皆様、こんにちは!日頃は、清水エスパルスの活動にご理解、ご協力いただき、誠にありがとうございます。
おかげさまで、清水エスパルスは今年、クラブ創設25周年を迎えることができました。
▲クラブ創設時の写真(1992年)
Jリーグ開幕10チーム中唯一、企業母体を持たない市民クラブとしてJリーグ加盟が承認された清水エスパルスは、1992年7月4日にクラブ初の対外試合としてガンバ大阪(大阪・長居)と対戦しました。
▲クラブ初の対外試合「清水エスパルス vs ガンバ大阪」(1992年7月4日、大阪・長居)
以来、7月4日を『エスパルスの誕生日』と定めています。
地域の皆様をはじめ、エスパルスを熱く応援してくださるファン・サポーター、株主・スポンサー企業、行政、サッカー協会など多くの関係者の方々に支えられ、今から約20年前にはクラブ運営会社の経営危機などがありながら、それらを乗り越え、止まることなく今日まで歩んでくることができました。
もちろん、勝負の世界ですから「勝つこと」「強くなること」を追求していかなければいけません。
その一方で、Jリーグが『百年構想』と掲げるように、エスパルスがこの静岡という地域に根付くスポーツクラブとして未来永劫存続し、次世代にも“エスパルスがあるから楽しめるもの”を享受してもらいたいと思っています。
そんなクラブの“四半世紀”をまとめた記念誌を、ファン・サポーターの皆様と一緒に作ることができないかと考え、このたびプロジェクトを立ち上げました。
【本プロジェクト 目次】
◆ファン・サポーター、スポンサーと一緒につくる
◆感謝と次世代への思い
◆記念誌概要(案)
◆支援金の用途
◆スケジュール
◆トークイベント概要(予定)
◆記念誌ご芳名掲出注意事項
◆支援の方法
◆応援コメント、備考欄、修正方法
◆OB選手が振り返る25年・大榎克己氏
◆OB選手が振り返る25年・市川大祐氏
今回は、単にクラブが周年記念誌を発行するのではなく、クラウドファンディング(FAAVO)を活用して、エスパルスを応援してくださる方々のご賛同を得て、その賛同の輪が大きくなる様子も見えて、一緒に形にしていこうというプロセスを大事にしたいと考えています。
「資金が不足しているからその調達のため」ではありません。
クラブもこのプロジェクトで儲けるのではなく、必要最低限の出版関連費用として皆様から頂戴し、クラブが責任を持って形にしたいと考えています。
今回成立したあかつきには、支援者様のお名前を記念誌内に掲載し、御礼の品として1冊お送りさせていただきます(※7,500円以上の支援者様対象)。
記念誌を一般販売する予定は無いので、このプロジェクトでしか手に入らない「非売品」です。
目標金額に到達できない場合は、出版制作が中止となるので、皆様一人ひとりのお力添えで支援の輪を広げることがとても重要になります。
また、今回のプロジェクトでは、エスパルスのスポンサーの静岡新聞社様にご協力をいただき、過去の新聞記事を活用させていただけることになりました。
▲静岡新聞の記事をまとめた「25周年記念誌」
※イメージ
過去の新聞記事は、『社会の重要な財産』です。
これは時間が経てば経つほど、そしてデジタル全盛の今日以前の記事であればなおさら価値の高いものです。
クラブが誕生する前の記事も含めて、エスパルスの情報を地域に発信し続けてくれた静岡新聞の記事25年分となると膨大な量となるため、選ぶ必要があります。
そこで、今回支援される際、ご希望があれば読んでみたい記事(出来事)を「応援コメント」に書き込んで、あなたも“編集者”の一員になってください。
ご自身のエスパルスの思い出など、皆様のご意見を参考に編集を進めていきます。
▲エスパルス主な出来事(1998年まで)
今、エスパルスが存在するのは、多くの諸先輩方のご尽力、ご活躍のおかげであり、それを応援してくれる方々の支援があったからです。
▲静岡新聞朝刊(掲載日:1991年4月24日)
25年以上前、「サッカーへの熱い想い」を持った当時の学校の先生や地域の指導者をはじめとした方々が集結しクラブの基礎をつくりました。
クラブができた後は、当時の選手やスタッフがその想いを引き継いできました。
ただ、25年も経てば、選手やスタッフはもちろん、スポンサーの担当者など関係者の皆様も“世代交代”しています。
ファン・サポーターの皆様もそうかもしれません。
その功績や出来事を後世にしっかりと受け継ぐことも、エスパルスの歴史において必要なことなのではないでしょうか。
単に“昔は良かった、強かった”だけではなく、これからのエスパルスをより良くするために、先人の方々に感謝の気持ちを込めて。
25年目は、これから続くであろう長いクラブの歴史の一通過点ですが、一つの節目だからこそ、少し立ち止まり振り返り、次世代につなぐための“バトン”を一緒につくりませんか。
下記もご確認ください。
二人のOB選手からコメントをいただきました!
