2020/08/27 23:37

※写真は、2003年のバザー広場会場でのデビット・クレイパッチ。


これまで、まつりつくばがホテルオークラ(現・JALシティ)の前までで、中央通りを挟んだ北側のエリアには人気が全くなく、往来のなかったところに大道芸の力で会場を延伸するチャレンジをしたのが2003年のこと。

当時のメイン会場は、バザー広場の真ん中のくぼみでした。

アルスの前に、空中ブランコを置いて、橋を渡ってもらうという英断をしたものです。


ちなみに、当時、まだつくばエクスプレスも開通前、中央公園も改修前でした。


そこから、今やエキスポセンター前や中央公園の水上ステージまで広範囲にわたり、まつりつくばの北側エリアを網羅する8万人の来場者を抱える一大アートフェスティバルとなるまでの軌跡を振り返っています。


私たちが作ろうとしたのは、大道芸をやる、ではなくて、大道芸フェスティバルをやる、でした。


橋本プロデューサーと組むにあたり、みんなが通る、ヨーロッパのフェスティバルのあのビデオ鑑賞。笑

ヨーロッパの、フランスのオリアックという街をあげたアートフェスティバルのビデオです。

一年分の稼ぎをそのフェスティバル期間だけで実現してしまう、というのです。

ただ屋台で食べ物を買って終わり、という日本のまつりと、私たちが橋本さんと目指したアートフェスティバルとは別の次元のものでした。

商工会青年部は焼きそばを焼いて、ビールを売るのが定番。本業は様々で、ある意味プロ集団である商工会青年部のポテンシャルを生かせていない。

それが、今につながるのです・・・



ヘブンアーティストができる前の出来事「テアトルドリュー東京2001」という上野公園でのフェスティバルの話や、石原慎太郎元都知事との話。ヘブンアーティストとライセンス制度が石原知事により命名されたこと。


その流れが、さらに大道芸をアートとして認識されていく流れが加速していき、今や日本全国から大道芸ファンの皆さんが遊びに来てくれるようなフェスティバルの一つとなりました。


もう、青年から、おじさんとなっちゃった(笑)我らが重鎮さまとのトークをお楽しみください!!



とーっても長いので、ラジオ代わりに聞いてくださいませ。


街づくりとアートとのかかわり方が見えてくる、とっても良い話が聞けますよ。