2016/02/03 12:05

「ひょっとこ踊り」をご存知でしょうか。ひょうきんなお面を被った道化役の男性が、おかめ役の女性とともにコミカルな踊りを舞う民俗田楽の1つとして、多くの地域で伝承されています。ひょっとこは元々は「火吹き男」であり、竈や風呂釜などで火に竹筒で空気を吹く様子を表していると言います。

(画像をクリックすると動画が再生されます)

2016.1.31 炭焼きプロジェクトを開催しました

1月31日に開催した「炭焼きプロジェクト」は、まさに炭に火を着けることで地域に火を着ける、そんなひょっとこたちの宴でした。炭焼き師匠の菅波勇己さんと、山のことなら何でも知っている小林幹夫さん、そして郷土料理でもてなしてくれた秋元通さん・一子さんご夫妻。そんな地域の皆様のご厚意に甘えながら、いろいろなお話を伺いました。

参考記事:【3.11から4年】被災地ルポ 川内に自然公園を 秋元通さん 森林整備に汗 避難指示 解除地域

 まずは炭焼き窯の見学と出来上がった木炭の取り出し作業を、菅波師匠と弟子の関孝男さんの説明を受けながら始めます。年末から炭焼きを始めて、今回は3回目の木炭の取り出し(三番窯)だということで、ある程度時間を調整して今回のイベントに合わせていただきました。(炭窯を造る様子については、支援者限定レポートでお届けいたします。)

炭焼き再開に至るまでのエピソード

菅波さんと関さんの関係は、まさにスターウォーズのジェダイマスター(師匠)とパダワン(弟子)のようです。菅波師匠は「炭焼き日本一の村」の技術の最後の継承者なのですが、震災が起こって仮設住宅に避難し、もう一生炭焼きをすることもないだろうと炭窯を壊してしまっていました。しかし移住者である関さんの熱意によって、師匠は再び炭焼きを行なう決心をして、その技術を後継者へと引き継いでいくことになったのです。

今回もスターウォーズと同様にエピソード4から始めて、震災やそれ以前の村おこしプロジェクトなどの紆余曲折を含めて、エピソード1~3をまとめていきたいと考えています。

 川内村の木炭は、ナラやクヌギなどの広葉樹の黒炭が主です。日本農林規格(JAS)によって品質が厳格に定められ、とくに良いものは切り口が菊の模様に見えることから、「菊炭」と呼ばれて茶道や贈答用として使われます。低めの温度でゆっくりと水分を飛ばしていくのがポイントのようで、菅波師匠の熟練の技を早く盗んでいきたいと思います。

炭焼きを取り戻すことは、誇りを取り戻すこと。

実はピーク時には、今回の炭焼き窯の5-6倍の規模の窯で焼いていたそうです。そして大きな窯の方が、菊炭のような高品質のものがたくさんできるということで、是非とも窯を徐々に大きくしていく挑戦をしていきたいと考えています。

 印象的だったのは、炭焼きを復活させてから菅波師匠がみるみるうちに若返って、誇らしげな雰囲気を取り戻していったことです。年末に伺ったときよりも動きがしなやかで、表情も豊かになっていると感じました。

恐らく、全村避難による仮設住宅暮らしを経て村に戻ってくるまでの紆余曲折や、13歳から60年以上も続けてきた炭焼きに対する様々な想いが去来したのでしょう。最後には師匠の目に涙が浮かんでいました。(プライベートかつデリケートな問題を含むため、これらの経緯については支援者限定のレポートとして別途掲載したいと思います。)

引き続き、秋元通さんのお宅でいただいた郷土料理に関するレポートもお送りいたしますので、お楽しみに!