≪記念誌概要(案)≫
A4サイズ/約200頁/カラー
①前文、目次、巻頭インタビューほか
②クラブ創設時前後から現在までの各シーズンを新聞記事などで紹介
③静岡新聞社の歴代エスパルス”番記者”(担当記者)によるコラムほか
④謝辞、ご芳名掲出(支援者様)ほか
≪支援金の用途≫
出版制作費用他 5,400,000円
FAAVO手数料 1,600,000円(支援額の20%)
イベント費用他 1,000,000円
合計 8,000,000円
※約1,000冊の場合
≪スケジュール≫
5月13日(土) FAAVOにて支援者募集開始
6月13日(火) FAAVOの支援者募集締切
7月~8月 25周年記念誌 編集作業
7月4日(火) OB選手参加のトークイベント
“編集会議”開催予定
※エスパルスの誕生日
9月 25周年記念誌 印刷
10月中旬 25周年記念誌 発送
≪トークイベント概要(予定)≫
トークイベント“編集会議”
OB選手によるトークイベントを開催。
この25年のエスパルスの様々な出来事を、当事者だから知ること、今だから話せることなど、たくさん語っていただきます!
質問タイムでは皆様がOB選手から話を引き出してください。
トーク内容を記念誌編集の参考にさせていただきます。
■日時
2017年7月4日(火)19:00~21:00
■場所
静岡市民文化会館
(静岡市葵区駿府町2番90号)
■備考
・参加するOB選手等のイベント詳細は、後日改めてご案内いたします。
・トークイベントの際、参加者様とOB選手との全体の記念撮影を行います。この写真は25周年記念誌に掲載予定です。
・クラウドファンディングが達成できない場合は、記念誌出版もトークイベントも中止となります。
≪記念誌ご芳名掲載注意事項≫
「清水エスパルス25周年記念誌」へのご芳名掲載について、下記を必ずご確認ください。
①表記の順番は、支援日時順になります。
②支援金額に応じてご芳名のサイズが異なります。
2,500円 サイズ:小(記念誌なし)
5,000円 サイズ:小( 〃 なし)
7,500円 サイズ:小(記念誌あり)
10,000円 サイズ:中( 〃 あり)
25,000円 サイズ:大( 〃 あり)
③基本的には「FAAVO会員登録時に使用した公開名(応援コメントで表記される名前)」での掲載となります。変更希望もしくはご芳名掲載辞退の方は必ず備考欄にその旨をお書き込みください。
④表記のお名前は、漢字・ひらがな・カタカナ・ローマ字・数字を使用し、25文字以内です。また、システムの関係で2文字以下の入力はエラー表示となりますので、例えばお名前フルネームが漢字2文字の方などは、ひらがなで入力のうえ、備考欄に漢字でお書き込みください。
⑤記号やマークなどは使用不可です。
⑥目標金額に達した場合、支援募集期間終了後、レポートにご芳名一覧を掲載いたします。支援申込済なのに万が一ご芳名掲載が無い場合は、6月30日(金)までにメールにてご連絡ください。
※エスパルスよりレポートをアップすると、支援者様に、「新規レポートUP」のメールが届くようになっています。パソコンからのメールを受け付けない設定になっている場合は、設定解除をお願いいたします。
「応援コメント」「備考欄」入力画面(支援コース確認画面と同じページに出てきます)
≪支援の方法≫
①支援コースを選ぶ
②FAAVOへログイン(ログインは、フェイスブック、ツイッター、メールの
どれかを選択)
③FAAVO会員登録
④支援コース確認と共に、応援コメント(思い出の試合、もう一度見たいプレー、
読みたい新聞記事)、備考欄(備考欄は必要な場合のみ)を入力
⑤支援者様(ご自身)情報の確認
⑥お申し込みの支援コースと、お届け先の住所など確認
⑦カード(VISA、MasterCard、JCB、Diners)を選択
⑧カード情報を入力→お申込みの確定
⑨FAAVO運営本部から、「お申込み受付ました」メールが届く
↓ここからは、目標額が集まり達成した場合のみ発生
⑩支援期間終了後の翌日(6月14日)に、FAAVO運営本部から
「決済されました」メールが届く
⑪支援した金額が、翌月(7月)にカード決済される
※カード会社によっては、6月末の決済の場合もあります
決済の詳しい時期は、各カード会社様へ、お問い合わせください
≪応援コメント、備考欄 修正方法≫
本プロジェクトが公開期間中は、FAAVOマイページにて、応援コメントや備考欄の修正が可能です。修正方法は下記にてご確認ください。
二人のOB選手からコメントをいただきました!
