ご無沙汰しております。映画『宮城野』監督の山﨑達璽です。
久々の活動報告になります。
これまでの活動報告やメールでも共有してきた通りですが、『宮城野』インターナショナル版は無事に完成し、現在もアメリカ/イギリス/オーストラリアのAmazonプライムで配信が続いています。
また、日本でも『宮城野(ディレクターズカット/インターナショナル版)』として、2024年9月より配信が始まっています。
https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0D6X5Q452/ref=atv_dp_share_cu_r
そして今年、作品を取り巻く空気に、はっきりとした変化を感じています。
今年、日本での視聴が大きく伸びています
今年は、大河ドラマ『べらぼう』の影響もあり、日本での視聴者数が目に見えて増えました。
平均すると1日15人前後、多い日には1日130人近く。
特に最終回に向けて盛り上がった直近2週間ほどは、毎日100人前後の方にご覧いただいています。
江戸の町人文化や浮世絵への関心が、いま改めて高まっていることを実感しています。
加えて、歌舞伎や古典文化への注目という点では、映画『国宝』の影響も少なからずあるのかもしれません。
『べらぼう』と『宮城野』──いくつかの明確な共通点
ここからは、監督としての視点になります。
まず、事実として明確に言える点から。
写楽の代表作といえば、一般的には『三代目大谷鬼次の江戸兵衛』が圧倒的に有名です。
しかし『べらぼう』で印象的に扱われたのは、『中山富三郎の宮城野』でした。
さらに、そのモデルとなった歌舞伎役者・中山富三郎本人(坂口涼太郎)が劇中に登場する。
これは偶然とは言い切れない選択だと感じています。
ここからは「印象」として感じたこと
蔦屋重三郎の妻・おてい(橋本愛)の自己犠牲的な在り方は、女郎・宮城野の生き方をどこか彷彿とさせませんか。
これはあくまで私の印象ですが、強く重なるものを感じました。
写楽=「入れ替え可能な存在」という発想
映画『宮城野』のエピローグには、原作には存在しない、映画オリジナルの台詞があります。
「確かに世間じゃあ、写楽は謎のお人だ。首をちょいとすげ替えたとこで、誰も気づきやしねえ。本物とニセモノの境なんてものぁ、とっくのとうに消えてなくなっちまった。写楽そのものが、洒落臭え戯れ言よ」
これは、國村隼さん演じる「東洲斎写楽とおぼしき男」が、片岡愛之助さん演じる「新生・東洲斎写楽(矢太郎)」に言い放つ言葉です。
この台詞を、もし「写楽」を「一橋さま」に置き換えて聞いたら……少し、背筋がぞくっとしませんか。(笑)
「写楽絵はコピペ」という発想
『べらぼう』では、「写楽絵はコピペのようなもの」というナレーションが入りました。
一方、『宮城野』では、矢太郎が“パーツのお手本集”を見ながら描いていくという見せ方をしています。
発想は異なりますが、「写楽とは何か」「オリジナリティとは何か」を問い直す方向性は、
かなり近いところにあると感じています。
栄松斎長喜という存在
もうひとつ。
『宮城野』で、女郎・宮城野が最後に取る客に「長喜先生」と呼びかける人物が登場します。
これは、浮世絵師 栄松斎長喜(えいしょうさい ちょうき) を指しています。
『べらぼう』でも、彼はしっかり登場します(岡崎体育)。
長喜の代表作『高島おひさ』の団扇には、写楽の絵が描かれている。
つまり、長喜は写楽の正体を知っていた、あるいは少なくとも親しい関係にあった可能性がある。
この関係性をどう読むか。
そこに想像の余地が残されている点も、両作品に共通しているように思います。
ぜひ、行き来しながら楽しんでください
『べらぼう』は12月29日に総集編が放送されます。
その前でも、後でも構いません。
『べらぼう』と『宮城野』を行き来しながら観ていただくと、きっと作品世界の解像度が一段上がるはずです。
そして、もし「面白い」「つながった」と感じていただけたら、ぜひSNSでシェアして、一緒に盛り上げてください!!
時間が経ったからこそ
『宮城野』は2008年(平成20年)に完成した作品です。
決して新作ではありません。
それでも私は、この映画は色褪せるどころか、いま、ますます輝きを増していると自負しています。
改めて、支援者の皆さまに心より感謝申し上げます。
また動きがあれば、活動報告でお知らせします。
山﨑達璽






