何故、ここにいるかと言うと、頼まれたらイヤと言えない性格が災いしているせいだ。もともとは、14分の短編をシネファクに発注したのがきっかけだった。発注主なので脚本にも口を出したが、配役からロケ地手配などの下働きをやり、福田監督と一緒に、ゼロから作り上げる経験を初めてした。支払える金額が少なかったので、できあがったモノを買い取るという贅沢ができず、カラダで払ったようなものなので、作り手とは違う意味で、資金の呪縛を痛感している。
ただ、とても刺激的な経験だった。
その時、福田監督が「こんな映画(ふうがわりい前編)を撮りたいんだ」と語る姿を、なかば呆れ、軽い嫉妬とともに見ていた。人に語れるような、夢も情熱も野心も持っていない私には、彼が眩しかったからだ。とは言え、不惑を過ぎてるのに、自腹を切ってでも夢を追おうとする彼らが「ふうがわるく」見えるときがある。
だけど同時に、「ふうがわるく」て、どこが悪いのか?とも思う。私にとって「ふうがわりい」とは、「独立不羈」と同語だからだ。「ふうがわりい」と言われることを承知で情熱を傾ける彼らだからこそ、私自身が夢中になれるモノを見つけるまで、その代わりに応援することにした。
独立不羈 by大辞泉
他からの束縛を全く受けないこと。他から制御されることなく、みずからの考えで事を行うこと