■大榎克己氏
(清水エスパルス プロ契約第1号)
▲1991年の静岡新聞の記事を読む大榎氏
1991年2月にJリーグ参加の10クラブが発表になって、自分はどこでプレーするかを悩んだことを覚えています。
当時、ヤマハ発動機(現 ジュビロ磐田)に所属していて、お世話になったヤマハを離れる心苦しさと地元・清水への想いの間で悩みましたが、最終的にはエスパルスを選択しました。
自分は”清水”に育ててもらって、「地元出身の自分が帰らないと」という使命感があったのだと思います。
自分がエスパルスを選んで清水に戻った時点(1991年4月頃)では、選手も揃っていなくてチームは存在しませんでした。
本当に“0(ゼロ)”からのスタート。
選手も練習施設も何も無かった状態でした。
最初は母校(清水東高)や東海大一高(現 東海大学付属静岡翔洋高)で高校生に混じって練習していました。
当時、東海大一高にはテル(伊東輝悦選手)や服部(服部年宏氏・ジュビロ磐田強化部長)が高校生でプレーしていました。
選手が揃っていなかったので、自分は選手のスカウト活動もしていました。
ノボリ(澤登正朗氏・常葉大学浜松キャンパスサッカー部監督)や平岡(平岡宏章氏・清水エスパルス ユース監督)らが当時大学生で、静岡に遠征に来た時などに一緒に食事しながら、卒業後のエスパルス入りを誘ったことを記憶しています。
Jリーグの理念である『地域密着』を体現するクラブとして、当時は「エスパルスの成功が、Jリーグの成功」と言われていました。
多くの方々に支えられて、ゼロからのクラブがここまで成長できたことは本当にすごいことです。この地域だからこそできたクラブだと思います。
■市川大祐氏
(清水エスパルス ジュニアユース1期生)
▲1991年の静岡新聞の記事を読む市川氏
この頃(1991年)、自分は小学5年生で清水FCに所属していました。
当時の目標は「高校選手権での活躍」。
静岡・清水の高校が出場すれば全国優勝していた時代で、テレビで観ていて自分もこのピッチに立ちたいと思いましたし、まさに憧れの舞台でした。
三渡洲アデミールさん(東海大一高出身/元清水エスパルス)の“バナナシュート”が強く印象に残っています。
そのような中、地元にプロサッカークラブができたことで、自分の目標が「プロサッカー選手」に変わりました。それくらい大きな出来事で、小学校の卒業文集にそう書いていました。
1993年にエスパルスの育成組織のジュニアユースに入りました。
当時、エスパルスの試合のボールパーソン(試合時、スローインなどを行う選手にボールを供給する役割)をやって、プロ選手のプレーを目の前で見て、自分の目標は「プロサッカー選手」ということが明確になったことを覚えています。
その後、ユース(高校年代)に昇格し、高校3年時にはユース所属ながらトップチームの開幕戦(札幌戦)にスタメンで出場する機会を得ました。
春季キャンプからトップチームに合流していて、トップでもやれる自信はありましたが、後半の早い時間で途中交代して悔しさのあまり控室で泣きました。
高校生でプロの試合に出ることは大きな経験かもしれませんが、当時の自分は開幕スタメンとしての責任も感じていたし、ただ出るだけではなく、それ以上のものを求めていたと思います。
「プロは甘くない、もっとやらないと」と強く思い、ただ悔しさしかなかったです。
開幕から2試合先発出場したあと、クラブスタッフから代表招集の話がありました。
当時、ユースやオリンピック年代の代表に呼ばれていて、どのカテゴリーか確認したら、「フル代表だよ」と言われてとても驚きました。
その数か月前(1997年11月)に日本代表がW杯初出場(1998年仏大会)を決めて、まさか自分がその中に加わるとは思いもしませんでした。
代表選出の翌日の練習場にはものすごい数の報道陣の方がいて、新聞の見出しに自分の名前が載るなんて信じられなかったです。
最終的に仏W杯のメンバーには選ばれませんでしたが、そのままチームに帯同し、高校生ながら大きな経験をさせてもらいました。
この経験は、あくまでも“連れてきてもらった”もので、“自分で掴んだ”ものではないと思っています。色々な方々のおかげであり、本当に感謝しています。
ファン・サポーター、スポンサー、OB選手など、皆様の力を合わせて、一緒に『クラブ創設25周年記念誌企画』を実現しましょう!
