「ぬぐいぬち」プレイベントとして常磐倶楽部で開催している過去作品上映会。昨日は「アーティストトーク」を行いました!
来てくれた皆さんは何が知りたいのだろうという質問もさせていただきながら「自由料金制」「ぬぐいぬち」「FAAVO」について話したり、店主・西川さんからの質問に答えながら「家族のこと」「ここに来るまで」「おどりはいつ考えてるの」などもお話しました。
どうやったらあまり観劇などしない方にも興味を持ってもらえるのか?なども一緒に考えていただける時間になり、貴重な時間となりました。
参加していただいたるいままさんが記事にして下さって、自分のことながら感動してしまいました^^。許可をいただいて転載します。ありがとうございます!!
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るいままとしての365日
カタタチサト アーティストトークを聞く
昨日の昼下がり、ダンサー・カタタチサトのアーティストトークを聞く。彼女は「日常と非日常の境界はないと思うんです」と話した。
「カタタチサト」の名前は知らずとも、その動きを見たら「あ、瀬戸芸のとき栗林公園でみた」とか、「昔、美術館にきてたよね」とか思い出すに違いない。
それは、私たちが知りうる日常とはかけ離れた高い技術の身体表現で、
粘土や絵具で自己を表現する芸術家と同じように、身体という道具を使い、思いもよらぬ世界を作る。
プロダンサー集団「東雲舞踏」のメンバーとして、アジアやヨーロッパでパフォーマンス公演を重ねていた彼女が、高松に移住し、海の見えるまちで暮らしはじめたのは5年前。家族との移住だった。
ダンスを長くやっている人たちは、振り付けのパターンという言葉を使い、だいたい次にどう流れていくか予想が着くという。
ところが、私たちの予想をはるかに超えた身体表現をするこのダンサーは、単に音楽に合わせ踊るのではなく、身体中から音なき言葉を発する。
彼女の身体の後ろ側から、耳のあたりから、爪先の爪の裏からも、カタタチサトが溢れている。
この溢れんばかりのカタタチサトを、ここに根付かせ花ひらかせ、やがて綿毛にのったカタタチサトの種を世界に飛ばして欲しいと私は思う。
かたや、カタタチサトは、私たちがまだ気づいていない、ここにある小さな種を育て花ひらかせたいと思っている。
昨日は、そんなカタタチサトから、私たちが知ってるダンサーという部分だけじゃない日常も聞いた。
そこには、不器用に誠実に家族と暮らすひとりのお母さんがいた。
日々育ち変化する子どもたちと、あたふたしなが暮らすお母さんの時間と、ダンサーとして身体をつくり、ストイックに新しい作品を制作する時間は、一見 大きく解離しているように思う。
しかし、子どもたちのことを話す彼女の表情をみながら、ここにこそ、まさに「日常」と「非日常」を境界なくつないでいく豊かなる時間があるのだなと感じた。
もっと制作にかける時間が欲しい、もっと子どもと対話する時間を持たねば、その葛藤は間違いなくカタタチサトという芸術家を育てる。
初めて瀬戸内海をみた子どもたちは、「海からお山が生えている」と言ったそうだ。その言葉に、会場にいたおとなは、はっとした。
当たり前の日常は当たり前ではない。日常と非日常はぐるぐると繰り返される。
カタタチサト新作公演「ぬぐいぬち」は、5/19(金)~20(土)
18:30open 19:00start
高松常磐街 いろは市場 跡地。
チケットはなく、自由料金制。
「自由料金」とは、観客として得たこの日の感動料と、共に作品を育てるための未来への投資だと私は思っている。
あなたは、どう考えるだろうか?





