幼くして運命に翻弄される
哲山は幼少期を大阪で過ごし、おぼっちゃまだったようです。
家は大きな印刷屋さんで、お札が山ほど置いてある一部屋があったとのこと。
ある日、その中のお札をつかんで、駄菓子屋へお菓子を買いに行ったら、お店の人がびっくりして家まで飛んでこられたそうです。
近くにお寺があり、その境内でいつも一人で猫と遊んでいたとのことです。
しかし、終戦後、縁のあった広島の安芸高田市吉田町の旧家、琴崎の家に跡取が必要な為、養子に取られることになりました。
この時点で哲山の運命は 大きく変わりました。
哲山は吉田町で その後の人生を送ることになります。
広島に来た最初の日、自分は半ズボンを履いているのに、どうしてみんな長いズボンをはいているのだろう?と不思議に思ったそうです。
昭和20年8月6日、原爆が落ちた時に発生するキノコ雲を実際に見ています。
数日後、広島市内まで身内の者を探しに行ったこともありました。
そして終戦。
それから戦後の混乱期が始まります。
終戦後の混乱期に便乗し、養父は、吉田町で新たな事業を起こそうとしますが失敗し、借金を背負うことになります。
哲山は進学校である三中へ行くことをあきらめ、近所にある吉田農業高校に進みました。
小さいころから秀才といわれ頭は良かったものの、農作業はからきしできないで、今でいうところのいじめにあって退学してしまったようです。
哲山の仕事は、養父の残した負債を支払うためにマイナスからスタートしました。
自分一人で生計を立てられるようになりたいと、印鑑を彫る技術を身につけました。
これが篆刻士 哲山のはじめの一歩となりました。
明日に続きます。