2015/12/07 16:59

最初に、痴漢抑止バッジを知った時には、「バッジで何をするの?」と思いました。どうやったら、バッジで痴漢問題を解決できるのか、想像がつかなかったんです。

イメージしたのが、駅のポスターにあるような「痴漢は犯罪です」といった表現だったせいかもしれません。痴漢加害者が、痴漢を犯罪だと知らないわけはないのに。分かってやっている人に、改めて「痴漢は犯罪です」と伝えるポスターって、何の意味があるんだろう? と、疑問でした。

あのポスターには、どこか他人事として捉えている、外野からの警告という印象がありますよね。

だけど、Stop痴漢バッジプロジェクトの発足経緯や、痴漢抑止バッジを考案したエピソードを聞いて、それまで自分が持っていた痴漢問題に対する意識が、ガラガラと変わりました。

私は、中学高校大学と女子校に通っていました。私も経験があるし、周囲の友達も痴漢にあっている子は大勢いました。学校の先生に被害を報告したり、相談したりという空気は、当時はありませんでした。
クラスメイトとは、休み時間に「今日も痴漢にあったよ」「手に爪を立ててひっかいちゃえば?」なんて言い合うのが精一杯で……。

友達同士で、痴漢に対する怒りをぶちまけているときは、反撃しちゃえ! という威勢のいい言葉もでるけど、実際に痴漢被害にあって、それをする勇気は、当時の私達にはありませんでした。

そもそも、「もし痴漢にあったら、~~~しよう!」という考えだったんです。痴漢にあうのが前提でした。それって、自分達が痴漢にあうのは仕方がないと、諦めて受け入れていたということです。

「自分の身は自分で守りなさい」と言われても、具体的にどうしたらいいのかは、誰にも教えてもらえなかったですし、相談もできずにいました。
一方的に痴漢行為を仕掛けてくる大人に、どう切り込んでいいのか分からなかったんです。

痴漢抑止バッジに書かれている「私たちは泣き寝入りしません」というコピーを見たときに「私もあの時に、イヤだ! って言ってよかったんだ……」と初めて気がつきました。

“女子中学生”“女子高校生”という枠組みの中にいた私たちは、見知らぬ大人に対して、自分の拒否権を発動するという発想がありませんでした。

痴漢抑止バッジは、被害にあってからガンバって勇気を出すのではなく、被害そのものを未然に防ぐという点が、これまでの痴漢対策や解決策と大きく違うと思いました。

これまでは、社会が「痴漢犯罪はあるもの」として受け入れた上で、対応策を考えていました。女性専用車両も、その発想でしょう。

だけど、女子中高校生が、世の中が「痴漢が存在するのは当たり前。仕方がない」と受け入れる必要はないんですよね。

誰かと闘ったりせずに、ただ「自らの意思・姿勢を周囲に伝える」。

それだけで、痴漢加害者から自分の身を守ることができるし、犯罪を減らし、冤罪被害を生むこともない。痴漢抑止バッジは、そんな強くて優しいツールなんですね。

「社会って、大人ってこういうものなんだ」と諦めることなく、自分が嫌なものに対しては「私は、それを拒みます」と表現する自由を誰もが持っています。

考案者の女子高校生のアイディアと行動は、痴漢問題だけでなく様々な「生きづらさ」への向き合い方を私に教えてくれました。

痴漢抑止バッジをきっかけに、誰もが生きやすい社会へ向けて少しずつ進んでいきますように!

田島 実可子(FAAVO事業部 コミュニティマネジメントチームチーフ)