2015/11/09 11:57

久木稲荷神社は,1923( 大正12)年の関東大震災で全壊し,地元の皆さんの奉仕で大正 14 年に再建された。建築に携わった棟梁は根岸直吉氏,根岸銀治郎氏,地元の根岸浜吉氏は30才位の若さであった。
落成式は,南北の方向に両弓を張り「ぬさ」を33 本の建て盛大に行われた。翌日33本の「ぬさ」を持って,久木在郷軍人会,消防団,青年会,が参加,有志,職方一同で,木遣りを先頭に逗子〜富士見橋〜海岸通り〜長柄の根岸銀治郎棟梁宅まで送り,めでたく棟梁送りの行事を終えた。
由緒録によると昭和45年に久木神社となった。
1976(昭和51年),86才の宮大工の根岸浜吉氏によって,妙光寺の本堂が落慶法要された。
(久木体育会創立20周年記念,創立40周年記念, わたしのふるさと久木)
落成式は,南北の方向に両弓を張り「ぬさ」を33 本の建て盛大に行われた。翌日33本の「ぬさ」を持って,久木在郷軍人会,消防団,青年会,が参加,有志,職方一同で,木遣りを先頭に逗子〜富士見橋〜海岸通り〜長柄の根岸銀治郎棟梁宅まで送り,めでたく棟梁送りの行事を終えた。
由緒録によると昭和45年に久木神社となった。
1976(昭和51年),86才の宮大工の根岸浜吉氏によって,妙光寺の本堂が落慶法要された。
(久木体育会創立20周年記念,創立40周年記念, わたしのふるさと久木)




