リターン品の中に含まれている青パパイヤです。うお助さんの隣の畑に植えてあります。完全無農薬、完熟堆肥のみで育てています。5月中旬に植えてから、スクスクと育っていて、もうすぐ背丈を超えそうです。ちょうど、クラウドファンディングが終わる頃には、収穫できそうです!青パパイヤ大好きな人、フィリピン料理に関心のある人にオススメのリターンです。
本日の中日新聞の朝刊、津市民版に掲載していただきました。私の想いを客観的に表現されていると思うので、是非読んでください。新しい地域活性化のために一石を投じたいので、皆様のご支援をまだまだ受け付けています。既に、ご支援いただいた皆様は、シェア等していただきますと更にありがたいです。また、支援の輪を広げるために、FBグループページも作成しました。活用していただけますように!!倉田
昔の倭村の地図を持ってきてくれたおじさんがいます。子供の頃、はす向かいに住んでいて、色々なことを教えてもらったおじさんです。そのおじさんは、今90歳くらいなのですが、戦争中に名古屋の学校から母型の実家を頼って疎開してきて、こちらで終戦を迎えられたそうです。そのおじさんの話によると、終戦の年の6月にこの上空でB29に日本の空母が体当たりしたという事件があったそうです。その時に、B29は惣谷池に、日本の空母は大三に墜落したそうです。私は、地図にある佐田駅(現在の榊原温泉口駅)の近くに住んでいるのですが、その線路の高架にB29から落ちてきたドラムが転がったそうです。また、別の叔父さんからは、子供の頃に上級生に連れられて線路沿いを惣谷池まで歩いていき、B29のガラスの破片を拾ったことがあると話していました。当時空襲警報が出ていたため、子供たちは学校を休んでいたところ、上空での出来事にみんな「これはえらいことや」とハラハラしたそうです。おじさんは、炎上しながら旋回して空母が墜落する様子を昨日のことのように語ってくれました。こんな田舎でも、戦争の時にそんな出来事が起こったとは、今の平和な暮らしからは想像もつきません。しかし、さらに驚いたことは、B29に乗っていた乗組員のうち、1名が生き残っていたということで。その生き残った米兵を警察が連行して旧倭村役場に連れていき、応急処置を受けてその後、榊原にある病院へ歩いて連れていかれたということです。旧倭村役場に入って右側に応接室があり、その中に木の棚があります。私は、購入した当時、直感で薬などを備蓄していたのではないかと思っていましたが、この話を聞く限りそれは当たっているようです。そこが、救護室的な役割を果たしていたのでしょう。本当に、その歴史を垣間見れるような、旧倭村役場をその雰囲気のまま活用していきたいなぁと改めて思っています。皆様ご支援、よろしくお願いします。
毎週日曜日、9:30~1時間程度掃除をしています。今日は、夏本番とあって、私以外に4人しか集まりませんでした。が、2回の控室にあった古い畳を階段から落とし、友人のおばあちゃんちから頂いてきた比較的新しめの中古の畳に置き換え、ほこりをモップなどで掃除しました。女2人で9枚の畳を猛暑の中2階に運ぶのは、相当きつかったです。が、畳がきれいになって、控室も使えそうな感じがしてきました。中古なので、ぴったりというわけにはいきませんでしたが、これはこれでなかなか味があります。空いたところは、板張りにしようか、家具を置こうか…考え中です!来週はお盆でお休みですが、23日には、この窓に貼ってある防犯用の?選挙ポスター台を外したいと思っています。力持ちの男性の方が参加していただけるとありがたいです!!倉田
本日の夕方に、朝日新聞デジタルに倭村の記事がアップされました。https://www.asahi.com/articles/ASN84354CN7VONFB00N.html?iref=pc_ss_date 地域のシンボルであり、古き良き時代のゆっくりとした時の流れのある空間であり、沢山の笑顔であふれている場所にしたいと思っています。どうか、ご支援をお願いします!!倉田