第二の八尾を目指して
能登飯田の「おわら街流し」を守りたい!!
能登半島の最先端、珠洲市飯田町で私たちは八尾の方々の助けを借りながら、ひっそりとおわら街流しを続けてきました。飯田町の中心街、鄙びた街並みに八尾の「おわら」がとても似合います。
「おわら」といえば「越中八尾 のおわら風の盆」。富山県の八尾町では毎年9月の1日から3日まで「越中おわら節」の唄と踊りで街流しをすることで知られています。3日間で毎年30万人もの人が訪れます。
「越中おわら節」は八尾町で育った民謡です。養蚕(ようさん)で賑わった山間の町の粋なお座敷などで「ひょうきんな」歌詞などを付けて唄われていました。それにいつの間にか踊りがついて、「風の盆」というちょっと風情のある名前とともに街頭で歌い踊られるようになったということです。その街頭踊りの起源を江戸時代に求めるという説もあり、それには興味深い物語が付いているようです。
「風の盆」という素敵な名前がどうやって生まれたのか・・・・。
街流しは「唄と三味線」から始まったと言われています。
もちろん、現在のあの八尾の洗練された街流しは一夜で生まれたものではありません。芸者さんの風情を生かしつつ、若い娘さんたちを踊りの輪に加えるために尽力した方々の物語が今でも八尾では語り継がれています。
鼻先まで落とした深い編笠ーそのせいでスッキリと見える襟足、見えそうで見えない踊り手の顔ー揺れるカンザシ、編笠の赤い紐と草履の赤い鼻緒が、高く低く続く鼓弓の音色と絡み合いながら、踊り流しが「しとやか」に流れていきます。
「おわらの編笠は深く被る」今も「顎(あご)しか見せてはいけない」という鉄則が踊り手の間にちゃんと守られているのです。
風の盆発祥の地「聞名寺さん」が とりもつ ご縁
飯田の町に越中八尾の街流しがやって来たのは平成7年のことでした。乗光寺という真宗の寺が本堂の屋根を改修した「落慶法要」の時、八尾の「おわら」を招待したのが始まりです。風の盆発祥の地、聞名寺さんが取り持つご縁でした。
もともと「おわら節」はこの飯田町でも盛んで、まだレコードが庶民の手に入らなかった時代、盆踊りでは地元の民謡と共に「おわら節」が歌われていました。「今、おわらを歌う年寄りは、皆、昔その盆踊りで覚えた」と古老が語るのを聞いたことがあります。
そんな街にやってきた本場のおわら。
私たちが魅せられたのは故あることだったのかもしれません。それから「飯田おわら会」を結成するまでに約半年。以来、毎年聞名寺講中の方々の助けを借りて、飯田町で「おわら街流し」を続けて、今年で22回を数えます。
「おわら節を八尾に伝えたのはじつは能登」そんな話を古老から聞いたのもその頃でした。
民謡は流れ行くもの・・・・そして、根付かせた土地と共に育つもの。いつしか私たちは「飯田の町を第二の八尾に」という大それた夢を持ったのです。
継続は力です。
「昔の八尾を思い出す」
「素朴な手作り感がなんとも言えない」
と毎年訪ねてくれるファンの方も生まれています。
本当にあと一歩!!
