2015/07/07 13:18
 2011年の東日本大震災以来、全国に協力者を増やし続けている活動があります。その名は「福島ひまわり里親プロジェクト」 ひまわりの種を購入して里親として育ててもらい、種を福島に送り返してもらいます。その種は翌年福島で花開き、大勢の人を元気づけたり、再生可能エネルギーとして利用されたりしているプロジェクトです。4年間で日本全国に広がり続けているこの活動。2015年6月現在、このプロジェクトに参加した里親の数は、累計11万人。学校関係は累計1500校。日本中の全ての都道府県に広がる一大プロジェクトに成長しました。 実は、あまり知られてはいませんが、このプロジェクトは存亡の危機を迎えていた時期がありました。その危機から救ったのが、奇跡の歌「ひまわり」でした。以下は、このプロジェクトを行っている「NPO法人チームふくしま」理事の方の話です。 ----------------------------------------------- 2011年3月11日の東日本大震災で福島県は大きな被害を受けました。震災は、一瞬にして私たちの幸せを奪っていきました。「チームふくしま」の理事たちやその周りも、農業ができなくなり職を失った者、ふるさとを追われて家族が離れ離れになった者、母親が心労で亡くなった者、友人を亡くした者、家が壊れてしまった者・・・。予想だにしなかった事態に最初は絶望感を味わいました。でも、「このままではいけない!福島を何とかしたい!」その一心で、震災後、NPO法人化し復興活動を展開してきました。  2011年の5月から真っ先に取り組んだのは、ひまわりの種を買ってもらい、育てて採れた種を福島に送り返してもらうというプロジェクトでした。なぜひまわりだったのか。それは、当時、ひまわりが除染するという情報があったからです。  絶望の中に見えた一筋の光。それがひまわりでした。ひまわりを全国の里親さんに育ててもらい、とにかくたくさんの種を集めてそれを福島に播けば除染できる。そう信じて、活動を進めました。種を包む仕事をお願いした障害者就労支援事業所「和(なごみ)」の方たちからも感謝されました。彼らの仕事の大半であった饅頭等の箱折作業、農業のお手伝いのお仕事が全てストップしていました。  プロジェクトは順調でした。全国で大勢の方が手を挙げて里親さんになってくれました。「和(なごみ)」のみなさんもせっせと種を包む仕事をしました。福島県内でもひまわりを栽培して、夏には、それはそれはたくさんのひまわりの花が咲きました。暑さにも負けず元気に咲くひまわりは、まさに希望の光でした。  秋になると、全国の里親さんから種が続々と届き始めました。メッセージや絵も添えられていて元気をもらいました。「この種で来年はさらにたくさんの福島の土地の除染ができる!」  希望が膨らんだ矢先、農林水産省から耳を疑う発表がなされました。 「ひまわりは除染に効果なし」 そのニュースを聞いた時は、言葉も出ませんでした。まさか・・・。 震災が起き、絶望のどん底で見つけた、たった一つの希望。 折れそうになる心を奮い立たせ、みんなで支え合って育ててきたひまわりという希望。その光さえも、消えてしまいました。震災以来、2度目の絶望感を味わいました。  年が明けて、2012年になっても、福島内では、重苦しい空気が流れていました。 「ひまわりが除染しないのに来年度からこの活動を続けていく意味があるのか?」 「和(なごみ)のみなさんは仕事ができて喜んでくれている。しかし、この活動を続ける目的は?」 「急に方針を変えてひまわりを観光の目玉にすると言っても、そんなことで果たして人は来るのか?」 議論しても、議論しても結論はなかなか出ませんでした。 (→ その2に続きます)