2020/07/30 22:22

本日AM7時30分にプロジェクトが無事開始しました。

初めての事で、不安を抱えながらドキドキしておりましたが、支えてくださる方々がたくさん周りの人に情報発信してくださったり、お世話になっている方々が温かく背中を押してくださったり、まだお会いした事がないけれどひばくポンプさんが繋いでくれたご縁から優しく応援してくださる方、初日から驚くほどたくさんの方々から温かい応援、ご支援をいただき感激しております。
本当にありがとうございます。
たくさんの人たちへ『ひばくポンプ』を届けることができるよう、どうぞ応援よろしくお願いいたします。


【ひばくポンプに関わる大切な人たちからコメントをいただきました】


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被爆ポンプを守り続ける

ピースボランティアガイド・被爆体験伝承者

永原富明さま(73)

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被爆ポンプは知っている。

私が広島駅前にある被爆ポンプを知ったのは2005年ごろです。

赤茶けた手押しポンプは被爆しているかも...と思い近所の商店など

聞くもほとんど知らない。やっと3名の証言者に出会いました。

戦前は、空襲で火災の火を消す為に地元の人々がポンプを設置され

たとの事です。

原爆投下後の広島駅前は焼け野原で多くの犠牲者が出ました。

やがて駅前はヤミ市場、物売り、原爆孤児など悲惨でした。

広島は奇跡の復興を遂げましたが、焼け跡に立つ被爆ポンプは当時の様子

を全て知っています。

どうぞ絵本をご覧頂き、広島の出来事を忘れないでください。


原爆投下後、間もなく被爆ポンプのお水を飲んだ

 西村泰司さま(83)

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どうしてポンプさんと出逢ったの?

それは身内3名が広島で原爆の犠牲になったのを知り、3名の捜索に行ったのです。

今では汽車はJRですが当時は国鉄と呼んでいました。石炭列車、蒸気機関車でした。

呉駅より広島駅に向かったのですが、何か事故でもあったのでしょう

海田市駅迄で広島駅まで不通でした。

広島駅まで歩き、喉は乾きからからでした。

その時出逢ったのが、

今でも手を合わせ拝む被爆ポンプ様です。


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 高橋道夫さま(左)と反田豊昭さま(右)

観光アシスタントひろしま副会長
ヒロシマピースボランティア 反田豊昭さま(写真右)

「ひばくポンプ」出版に寄せて
その「被爆ポンプ」はJR広島駅近くの電車通りに面した歩道の端にひっそりと佇んでいます。ハンドルはとっくになくなってポンプにも錆が浮き「被爆ポンプです。残して下さい。永原富明」と書かれた手書きのカードが吊り下げられています。「被爆ポンプです」と書いていなければ誰にも気づかれることはないでしょう。実はこの被爆ポンプのすぐそばにあるのが行きつけの「だるま寿司」です。友人や家人と伊勢に行く時に必ず目にするこの被爆ポンプ、見るたびに朽ちていく様子にいつも「なんとか保存できたらいいのに」などと話していました。そんな中で昨年の7月の中国新聞に「被爆ポンプ調べて絵本に」というタイトルで、絵本を手にする笑顔の母娘の記事が大きく掲載されました。私は「ヒロシマピースボランティア」や「観光アシスタントひろしま」などのボランティア活動をしていますので関心があり、熱心な小学生がいるものだと感心して活動資料にと思ってスクラップしておきました。
 話は変わって広島市の飲食街に「権兵衛」という老舗のおでん屋さんがあります。ここも昔からよく通う店です。ある時、店主夫妻の何気ない会話で「明日取材があるんですよ」というのでてっきりお店の取材だろうと思ったら「被爆ポンプの絵本のことで娘の取材なんです」とのこと。「エー!あの新聞に載った小学生の?」とビックリ仰天。また被爆ポンプに吊り下げられているカードの永原富明さんは私と同じヒロシマピースボランティアで別の曜日グループで活動しておられる方であることも知りました。
 その後お母さんの瞳さんから「美空の作った絵本を印刷して広島市内の小学校に寄贈して多くの子供さん達に読んでもらいたいけどどうしたらいいでしょうか?」と相談を受けました。たまたま私はかつてある食品会社で企画・広報部門を担当しておりましたので旧知の印刷会社に電話で相談すると「是非うちで手伝わせて下さい」とのこと。早速美空ちゃんとお母さん、デザイナーなどを交えて企画会議が開かれました。その後も何度か打ち合わせを行い原作者である美空ちゃんの被爆ポンプへの思いを聞き出しながら企画が進められました。
 一方で多くの方から支援をいただいて絵本を出版したいとのお父さんお母さんの思いでクラウドファンデイングを立ち上げる話も進み美空ちゃんの「ひばくポンプ」の絵本が出版される運びとなりました。
 被爆から75年の節目の今年、残念ながらコロナウィルスの影響で被爆・平和関連の行事は軒並み中止や規模縮小となりました。そんな中で錆びついて誰からも見向きもされない被爆ポンプが「爆弾と一粒のキャラメル、どっちがええか」と問いかけます。
 たまたま見かけた被爆ポンプを通して小学生の美空ちゃんが感じた平和への純粋な思いが一人でも多くの皆さんに伝わり広がっていきますように。


第一美術印刷株式会社 専務取締役 高橋道夫さん(写真左)
※紹介文 児玉 瞳

「広島だからできる、広島でしかできない平和発信ができる製品づくりを皆と取り組みたい」

第一美術印刷株式会社さんは、平和への祈りを込めて世界中から捧げられた折り鶴に新しい命を吹き込む「折り鶴再生紙」を使ったグッズを開発されるなど、エコや平和に関してとても真剣に取り組まれておられる会社です。その製品はこれから広島の多くのショップに取り扱われる予定です。
 絵本づくりでは、まだ実現するかどうか分からない段階から素人の私たちの思いを親身になって聞いてくださり、丁寧なアドバイスを下さいました。美空も私も初めての事で分からない事だらけだったのですが、じっくりと美空の願いを聞いて下さり、特に絵本に使用する用紙は、手にとった子供さんがめくりやすいように、そして怪我をしないよう、さらに重たすぎないようにという美空の希望でしたが、その用紙の一枚から親身になってサンプルを一枚一枚触らせてもらい、選ばせてもらいました。

そして祈りの込められた貴重な「折り鶴再生紙」を絵本に使いたいという願いも叶えて下さいました。この「折り鶴再生紙」は表紙をめくってすぐの所の「見返し」という部分に使わせてもらっています。初めての絵本出版は最初から最後までこだわりを聞いていただきました。

第一美術印刷さんだったから、美空の思い描いた最高の形の絵本を作っていただけるのだと思います。