昔の倭村の地図を持ってきてくれたおじさんがいます。子供の頃、はす向かいに住んでいて、色々なことを教えてもらったおじさんです。そのおじさんは、今90歳くらいなのですが、戦争中に名古屋の学校から母型の実家を頼って疎開してきて、こちらで終戦を迎えられたそうです。そのおじさんの話によると、終戦の年の6月にこの上空でB29に日本の空母が体当たりしたという事件があったそうです。その時に、B29は惣谷池に、日本の空母は大三に墜落したそうです。私は、地図にある佐田駅(現在の榊原温泉口駅)の近くに住んでいるのですが、その線路の高架にB29から落ちてきたドラムが転がったそうです。また、別の叔父さんからは、子供の頃に上級生に連れられて線路沿いを惣谷池まで歩いていき、B29のガラスの破片を拾ったことがあると話していました。当時空襲警報が出ていたため、子供たちは学校を休んでいたところ、上空での出来事にみんな「これはえらいことや」とハラハラしたそうです。おじさんは、炎上しながら旋回して空母が墜落する様子を昨日のことのように語ってくれました。こんな田舎でも、戦争の時にそんな出来事が起こったとは、今の平和な暮らしからは想像もつきません。しかし、さらに驚いたことは、B29に乗っていた乗組員のうち、1名が生き残っていたということで。その生き残った米兵を警察が連行して旧倭村役場に連れていき、応急処置を受けてその後、榊原にある病院へ歩いて連れていかれたということです。旧倭村役場に入って右側に応接室があり、その中に木の棚があります。私は、購入した当時、直感で薬などを備蓄していたのではないかと思っていましたが、この話を聞く限りそれは当たっているようです。そこが、救護室的な役割を果たしていたのでしょう。本当に、その歴史を垣間見れるような、旧倭村役場をその雰囲気のまま活用していきたいなぁと改めて思っています。皆様ご支援、よろしくお願いします。