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年賀状コンテストを実施し、子供から大人まで墨の香りを感じてもらいたい!

大阪で誰でも参加できる書道コンテストとして「自分自身に送る年賀状」をテーマにコンテストを実施します。近隣の和歌山、奈良、京都に比べ、書道・墨の香りの文化が失われている理由の一つに、書道コンテストの減少があります。書道文化を大阪で復活させたい

現在の支援総額

27,000

27%

目標金額は100,000円

支援者数

3

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2015/12/09に募集を開始し、 2016/01/30に募集を終了しました

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年賀状コンテストを実施し、子供から大人まで墨の香りを感じてもらいたい!

現在の支援総額

27,000

27%達成

終了

目標金額100,000

支援者数3

このプロジェクトは、2015/12/09に募集を開始し、 2016/01/30に募集を終了しました

大阪で誰でも参加できる書道コンテストとして「自分自身に送る年賀状」をテーマにコンテストを実施します。近隣の和歌山、奈良、京都に比べ、書道・墨の香りの文化が失われている理由の一つに、書道コンテストの減少があります。書道文化を大阪で復活させたい

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今回のプロジェクト墨で書く年賀状コンテストは橘逸勢(たちばなのはやなり)ゆかりの地で開催されるとなっています。さて、橘逸勢とは誰か?知らない人もたくさんいると思います。今回は橘逸勢についてご紹介します。

三筆って?

三筆というのは、平安時代の書の達人の3人のこと。逸勢はその一人なのです、あとの2人は空海と嵯峨天皇。空海は書についてのエピーソードも有名ですね。嵯峨天皇は百人一首でも出ているので、名前だけは知っているという方も多いのではないでしょうか?
今で言うところの神の3人ですね。この3人は平安の時代から絶対的な3人なのです。そのお墓が岬町にあるのです。

どうして縁なのか?

高野山を開いたのは空海。これは、教科書に載っています。高野山の建築の総責任者は載っていません。実はそれが橘逸勢なのです。その資材は、一旦、岬町の深日(ふけ)の港におろしてから、孝子にまとめて、高野山に運んだそうです。その後、無実の罪で流刑になる途中で亡くなった逸勢を、娘のあやめがこの孝子の地で弔ったという伝説が残っているのです。実は写真は娘のあやめのお墓、その親孝行な姿から、この地は孝子という名前になったそうです。

本当に逸勢のお墓なの?

平安時代のことですから、伝承を信じるか信じないかです。伝説は諸説あります。ただ、逸勢とあやめのお墓は両方共に国有地。それも、お墓の周りだけが国有地になっています。伝説の真価はタイムマシンが発明されないとわかりませんが、縁があることは間違いないことなのです。

逸勢ゆかりの地の書道コンテストの応援をどうぞよろしくお願いいたします。

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