飯田おわら は別名「念仏おわら」と呼ばれています。
乗光寺の落慶法要で、初めて見た「念仏おわら」に感動した私たちは「飯田おわら」の一つの柱を「念仏おわら」としました。
風の盆発祥の地、八尾の聞名寺さんから、乗光寺の本堂の落慶をご縁にして手渡された大切な「おわらの心」です。
以来私たちは毎年「八尾の聞名寺講中の方々」をお迎えして、飯田風の盆を続けてきました。
乗光寺の舞台で始まり、乗光寺の山門を出て、商店街を流して乗光寺に戻り、最後は「念仏おわら」で閉める。そんな形がいつの間にか出来上がっていったのです。
立ち上がりの時期に飯田町にある御隣山(ごりんざん−お隣のお寺)にご協力いただいたのも、とても有り難いことと、一同深く感謝しています。
飯田おわら会の練習風景
結成から22年八尾に負けない踊り手や地方(じかた・唄や三味線)が育っています。
この「おわら」は一回で約百万円の予算を必要とします。
その主なものは、舞台の設置や音響の借り上げ、チラシ等の案内の作成と、どれを取っても省けるものはありません。
それでも十年前までは、毎年少しづつの余剰金を生んでいました。しかし最初に消えたのが、商店会や町内会の団体の寄付でした。そして、その頃からお店のシャッターが目立ち始めたのです。
年々厳しくなる資金の調達
それと同時に個別の商店の寄付が減り始め、一時は百万円近くあった余剰金がだんだん少なくなっていったのです。それでも支出を切り詰めつつ、続けてきましたが、昨年で余剰金はほぼ底を尽きました。会員の負担金を増やしても、今年を越せるかどうか・・・・、たいへん厳しい状況を迎えて、頭を悩ませていたその時に私たちは「クラウドファンド」の存在を知りました。もう少し早くに知っていたら・・・と悔やまれてなりません。
チャレンジするには遅すぎることは十分承知していますが、知ったのが遅かったのだから、どうすることもできません。
日本地図を広げると、朝鮮半島の付け根の東南に位置する、大きな半島がありますが、それが能登半島で、その先端の市が珠洲市です。
グーグルマップ
珠洲原発を巡る政争の町に住む私たちが癒された「おわら」との出会い
この町はかつて、原発計画があって、政争の町でした。しかし、約20年の闘争の末に、立地条件の悪さと、反対の多さで、計画は消えていきました。バブルの崩壊後の景気の低迷で、効率の悪い場所からの電力を必要としなくなったのが主な理由です。
その政争の最中に飯田町におわらがやって来たのです。
反対派も賛成派も「おわら」の美しさに魅せられました。お互いに協力しあって、行政の力を借りずに、新しいことが始められ、そして続けられたのは、この「おわら」が、多分、ただ一つだったと思います。
観光客が少しづつ増え始め、時には観光バスが入るようになったこの頃、この「第二の八尾」を目指す夢は、そのまま、新しい町づくりを市民の手で考えていく夢でもあります。
なんとかして「続けたい」というのが私たちの願です。
聞名寺講中の方々の助けを借りながらここまで続けてきましたが、ここが踏ん張り処と私たちは考えています。第二の八尾の実現まで、おわらの存続にご協力を頂きますよう、心からお願いいたします。
今年は10月1日(土)です。
今年も八尾の聞名寺講中の方々を迎えて飯田町で街流しを行います。
(雨天は乗光寺の本堂で行われます)
ぜひ見に来てください。
どこにもない私たちの「おわら」です。
連絡先 おわら街流し実行委員会本部
石川県珠洲市飯田町12-24乗光寺
担当理事:落合誓子
問い合わせ先:落合 080-8699-4040
Facebook:https://www.facebook.com/iidaowara/
一般社団法人珠洲青年会議所さんから応援コメントを頂きました。
20年以上の歴史を築いてきた飯田おわら会の皆様。それを支えてきた地域。地域を盛り上げるための活動を地域が支える。そのバランスが人口減少や高齢化などにより崩れてきています。そんな中、今回はクラウドファンディングによって全国に協賛してくれる仲間を集い能登の先端から今まで以上に元気にしていこうとチャレンジされています。我々も地方から、自ら地域を盛り上げて行こうという考え、活動に賛同し応援したいと思います。皆様の応援をお願いすると共に、これを機会に珠洲へ「飯田風の盆」を感じに来ていただけますようお待ちしております。
最新の活動報告
もっと見る私たちの「八尾おわら風の盆」は聞名寺の本堂から始まります。
2016/09/16 01:329月2日 「飯田おわら会」も八尾の風の盆で聞名寺の舞台に立ちました。 聞名寺のおわらは厳粛な雰囲気なのはこのお寺の重厚さから来ているのかもしれません。ここで演じる事で「技を磨いてきた」人たちの思いに圧倒されます。 聞名寺の横の階段を降りると広がる街の光景があります。 街のおわら・・・・・。妙になつかしい気持ちになるのはなぜなのでしょうか。 街のおわらはゆったりと流れます。 聞名寺の厳粛なおわらと街のおわら その両方があって「八尾のおわら」なのだと感じるこの頃・・・。 民謡は流れていくもの、そして愛された街で育つもの。ちょっと違った「飯田おわら」 そんな風にして私たちのおわらも育っていけば良いなぁ・・・と感じます。愛された街でちょっとづつ違ったおわらが、お互いに相手を認めつつ、広がっていけば素敵だなぁと・・・・・。きっと そうなると、なんとなく思えてくる 私たちの八尾おわら風の盆でした。 もっと見る