2016/03/24 22:12

 

皆様こんにちは。


このプロジェクトの起案をしました、蓬莱淳です。
沢山のご支援に心から感謝いたします。

 

このプロジェクトも残り一週間を切りました。
既にご支援いただいた皆様や、ご支援を検討して頂いている方に、
改めて、「ふるさと」や龍野への想いをお伝えしたく、投稿させていただきます。

 


私がこのプロジェクトの起案に至った出発点は、『郷土誌ふるさと龍野』という冊子との出会いでした。
その冊子を読み、芸者さんの文化を始め、龍野の文化や歴史に惹かれていきました。
中でも、岡本みつ子さんの取材記事が衝撃的だったのは言うまでもありません。

 

江戸時代から近代の日本は、女性の社会進出が大きな社会性を持っていました。

ふるさとを営まれていた岡本さんは最後の龍野芸者でした。
芸者さんは、今でいうコンパニオンやエンターテイナーといった存在。
芸者さんになるといってすぐになれるものではなく、お師匠さんに弟子入りして芸のスキルを上げないと、お客さんの前で披露することはできません。
日本舞踊や三味線など様々な芸を身につけなければなりませんが、龍野にはそれができる人が大勢いらっしゃったそうです。

 

また、明治には西洋医学が発展し、医師を育成するための医学校が各地に開設されます。
そんな時代に、龍野では女医がいた記録が残っています。
それだけでなく、龍野には子守さん(今でいうベビーシッター)の職業訓練校もあったそうで、これは全国的に見ても異例のことです。
このような歴史的な背景から、龍野の文化レベルの高さを感じずにはいられません。

 

 

私の好きな町は数多くありますが、龍野ほど物語の出てくる町は知りません。

龍野には生きた町のコミュニティがあります。
地域にお住まいの大勢の方とお話させていただきましたが、
「誰々さんが言っていた」、「誰々さんのお父さんが言っていた」と、
町の歴史が人から人へ言い伝えられ、古い時代のお話が今でも沢山残っています。


プロジェクトの舞台「ふるさと」の物件でも、
そこに住んでいた人の事を伝えて、聞いて、覚えている人が大勢いらっしゃいました。

そんな方々にお会いするたびに、「町を愛している人が沢山いる」と肌で感じました。

 

 

 ↑先日開催した内覧会での一枚

 

 

私は、ふるさとに再び明かりをともすことによって、人の行き来する場所にしたいと考えています。
かつて、ふるさとの面する通り沿いには、市役所、裁判所、銀行、病院、商店が並んでいました。
今はとても静かな通りとなってしまいましたが、この場所を起点に人々の行き交う場所が増えてほしいと願っています。

 

また、ふるさとには飲食店以外の機能も持たせたいと考えています。

現在龍野では、他地域からの移住希望者や海外からの観光客の方が増加しつつあります。
かつてカウンターに立ち、大勢のお客さんをもてなしていた接客業のプロ・岡本さんに習い、
岡本さんの人との接し方や、その記憶力の良さを伝えることで、龍野の案内人を育てたり、

 

地元の方たちの生きた町のコミュニティに触れる事ができる環境で、
新たに龍野城下町へ入ろうと考えている方たちが、町の方と交流し学べる場所にしたい

と考えています。

 

 

このプロジェクトを進めて行く中で、物件の取得に関しても、賛同してくださる方々のご協力があり、
ワークショップで協力してくれる職人さんや、改装を担当してくださった大工さんなど
大勢の方にご尽力いただきました。

 

しかし、このプロジェクトはまだまだ進行中です。
私たちはもっと大勢の仲間と、このふるさとを作っていきたいと思っています。
ぜひ、このクラウドファンディングをきっかけと捉え、
私たちとふるさとに関わって頂きたいと考えています。

 

 

 ↑先日の内覧会で「ふるさと」の看板に再び明かりが灯りました。

 

 

最後になりましたが、プロジェクトの達成にはまだまだご支援が必要です!!

 

ご支援いただいた皆様には感謝いたしますとともに、
引き続き、このプロジェクトへのご支援・ご協力をお願い致します。

 

終了まであと少し。

皆様のお力添え、よろしくお願い致します!!