みなさまからのたくさんのご支援、ありがとうございます。
あっというまに目標達成し、100名を超える方々にご支援いただき、応援のメッセージを読むたびに、嬉しさと共に、皆様の与論島愛を感じ、身の引き締まる思いで過ごしています。
最後の自己紹介になりました。
制服リユースプロジェクト「attara」
アッタラ制服!を担当している、山下です。
本業は縫製屋で、ハンドメイドのアロハシャツなどをインターネット販売しています。
子供はヤンチャな5歳男児とオテンバな2歳女児です。
出身は佐賀県唐津市です。
元々、沖縄好きで将来は沖縄移住したいと思っていましたが、離島にも行ってみたいと思っていたときに「めがね」を見た友人に誘われて与論島へ来ました。
元々お酒を飲むのが大好きだったこともあり、島で次々に知り合いが増えていくのが楽しくて、2009年に移住し、半年ほどは家のリフォームをしながら島の生活を大いに満喫しました。
その後、与論島の植物や虫、魚や野菜、歴史を調べ尽くすというお仕事をさせてもらったときに、与論島の歴史に触れ、与論島の為に尽くした人たちがいることを知り、そして、この島に根を張って住みたい!!骨を埋めたい!!と思い、島の人と結婚することにしました。
今思うと、あさはかですねぇ~。
それまで、結婚願望がまったくなかった為、
結婚・出産・育児ナメてました。
月に2回来島される産婦人科で健診を受けていましたが、
ある日の健診で「産むとこ決めたの?」「もう5ヶ月だよ、早く予約しないと産めないよ!何考えてるの!?」と…。
えー!!そんなこと聞いてない!!
そのまま系列の沖縄の病院で産めると、そこで産まない人だけが自分で探すのだと…思っていました。
いきなり怒られたので、パニックです。
看護婦さんに聞いても、好きなところ選んだらいいよ~と。
好きも嫌いもわからない!!!と、妊婦特有の不安定さもあり、ただ病院を選ぶだけなのに決まらずに半泣きです。
知り合いの経産婦さんに出産した病院を聞いたり、病院に電話して1ヶ月泊まる施設を利用できないか聞きましたが、その時は何かしらの理由でいまは使えないという返答でした。
夫に相談しましたが、まわりで出産した友人もいなかったため、なぜ1ヶ月も沖縄に滞在しないといけないのかというところで、わかってもらえませんでした。
このままでは本当に予約が間に合わなくなるので、里帰り先の産婦人科に電話するも、市内にいくつかあった産婦人科が産科医の高齢化でお産をやめて「婦人科」になってしまい、市内で出産できる病院は2つ。
パンク状態で里帰り出産は受け入れられない」とのことでした。
ですが、最初に地元で健診を受けており、里帰り出産を考えていると言っていたことを伝えると、予約を入れてもらうことができました。
夫は島外で出産することに納得していない様子でしたが、母子の命をかけてまで産婦人科のない島で自宅出産をしようとは思わないので、強行里帰りをしました。
時は流れ、出産予定前日の夜に陣痛が来たところまでは順調でしたが、朝になると子供の心拍が弱くなっていて緊急帝王切開になりました。
病院には母が付き添ってくれて別室で待機してくれていましたが、家族の朝の用意をするために帰っていたので
「すぐにおうちの方を呼んでください」と・・。
陣痛は1人で乗り越えられても、1人では手術が受けられない!!
これが沖縄だったらすぐにってわけにもいかなかったので、どうなっていたんだろう・・・と思います。
産後、島に戻ってから1年ほどは買い物以外ほとんど家から出ることもなく、支援センターに行くことも、保育園に預けることもできず、お酒も飲めないので独身時代の友達とも疎遠になり…
1日中こどもと二人きり、子供のお世話をして、合間でおんぶしながらの仕事なので思うように進まず、毎日イライラしながら生きていたところ、
内野が声をかけてくれてこのメンバーと出会い、
今に至ります。
みんな前向きなので、愚痴と言っても「こうすればいいのに!」「こんなのがあったらいいのに!」という妄想タラレバです。
そうして、島での育児の話をして行く中で、あるきっかけから町に陳情書を提出することになり、のちにあんまぁ〜ずとなるみんなが署名を集めてまわってくれて、1週間という短い期間で100名を超えるたくさんの方々の署名を集めることができました。
残念ながら、その時に通ったのは「広域保育」だけでした。
本命の小児の通院における交通費補助、乳幼児医療の拡大については見送りとなってしまいました。
ですが、島のお母さんたちに「わたしたちにも何かできるんだ!!」と、知ってもらういい機会にもなったと思います。
また、町議会に呼んでいただき、直接「育児中の母親たち」の意見に耳を傾けていただけたことは大きな一歩だった、と思いたいです。
時を経て、2人目の出産は地元の産婦人科はどちらも里帰り出産は受け入れ不可。沖縄での出産も検討しましたが、夫は1人で子供のお世話ができません。
幸い、予定帝王切開で、以前の手術で癒着があるということで、難産や緊急のお産のみを扱っている地元の総合病院に予約を入れてもらう事ができました。
上の子は広域保育を利用して、いとこたちと同じ保育園へ通園させることができました。
手術は日程が決まっているのでそれに合わせて1週間、夫も実家へ来て、手術予定日の前日から入院しましたが、なんと陣痛が来てしまい、深夜に緊急帝王切開。
またしても「おうちの方を呼んでください」と言われてしまいました。
それから、手術の準備ができるまでの陣痛の間、寝ぼけ眼の母と夫はボーッとして横のイスに座って陣痛に苦しむわたしを眺めていました・・。
無事に娘が産まれ、産後1ヶ月は実家で過ごしましたが、1人で赤ちゃんと魔の2歳男児を連れて飛行機にはとても乗れそうになく、両親にお供してもらい島に帰ってきました。
こういった、離島特有の苦労や出費はありますが、
子供を連れて長期里帰りしてみると、内地での外出時の心配やストレスは大きく、やはり島での育児はすごくのびのびしていていいなと思います。
また、頼れる父母が近くにいないため、ちょっとした時に困ったりしますが、保育園に連れていってくれたり、ごはんを作ってきてくれたり、飲み物を買ってきてくれたり、アニメのDVDを届けてくれる友人がいます。
島外からお嫁に来た人や移住してきた人たちは、みな同じ苦労を抱えていて、助けてくれます。
友人同士での助け合いは、島ならではのいいところだと思います。
不便だけど「島だから、仕方がない」と諦めている中でも、
たびんちゅだからこそ改善できる点に気づくこともあると思います。
こんなに子育てに適した環境の島なので、
「仕方がない」の不便さが少なくなっていけば、
もっとたくさんの人たちが島に帰ってきて、
子供が増えれば「小児科」も常設になるかもしれません。
小児科が常設になればもっと島に住む人が増えて、
もっと住みやすい島になっていくと思います。
あんまぁ〜ずは、そのきっかけになれたらいいなと思います。
あんまぁ〜ずのメンバー6人みな個性豊かですが、それぞれの特技を持ち合わせ、助け合い、力を合わせてがんばっています。
みなさまからたくさんのご支援、応援をいただき、
ますます気を引き締めて、がんばります!!
まだまだクラウドファンディングの期間も続きますが、どうか最後まで応援よろしくお願いします。
よろん出産子育て応援隊あんまぁ~ず
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