2018/05/24 13:08

 

なんで脊髄損傷の私が、

わざわざ運営維持の難しい飲食店を

やろうとしてるのか?

 

 

もちろん儲けるためではありません。

 

働くお父さん。

 

うちの子供たちが知ってる

料理人のお父さんに戻るためです!

 

 

 

探せばいろんな仕事がどっさり見つかります。

でもほとんどが9:00〜18:00ぐらい。

 

じゃ、電車のドアが開いて混んでるところに

車いすの私が入ろうとしていたら、

乗車している方はどう思うでしょうか?

快く乗せてくれるでしょうか?

 

私が健康な時に

そんなとこに遭遇しませんでしたが、

おそらく車いすの人に対して

快くは思わなかったでしょう。

 

実際、バスでも電車でもエスカレーターでも、

混んでる時は乗りません。

空いてるまで「待ちます」。

待つことが当たり前の生活になりました。

 

役所とかでも雇ってくれるけど、

それは試験があって、しかも40歳以上は×。

で、それ以外はどうすりゃいいワケ?

 

 

このように、

仕事はあるけど働ける仕事は少ないんです。

 

 

 

私が店をやれば、

バリアフリーで多機能トイレが

もれなく付いてきます。

 

地主さんの協力で素敵な場所で店ができるし、

そこは高齢化が進んだ街で、

自分の経験した介護食の技術も生かせる。

沢山の方が応援してくれて

いろんなイベントも予定してるし、

農家の方も朝採れた野菜を持ってきてくれて、

車いすでひとり旅した時に出会った

四国の漁師さんが魚を送ってくれる。

 

でも、それをうまく回すのは

健康な人でも容易じゃない。

 

 

 

じゃ、それをわかってて何故?

 

 

 

それは…

この怪我をして何を一番最初に考えたかというと、自分の身体が治るのかとか、

足を動かすためには?とかじゃありません。

 

どうやったら家族を養っていけるか?です。

 

この怪我をすると、復帰できない職種がある。

 

 

 

退院してすぐに役所に行きました。

自分より前に中途障害になった人たちは、

どうやって生活してるのか?

仕事はどうしてるのか?

いろんなことを知りたかったからです。

 

しかし、

なんの情報も得ることはできませんでした。

 

 

 

医者に「もう二度と歩けません」と言われて

真っ暗闇になった目の前が、

真っ暗のままなんです。

 

どこへ行けば光か見えるのか?

脊髄損傷連合って団体も千葉市に支部があるけど、ここは千葉県北西部。

そこまで行くのに軽く2時間。

現実的じゃない。

 

人生の途中で、

身体が思うようにならない人がたくさんいます。

それは、もしかしたら

次にあなたが自転車に乗った時かもしれないし、

今日ベッドで横になって

目が覚めた時かもしれない。

誰もがそんな可能性があるのに、

目の前が真っ暗のままの人がたくさんいるんです。

 

 

わたしは、少しでも明かりを点けたい。

 

そして、障がい者・高齢者・健常者が

集まれる店をつくって、

街にコミュニティの輪を広げようと考えたんです。

 

 

店をやるなら居抜きを探すのが一般的です。

だけど俺は車いす。

ホールは広く・厨房は狭くが普通だけど、

狭い厨房じゃ働けないんだよ。

 

だから一から作るしかないの。

 

だから金がかかるの!

 

 

今まで誰もやったことがない珍しい事のようで、

助成金とかぜんぜん当てはまらないんです。

 

障害者雇用はあるのに

障害者が起業するときは何にもない。

 

だから支援をお願いしたり

クラウドファンディングをやったりしてるんです。

 

 

 

 

 

店の名前は「わっ嘉」。

 

嘉(か)の意味って、

よい・味がよい・めでたいだそうですね。

 

そして「わ」の意味は、

 

私が25年続けてきた和食の「和」

車いすの「輪」

人と人との「輪」です。

 

 

 

私は自分の進んでいる道に自信を持ってます‼︎