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安芸高田市吉田町に68年続いた、たった一軒しかないハンコ屋を守る。

広島県安芸高田市に琴崎哲山あり。刻字歴65年の名人が引退を決意。孫、信一郎へ刻字技術の一子相伝を試みるも老齢の為断念。信一郎はハンコ屋を絶やさぬ為、印章彫刻機を購入し祖父の後を継ぐ決意をする。機械購入代金の一部を支援して頂きたい。

現在の支援総額

316,000

105%

目標金額は300,000円

支援者数

34

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2019/04/01に募集を開始し、 34人の支援により 316,000円の資金を集め、 2019/05/15に募集を終了しました

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安芸高田市吉田町に68年続いた、たった一軒しかないハンコ屋を守る。

現在の支援総額

316,000

105%達成

終了

目標金額300,000

支援者数34

このプロジェクトは、2019/04/01に募集を開始し、 34人の支援により 316,000円の資金を集め、 2019/05/15に募集を終了しました

広島県安芸高田市に琴崎哲山あり。刻字歴65年の名人が引退を決意。孫、信一郎へ刻字技術の一子相伝を試みるも老齢の為断念。信一郎はハンコ屋を絶やさぬ為、印章彫刻機を購入し祖父の後を継ぐ決意をする。機械購入代金の一部を支援して頂きたい。

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幼くして運命に翻弄される

 

哲山は幼少期を大阪で過ごし、おぼっちゃまだったようです。

家は大きな印刷屋さんで、お札が山ほど置いてある一部屋があったとのこと。

ある日、その中のお札をつかんで、駄菓子屋へお菓子を買いに行ったら、お店の人がびっくりして家まで飛んでこられたそうです。

 

近くにお寺があり、その境内でいつも一人で猫と遊んでいたとのことです。

 

しかし、終戦後、縁のあった広島の安芸高田市吉田町の旧家、琴崎の家に跡取が必要な為、養子に取られることになりました。

 

この時点で哲山の運命は 大きく変わりました。

 

哲山は吉田町で その後の人生を送ることになります。

 

広島に来た最初の日、自分は半ズボンを履いているのに、どうしてみんな長いズボンをはいているのだろう?と不思議に思ったそうです。

 

昭和20年8月6日、原爆が落ちた時に発生するキノコ雲を実際に見ています。

 

数日後、広島市内まで身内の者を探しに行ったこともありました。 

そして終戦。

 

それから戦後の混乱期が始まります。

 

終戦後の混乱期に便乗し、養父は、吉田町で新たな事業を起こそうとしますが失敗し、借金を背負うことになります。

 

哲山は進学校である三中へ行くことをあきらめ、近所にある吉田農業高校に進みました。

 

小さいころから秀才といわれ頭は良かったものの、農作業はからきしできないで、今でいうところのいじめにあって退学してしまったようです。

 

哲山の仕事は、養父の残した負債を支払うためにマイナスからスタートしました。

 

自分一人で生計を立てられるようになりたいと、印鑑を彫る技術を身につけました。

 

これが篆刻士 哲山のはじめの一歩となりました。

 

 

 

明日に続きます。

 

 

 

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