実は 本人は逃げ腰なのです。
昭和7年生まれの哲山は、インターネットのことは全くわかりません。
個展を開くのは 大それたこと。
どこかの偉い先生がされること。
自分ごときが、することではないと信じております。
謙遜は美徳の時代に生まれ育ってきた、昭和一桁人間です。
私は昭和の中ごろの生まれ。
インターネットを少しはかじり、一般の人が投稿されたYou Tubeの動画なども楽しく拝見させていただいております。
現在は、謙遜するよりも むしろ自分のできることを精いっぱいアピールするのが美徳ではないでしょうか。
腕が拙いことを恐れて、発表することもなく、倉庫の片隅に置いておかれる作品の山。
やがてそれらは埃をかぶって粗大ごみとなってしまう。
昨年、吉田町は水害に遭っています。
埃をかぶるだけならまだしも 水に浸ってしまっては、もう救いようがありません。
現在の状態なら、まだ作品も鑑賞していただけるし、本人も人前に出ることができるということで、個展開催を勧めました。
哲山は、最後まで個展を開くことに反対しました。
誰か自分を知っている人がこのことを聞いたら、恥知らずのことをしていると笑われるというのです。
誰が笑うの?、笑う人は誰?
と聞いてみたら、指折り数えて名前を挙げた方たちの大部分は、既に亡くなっておられました。
「たった一度の人生を
世間の顔色 うかがって
やりたいことも やらないで、
死んでいく身のくちおしさ。
どうせもらった命なら、
一花咲かせて 散っていく
サクラの花の潔さ。」
上の7行、斎藤一人さんの「仁義」から、言葉をお借りしています。
68年間頑張り続けた哲山の二日天下。
こんなに頑張ったよ!と 思い切り自慢させてただいて、
花道を去るつもりでおります。
この機会を与えられたことを 本当にありがたく思っております。
また、ご支援や たくさんの応援の言葉を頂きありがとうございました。
心から感謝しております。
以上で哲山ストーリーは 完