私は助産師です。
助産師は昔は「産婆」と呼ばれていました。
島に戻ってきてすぐは私も「お産婆さんね」って呼ばれることも多かったです。しかし、今はほとんどそう呼ばれることはありませんね。
徳之島では私たちの年代の人は自宅でお産婆さんがお手伝いして生まれている時代でしたので、自宅でのお産を語ってくる方も私が島に帰ってきたころは多くいました。
各集落にはお産婆さんがいて、妊娠、出産、子育てについてずーと見守ってくれる存在だったようです。
私は病院で働いていましたが、いつかは地域に出たいな、産婆さんみたいな存在になれたらなあ、と思っていました。
それが徳之島に帰ってきて、ここならできると思いました。今までは病院に働きながら、新生児訪問や命の出前講座に出向いていましたが、病院の助産師も増えてきたので、そろそろ地域へ出る時期がやってきたと思いました。
助産院=分娩とイメージしがちですが、ここでは分娩を取り扱うことは今のところ考えていません。産むところは島には他にあるからです。
島になくて、でもニーズを感じていることをやれたらいいなと思っています。
最近は産後ケアなども注目され、助産院も再認識されています。また、my助産師をつくろうとか、ネウボラ、子育て世代包括センターの設置など、私がやりたいことと時代がマッチしてきた感じがあります。
また、徳之島ではハイリスクの妊産婦の管理ができないこともあり、鹿児島等で出産をして子どもはNICUに入り退院まで母子分離が長期になることもあり、その間の母乳のサポートや心理的サポートまたは退院して帰ってきてからの育児技術のサポートなども必要だと思います。
最近ニュースにもなった17歳の女の子が出産して遺棄してつかまった事件。無責任!と思いがちですが、妊娠について相談できる場所、人がいたら、こんなことにはならなかったのではと思います。
知識もあって、手立てを知っていて、お金を確保できる子は中絶して、捕まることはないのに、知識がなく、相談できない子はギリギリのところを生きて、結果、捕まってしまう。。そんな現状をどうにかしたい。。せめて、相談してもらえる場所を作りたいと思います。
思春期相談、妊娠SOS、妊活相談、育児相談、母乳相談、などなど何でも受けます。
そして生まれてきた子どもたち、ママたち、家族をず―っと見守っていくこと。
新しいカタチの助産院なのですが、
実は昔から日本にいたお産婆さんのカタチなのです。。
クラファンもあと1か月、心引き締めていきたいと思います。