私は岡山生まれの岡山育ちです。典型的な岡山県人です。父方の祖父は熊本県人、祖母は新潟県人。 父は新潟で生まれ熊本と岡山で育ち、母は生まれも育ちも宮城県です。 東京で結婚して岡山に帰ってきます。 私が生まれて50年、岡山県民になりました。 私は県外に出たことがない人間です。恵まれた環境で今日まで育ちました。 病弱なだけで何の取り柄もありません。 子供の頃に自分でも何となく人と違うんじゃないかという感覚に目覚めてきました。
前置きはここまでです。 しかし祖父母や両親が育った環境とも違い、岡山に生まれ育ったことを自分では やはり何か意味があるんだろうと考え始めたのがこの十数年ほどです。 因縁というか使命というか、そんな感じです。ここにいる意味を考えました。
岡山県民ではありません。岡山県人ですね。自分の中では。地元岡山のためにという掛け声はあちらこちらで上がっているようですが、私にはエセ岡山県民にしか見えません。エセ郷土愛というか。しかしながら自分が何か岡山県人として自分の考えを持って行動してきたのかという 問いかけには恥ずかしながら傍観者でした。このことが一番恥ずかしいと思ったんです。何か見えない呪縛にかかって、人が見ていることを常に意識しながら本当の自分とは違う行動を取っているというストレスとフラストレーションを感じて生きてきたんだと。
大げさですけど、人に気を遣いながら自分を抑えながら生きるというのは変だと思いました。 実は子供の頃から何気なく使っていた「ふうがわりい」という岡山弁の本当の意味を今回の前編を通して得心することができたというのが本当のところです。自分では何も行動に移せなかった自分への挑戦でした。それまでにも岡山県民の特性についても様々耳にしてきましたし、自分も口にしてきました。みんな分かってるんですね。それでも良いの悪いのとは言いながら何もしないわけですから。そこで自分は行動に変えることが岡山には大事なことなんじゃないかと思ったわけです。ふうがわりいけぇ~で判断するよりも自分がどう思うかが大切なことだと思ってます。
申し訳ないのですが、岡山の典型的な人たちは言うだけ言って何もしない人が多いと思います。 だから自分は自分に忠実に行動することで岡山をもっと知ることが出来たと思います。かなり長すぎましたね( ̄ ̄;) 「能書きは云うてもなんもせん」この一言に尽きます。「座布団は自分で出さない。出されたら座る」これも県民性を如実に表してますね。
前編に出演したことでシネファクとそこで支える人の熱を感じました。制作の現場も見ましたし、経営的な内情も知りました。何でそこまでしてまで作るのか?が分かりませんでした。今でも分からないところがありますが.....。 まさにそこが岡山県民なのかもしれないと思います。 一つには映画に関わることで自分自身をあぶりだすことが出来たんです。純粋に岡山を考える映画を製作することこれ自体が「岡山への郷土愛」じゃないのか!? そこに触れることができた気がします。
私の目から見ても映画製作会社としては経営の観点からもNPO法人とはいえ、足りないものだらけでした。映画の後編を製作するという構想で前編もスタートした経緯からも「いかなる障害があろうとも乗り越えなければならない」という強い意志を持ちました。何がなんでも実現可能にしなければ、最高の前編が泣いてしまうじゃないか。「後編を製作するチカラが足りないのなら集めればいいじゃないか!」そんな思いに駆られました。そして福田監督にも製作委員会の存在が大切だということも語りました。 お金がないから作れませんでは、それこそ“ふうがわりい”ことです。 むしろそのふうがわりい行動を見てもらえばいいし、格闘するところも見てもらえばいいんじゃないかと考えました。 普通の岡山県民ならできません。やりません。だからやるんです! そこに身を置いて自分はこの映画制作に関わりたいと思ったわけです。