皆さんおはようございます。
夫のレポート最終章です。
クラウドファンディングに挑戦してきて
夜な夜な、朝な朝な(こんな言葉はありませんが、)頑張ってきた私たち。
最後の章はわたしたちらしく、朝早くに投稿
したいとおもいます。
第四回 消えないで、足跡
今、やるべきなのか、もう少し先のことじゃないのか、彼女は分水嶺にいました。
彼女は丘の上で、考え込んでいます。
風は気ままに流れ、嘲笑うようにも、背中を押してくれているようにも感じられます。ですが、彼女はクラウドファンディングにチャレンジすることを決断することになります。目を閉じたさきにある真っ暗な闇の向こうに、光を見つけました。それは生まれたての赤ちゃんの体温のような、あたたかなぬくもりを持つ光でした。雪にかんなをかけたような白さを持つ光でした。
でも、その光はとても小さな光でした。このときは、まだその光がなんなのか、彼女は知りません。
新緑を揺らす爽やかな風と、すこし強すぎるくらいの日差しが続いた数日のうちに起こったことを今回は書いてみたいと思います。その小さな光がなんだったのか、明らかにしたいと思います。
しかしながら、これまでのような話にはならないことを、先に謝らなければなりません。なぜなら、今回は彼女について書くことはできません。小さな光の話をするには別の主役を設定する必要があります。
*
「夢をあきらめないでください」と人は言われます。
僕らは好きで夢をあきらめたりしません。好き好んで、思いを形にしないのではありません。
僕らは、色も形も違った「種」を拾います。
それを自分の中の、奥深くで温めます。
ですが、その「種」からは芽が出てこないかもしれません。
思っていた形と違う芽が出てくるかもしれません。
あるいは、せっかく顔を出した芽を摘まなければならないかもしれません。
僕らは年を取るにつれ、賢くなっていきます。
やがて「夢をあきらめないでください」ということが方便だと知ります。
夢とはそういうものだと知り、そして「種」を見つけること、拾うこと、育てることを忘れてしまいます。
*
彼女の中で温められていた「種」は、もうすぐ芽を出そうとしていたかもしれませんし、まだまだ芽を出すための準備段階に過ぎなかったのかもしれません。ですが、彼女の温めていた「種」からは小さな芽が出ることになりました。
なぜでしょうか。
岐路に立つ彼女に、土壌を耕し、水をやり、小さな光を与えてくれたのは、これを読んでくれているひとりひとりの皆さんでした。
「種」の存在を認めてくれたあなたでした。
賢くなっても、方便だと知っても、夢を生きるのも悪くないよねって思ってくれている皆さんでした。
「頑張って!」「おいしいパンを作ってね」「遠くからだけど応援しています」「たくさんの人を笑顔にしてくださいね」「応援してまふぃん」、たくさんの応援メッセージが彼女に、前に進む許可を与えてくれました。「もうはじめてもいいんだよ」と背中を押してくれました。彼女の持つ夢は、小さな光に支えられ、歩き出したのです。
ひとつの出会いから生まれたこのプロジェクトは、いつしか、たくさんの人たちに支えられ、形が作られ、ひとつの目標を達成することができました。
彼女と僕の頭の中には、ひとりひとりの皆さんの顔が浮かびます。声が訊こえます。おおげさかもしれませんが、歴史を刻む出来事のように、胸に深く刻まれていきました。
彼女と僕は歴史のページを過去に向けてめくってみることにしました。
そこには、これまでに出会ったたくさんの人がいました。過ごした日々がありました。訪れた地域、生活の中で繋がった人たちとの確かな結びつきが、見えない糸として、消えない足跡として残っているという尊さに気づかされました。そして驚くべきことは、そのすべての人たちがこのプロジェクトを支えてくれたということです。
僕らは朝な朝な(こんな言葉ありませんが)話しました。
「もう足を向けて寝れないよね」
「うん。四方八方に住んでるだろうからさ、立って寝ようか」
「なんでこんなにみんないい人ばっかりなんだろうね」
毎日のように、あの人も支援してくれたんだよ、えっ?この人も、というような会話がありました。驚きの連続でした。手紙まで頂きました。
僕たちはその度に、何度手を合わせ呪文を唱え、感謝したでしょう。
「くわばら、くわばら」は雷除けのおまじないです。どうか、ここには雷を落とさないでくださいと祈るために受け継がれてきたおまじないです。いまどきそんなこと言う人を僕は訊いたことがありません。どちらかといえば困ったときに使うおまじないです。
彼女と僕は、みなさんに支えていただいたことを、忘れません。どう感謝を表したらいいのか、もう困ってしまっています。
だから僕らは、これからもずっと丘の上の家から、皆さんに幸福が訪れますようにと、どうか皆さんのところにだけは雷(やっかいごと)が落ちませんようにとの思いも込めて、「くわばら、くわばら」と祈ろうと思います。
「人生いろいろ、男もいろいろ、女だっていろいろ咲き乱れるの」と島倉千代子さんが歌いましたが、これから僕らにも、みなさんにもいろんなことがあるのだろうと思います。「諸行無常」ですしね。
でも、皆さんのような、温泉みたいな人たちがいるんだと思うと、世の中安心、という気がします。
みなさんが「山口はるかのプロジェクト」を温かく包んでくれたように、ご自身のこともまた大切にしてあげてください。
それでも、もし大切にするのが難しくなったら、丘の上の家に遊びに来てください。
彼女の作ったパンとマフィンなどはいつでも準備しています。
プロジェクトはまだ続いていますが、お礼を言わせてください。
彼女を応援してくれて、支援してくれて、小さな光を与えてくれて、ほんとにありがとうございました。
これで、「丘の上の家で『くわばら、くわばら』という理由」はおしまいです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
「くわばら、くわばら」
終わり
プロジェクトの進行状況に応じて、「番外編」があるとかないとか・・・。