皆様の応援をよろしくお願いいたします! !
最新の活動報告
もっと見る感謝
2017/11/16 12:08完成した清水エスパルス25周年記念誌(右)。※左は、20周年記念本 この度は、清水エスパルスのクラブ創設25周年企画『ファン・サポーターとともにつくる、清水エスパルス25周年記念誌』プロジェクトにご協力いただき、誠にありがとうございます。 7,500円コース以上でご参加の皆様には、10月下旬より「25周年記念誌」のお届けを開始し、おかげさまで無事に発送作業は完了しました。 (配送会社より不在連絡票が届いている場合は、お手数ですが、配送会社へご連絡いただき、お受け取りいただけますようお願い申し上げます。) 今回皆様の想いが結集し、多くの大切な資金が集まったことで、当初想定していた内容以上の記念誌の制作に取り組むことができました。 コンセプトや中身は異なりますが、5年前に発刊した「清水エスパルス20周年記念本」と同等の体裁をイメージしました。 【25周年記念誌】当初より変更点 ・インタビュー企画の追加(岡崎慎司選手、戸田和幸氏、澤登正朗氏ほか ※掲載順) ・取材企画の追加(「清水エスパルス誕生へのみちのり」) ・掲載する過去の新聞記事の追加(ページ数の増加) ・「ケース入り」に変更 ・上記規格変更に伴う25周年記念誌専用発送ダンボールの手配 など また、静岡新聞社様のご協力により、エスパルスだけではまとめ伝えきれない、1992年の「クラブの誕生」や97年の「クラブ存続の危機」などの大きな出来事において、過去の新聞記事を活用させていただくことで、当時ご尽力された多くの方々の想いを少しでも表現し、クラブの歴史を形に残すことができました。心より御礼申し上げます。 皆様、次の“新しい歴史”に向けて、引き続き、清水エスパルスをよろしくお願いいたします。 もっと見る
25周年記念誌 完成!
2017/10/28 11:36この度は、清水エスパルスのクラブ創設25周年企画『ファン・サポーターとともにつくる、清水エスパルス25周年記念誌』プロジェクトにご協力いただき、誠にありがとうございます。 大変お待たせいたしました! おかげさまで、ようやく「清水エスパルス25周年記念誌」が完成しました。多くの皆様からご賛同をいただき、その想いを形にすることができ、心より御礼申し上げます。 現在、順次お届け作業を行なっており、来週はじめ(10/31まで)にはすべての発送が完了する予定です。今しばらくお待ちください。 引き続き、よろしくお願いいたします。 もっと見る
エスパルス25周年記念誌のお届けについて
2017/10/10 20:06この度は、清水エスパルスのクラブ創設25周年企画『ファン・サポーターとともにつくる、清水エスパルス25周年記念誌』プロジェクトにご協力いただき、誠にありがとうございます。 本プロジェクト成立以降、記念誌発刊に向けて準備を進めており、ようやく今月(10月)下旬から11月初旬に皆様のもとに記念誌をお届けできる状況になりました。 当初のお届けは10月中旬を想定しており、楽しみにされていた方には遅れて大変申し訳ございません。ただ、単に過去の新聞記事をシーズンごとにまとめるだけではなく、いくつかのtopicsにおいてOBや関係者にインタビューを実施するなど、質・量ともに当初よりもレベルアップしたものになりました! 25周年記念誌概要(一部) (1)「世界への挑戦」(インタビュー記事) エスパルスで活躍し、その後世界に挑戦した方々にインタビュー。エスパルス時代に何を感じ、何を学び、何を考えてプレーしていたか。彼らの経験談は、特に次世代の選手への最良のアドバイスとなる。 (2)清水エスパルス誕生へのみちのり 「サッカーのまち清水」と呼ばれる以前、清水のサッカー関係者の想いは「打倒藤枝」。どのように清水のサッカーが発展していき、その後、母体企業が無く当時Jリーグ唯一の市民クラブとして清水エスパルスは生まれたのか。清水のサッカーの歩みをたどり、その理由に迫る。 (3)エスパルス、日本を代表するクラブへ 様々なOBにインタビューを実施。どの方にも共通していた内容は、サッカーを取り巻く「静岡の土地柄や環境」について。単に、プレーする環境や指導者が揃っていたからだけではなく、静岡に漂う”良い意味の『緊張感』”が選手のメンタリティと自己評価基準を高めていた。 ===== 上記以外にも、シーズンごとの新聞記事も読みごたえがあり、特に90年代の記事は長年のエスパルスファンには懐かしく、若い世代にとっては新鮮で新たな発見があると思います。 25周年記念誌の完成まで今しばらくお待ちください! もっと見る