生きるために彫り 彫るために学んだ人生
昨日の続きです。
哲山は生きていくために ハンコを彫る技術を身につけました。
終戦後から昭和20年代にかけては、自分がどんな職業に就きたいかより、生きる為にとにかくやれることをするのが当たり前だったようです。
哲山が昔住んでいた大阪の家から 北野高等学校が見えたそうです。
北野高校は 阪大や京大に多くの卒業生を送り込み、現在も進学校として有名です。
秀才と一目置かれ、北野高校へ行くのが夢だった少年が、広島の田舎で農作業をし、学業をあきらめ、生計を立てるためにハンコを彫ることを職業としました。
一人の若者が、この現実を受け入れるのは、辛いことだったに違いありません。
しかし、当時は戦後の混乱にふりまわされた若者はたくさんいます。
出征したまま帰ってこれなかった人に比べたら、命があることだけでどんなにか幸せなことか。
哲山には家族もでき、吉田町で生活するようになった自分の運命を受け入れました。
しかし生来の勉強好き。
学びたいという思いは、刻字技術の腕を上げるという方向に向かい、通信教育で書道の勉強を続け、その後、有名な書道の先生につき練習に励むようになりました。
その後、ジャンルを書道から篆刻部門に変えて、さらに精進を続けてまいりました。
娘の私は、父の行動をまったく理解することができず、何のために、どうして、そんなに気合を入れて彫り続けるのだろうと思っておりました。
父の偉さが理解できるようになったのは、ごくごく最近のことです。
明日へ続きます。