様な状況にあります。残念ながら、この【方丈の間】は文化財指定を受けておりませんので、近々予定されている建物の文化財修復事業のリストには入っておりません。当然ながら、このままでは【いろは丸事件談判】が行われただろう【方丈の間】は使えない状態になります。今でも傷みが激しいため、一度に入室する人数には制限がされているほどです。また、お寺の本堂に当たる「大雄宝殿」では山肌から浸み出した水で冠水し、ポンプで強制排水しなければ使えない状況になります。この「大雄宝殿」は重要文化財に指定されており、修復事業に含まれますが、文化財を守る為の防水処置や排水対策などは文化財修復では無いため、事業予算内では処理されない可能性が高いのです。現在、予定されている聖福寺の文化財修復事業には、この「大雄宝殿」の他、山門、天王殿(中門)、鐘楼が指定されていますが、その修復事業分担金に関しても現在の見積もり段階で5,500万円ほどが不足している状態です。そこには【方丈の間】の修復も、大雄宝殿の防水処理も含まれない可能性が高いのです。このままでは、坂本龍馬や後藤象二郎、五代友厚などが居たであろう【方丈の間】は崩れ去ります。聖福寺自体には檀家が30件弱しかなく、とても自力での修復は難しい状況です。この【方丈の間】はほぼ当時のまま残っています。しかしこのままでは、【龍馬のあし跡】を感じられる場所が失われてしまいます。この様な状況であっても、まだ今は【龍馬のあし跡】は現存しています。私たちに何かできるのは【今】しかありません。失われてからでは間に合いません。【今】ならばまだ間に合います。だからこそ同志の皆様、この事実を知って下さい。【方丈の間】をその目で観れる期間はそう長くありません。是非、その目でどれだけ傷んでいるのか観に来て下さい。ここには観るだけの価値があります。そして、たくさんの方に伝えて下さい。一人の力ではどうすることも出来ません。しかし、多くの同志の皆様の【志】がひとつに集まれば大きな事を成し得ると信じています。残された時間はそう長くありません。一人でも多くの【同志】を募りましょう。そして、まずは聖福寺に我々の【志】のこもった坂本龍馬の半身像を奉納しましょう。【龍馬のあし跡】を残したいという我々の【志】の象徴として、聖福寺境内に建立し多くの人に観て、感じていただきましょう。長文を最後までお読み頂き、誠にありがとうございました。後世の人たちに彼の魂を伝えるためにどうぞご支援、ご協力をよろしくお願い申し上げます。長崎・聖福寺に坂本龍馬像を建立する会
最終結審のお寺 の付いた活動報告
今日までご支援・ご協力頂いて来た皆様、令和2年6月15日午前、当初目標だった台座資金500,000円見事達成いたしました!ありがとうございます!この資金をもって台座費用等に充てさせて頂きます。これで予定通り、11月に台座建立・銅像奉納をさせて頂くことが出来ます!多くの皆様のご支援とご協力によってここまで参りました。まずは感謝しかございません。しかし、我々はここで立ち止まる事は出来ません。何故なら、この銅像奉納は真の目的の入口に過ぎないからです。【いろは丸事件談判】の最終結審が行われた場所それが長崎市にある万寿山聖福寺の「方丈の間」です。まさに龍馬たち土佐藩がこの場所で紀州徳川家との最後の決戦に臨んだ舞台が長崎市内に「現存」しています。しかし、聖福寺は元々が【唐人寺】という長崎滞留の中国人が寺請制度で所属していた特殊な寺だったため、現在檀家数が20軒ほどしかなく傷んだ建物を自力で修復することができません。もちろん「方丈の間」も。現在、「方丈の間」は雨漏りが激しく、梅雨で雨が続くと畳にブルーシートを敷き、雨水をバケツなどで受けて凌いでいる状態です。今年年末から始まる国指定重要文化財修復事業にしても方丈の間は文化財指定を受けていないため修復対象にすらなっていません。このままでは、【龍馬のあし跡】は崩れ去るしかないのです。私たちはこの事態を打開すべく【長崎・聖福寺に坂本龍馬像を建立するプロジェクト】を立ち上げました。皆様、どうか今しばらく、このプロジェクトにお付き合い下さい。坂本龍馬が関わった【龍馬のあし跡】を残し、後世に伝えていくために。クラウドファンディング最終日7月22日まで私たち【ふくりゅう会】の同志として最後までご支援・ご協力・ご声援頂きたいと存じます。何卒、よろしくお願い申し上げます。長崎・聖福寺に坂本龍馬像を建立する会(ふくりゅう会)一同
いろは丸事件談判・最終結審のお寺、長崎・万寿山聖福寺に「ふくりゅう会」リーフレット設置して頂きました!山門の前にも設置して頂いたようなので筑後通りの通りすがりにでも手に取っていただけます!!!長崎の皆様、階段上がってご参拝いただくついでにリーフレットを手に取っていただけるようになりました!是非、お受け取り下さいませ。
長崎・聖福寺に坂本龍馬像を建立するにあたって、坂本家ご子孫で郷士坂本家十代・坂本匡弘様よりメッセージをいただきました。どうぞご覧下さい。↓いま日本は未曾有の国難に直面しております。幕末の日本においても欧米列強が目の前に迫る大変な国難に見舞われておりました。その様な状況から日本を一つの国と捉え、薩長同盟から大政奉還へと導き、国難を克服する足掛かりを創った坂本龍馬、その龍馬が精力的に活動した長崎の地、風頭公園にある龍馬像は、龍馬の志を感じる素晴らしい作品です。今回その作者である山崎和國先生の遺作である龍馬像が、この度、龍馬と縁の深い聖福寺に寄贈されると長崎 ・聖福寺に坂本龍馬像を建立する会会長からお聞きし、とてもドラマチックな思いになりました。そしてこの像が龍馬の志を感じていただく新たなスポットとなることを期待しております。郷士(ごうし)坂本家十代当主 坂本匡弘