(こちらのnoteにも投稿しています)
「ウガンダの料理はとても美味しいです。
ただ一つ言いたいのは『味が濃い』。」
という始まりで前回記事を書きました。(料理から見えるウガンダの歴史)
今日、友達と話していて悲しいことも分かったので同じ話題を書くことにしました。
私が住んでいるグル県にはアチョリという民族が住んでいます。
食材は魚や肉も食べますが野菜中心でとてもヘルシーです。
すごくレパートリーも豊富で、美味しい民族料理ナンバーワンといっても過言ではないのではとも思うほどです。(私は民族料理をそこまで知りません)
しかし、気になるのは上記の通り、味が濃い、つまり塩や砂糖、加えて油を大量に使うということです。
前回の記事では調味料が使われるようになった背景として、先進国が持ち込み、多く消費するよう宣伝したと書きましたが、別の理由があるようです。
(以下、あくまで友達から聞いた話で、アチョリの場合です。)
1990年代から2000年代初めにかけて、紛争(LRA vs 政府軍)によりたくさんの国内避難民キャンプがありました。そして国連が支援のためにウガンダに入ってきて様々な物資を提供します。
その中に塩、砂糖、油がありました。
もともとアチョリは塩や砂糖を使う文化はありませんでした。今でこそ大量の砂糖を入れた紅茶を朝食として飲む文化が定着していますが、当時は外国から来た人の文化であり、一般の人は前日の残りを朝食とし農業に行くのが習慣だったようです。調理の際も、食材の本来の味を楽しむために塩は使っていませんでした。
油を使う文化はありましたが、一般的な人は高級なサラダ油を使っていませんでした。何を使っていたのか。それは”ごま油”です。
ごま油は日本食のイメージがあるかもしれませんが、ウガンダ北部はゴマの産地のため、料理にもたくさんのゴマを使ったものが存在し、ゴマから出る油を活用して調理します。それだけでなく、ゴマを石ですり潰し、少量の水とこねることで油を搾りだし、ごま油を生成していました。ウガンダは今でも9割の国民が農業に従事しており、高級なサラダ油を買わなくても自給で自分の農地からとることが出来たのです。
しかし、援助が入り、無料で大量生産された安価な砂糖、塩、油が無料で配られ、それに慣れてしまった人々は昔の習慣をほぼ失ってしまいました。
今でも貧しい小さな村の人々はその習慣を続けている人もいますが、ほとんどの人が貧しくてもお金を絞り出し、砂糖、塩、油を買っています。
また以前、ポショ(ポショ、ポショとは?)についても紹介しましたが、ホワイトポショの定着も援助がきっかけです。援助の際は保存のできるものを大量に支援することが多いため、新鮮で栄養素の多いオーディナリーポショではなく、栄養素を削り長期保存を可能にしたホワイトポショが配布されました。その結果上記の調味料同様、人々はホワイトポショ(の便利さ)に慣れてしまったようです。
支援によって生まれる負の側面の一つは文化や習慣を壊してしまうことです。(別の支援の難しさも以前紹介しました)いい意味でとらえれば”進歩”(早さ、便利さ重視)ともいえるかもしれませんが、これによってアチョリの寿命は短くなり、病気になる人も増えたようです。
教えてくれた友達は「以前のアチョリの食習慣に戻ってほしい」と話していました。
せっかくこんなに素敵な、世界に発信できる文化があるのに、西欧化して世界共通に近づいてしまうのは悲しいしもったいないことだと思います。
アチョリ料理の魅力に気付いて誇りに思っているアチョリの人々はたくさんいるので、当時の文化は忘れず、可能な限り続けて、受け継いでいってほしいなと思います。