
思い返せば約1年前のこと。2018年1月の「みんなの尼崎大学 放課後ミーティング」で「尼崎城のプラモデルをつくりたい」との発案者の告白を受けてから、2か月後には長野県諏訪市のプラモデルメーカー「PLUM」さんを訪問する予定が立っていました。私は彼の告白には一切驚きませんでした。言うべき人が「とうとう言ってしまった」と。
私は遠征の機会は有効に活用することをモットーにしています。発案者と縁もゆかりも深ーい関係者の奥様が諏訪出身であることもあって、宿、食、温泉、観光地など、行くべきスポットのガイドをご用意くださったので、それをコンプリートする使命を胸に諏訪に向かいました。(食と温泉は素晴らしかったのですが、ここでは省略。目的の諏訪高島城、PLUMさんとの打ち合わせも、すでにFacebookページに書かれているので省略します)

私の秘めた目的は「万治の石仏」「尖石の縄文遺跡」「諏訪大社」「藤森さんの建築」「八ヶ岳美術館」でした。順に紹介してきましょう。
「万治の石仏」

「万治の石仏」は造形的につくり込まれた石仏ではありません。岩に顔をのせただけの抽象と具象のギリギリの線、信仰の対象が私の方にあるんだと思わされます。記述によると、石ノミで首の部分を打ち込んだ時、石から血が流れたので、つくるのをやめたとあります。たぶん自分の手を間違って叩いて止めたのでしょう…歴史とはそんなものだと思いながら、憧れの石仏に対面です。
石仏の参り方は
一、正面で一礼し、手を合わせて「よろずおさまりますように」と心で念じる
二、石仏の周りを願い事を心で唱えながら時計回りに三周する
三、正面に戻り「よろずおさめました」と唱えてから一礼する
早速、どなたかは「プラモ尼崎城」と口で唱えながら反時計回りに廻っていました。間違いに気づくと、改めてまわり直し「よろずおさめました」。この石仏、「自然の一部に顔」の素朴さ、つくりこまない余白が、より想像を膨らませます。私も「よろずおさめました」。
「尖石遺跡」
この遺跡が諏訪からこんなに近いとは知りませんでした。駅の広告に国宝土偶の「縄文のビーナス」がチラホラ、気になって、宿の人に聞くと近いと判明、これは行かなければ。縄文時代は弥生以降より長く、土偶の造形は現在のデザインにも共通する抽象化や洗練があります。人の一生の長さは変わらないんだ、昔だから劣っている訳ではない、その時々のよいものは変わらない。尖石の資料館に行くとたくさんの「縄文のビーナス」が…。教室があって、みんなで作ってるんです「縄文のビーナス」を、どれもクオリティが高い。とんでもなく文化度の高い所に来てしまったと衝撃を受ける。
「諏訪大社」

大社があるところは、大和とは異文化、出雲も、吉備も、攻められたトコだと思ってます。大きい大社は文献を読んでいただくとして、驚いたのは、「小さな祠」も四隅に柱を立てているんです。四本柱で場を作る。それが諏訪の祠。異文化です。

「藤森さんの建築」

藤森照信さんは、不変なものを作られている建築家です。土着的な印象でしたが訪問すると建築の記号をしっかり押さえて作っています。大きな一枚石で重厚なアプローチをつくり、中に入ると見上げる目線そのままに広がる吹き抜けの傾斜、窓から見える刈り込まれた植栽、土着的でありながら緻密に配慮された建物。さらに奥の庵へ、建築を知っている人が自由に楽しく作ってるなー、建築はそれでいいねん、と頭が下がり楽しくなりました。
「八ヶ岳美術館」

この建物は、大庄公民館や尼崎市役所の設計者、村野藤吾さんの建築です。作りにくい山間部なので現場施工が難しい、コンクリートのモジュールを工場で製作、モジュールをつないで作られた建物。
「縄文のビーナス」は、一品の原型でまさにシャチホコの元型。
「諏訪大社」と「小さな祠」は、尼崎城と、小さなプラモデルの関係。
「藤森さんの建築」は、技術は押さえて、楽しく。
「八ヶ岳美術館」は量産、成形のプラモデル。
やはり石仏は導いていたのです「よろずおさめました」。
(岡崎勝宏)





