意外に寒い和歌山
寒い日が続いておりますが皆様いかがお過ごしでしょうか?
古座川町は本州最南端の串本町に隣接する町なので温暖なイメージでしたが、いざ住んでみると朝晩の冷え込みが厳しく驚いています。つい最近は隣の集落にある気象庁の観測所では最近-3.4℃を記録したようです。山間部だからこんなに冷え込むのかと思っていたのですが、集落の方の話ではこの12月は近年稀にみる寒さっだったようです。家屋は北海道ほどの防寒仕様にはなっていないので、部屋の中は札幌より寒いんじゃないかと思います。
そんな寒さが続いていたので、この周辺では滅多に積もることの無い雪がうっすらと積もった光景を目にすることが出来ました。平井集落ではすぐに溶けてしまったようですが、研究林内の山の上では長い時間雪が残っていました。
間伐の進行具合を見に行っただけで手がかじかんでしまいました。この寒い中、山の中で間伐作業をしていただいている職員の皆様にも感謝です。
拡大造林期
さて前回まで木炭の歴史を見てきて、エネルギー革命と共に木炭製造が衰退し広葉樹の需要も減少したところまで説明してきました。ここからは、急速に針葉樹の植林が進められた拡大造林期の話をしたいと思います。
針葉樹人工林が急速に広がった背景には大きく2つの要因がありました。1つは国土保全です。もう一つが、木材需要の変化です。
戦時中の軍需物資の供出に伴う大量伐採と、それに続く戦後復興のための大量伐採によって、戦中・戦後の日本の森林は酷く荒廃していました。その結果、昭和20年代から30年代にかけて日本各地で荒廃に伴う山地災害が発生するようになり、速やかに国土緑化を行う必要がありました。また、エネルギー革命に伴い薪炭材にする広葉樹の需要が減る一方、復興に必要な建材や梱包材のための針葉樹材の需要が増加していました。このような経緯から成長速度が比較的速く、建材や梱包材としても優秀なスギ・ヒノキの一斉造林が開始されました。
このグラフは日本の人工林の年齢別の面積を表したグラフです(2012年時点, 林野庁平成25年度林業白書の数値を参考に作成)。横軸が森林の年齢で縦軸が面積です。拡大造林が最も盛んだった1950年代から1960年代にかけて植えられた部分が非常に大きな割合を占めていることが分かります。また、一般的な人工林の"収穫"時期は植えてから50年程度とされており、当時植栽された人工林がまさに今、収穫時期に達しています。その一方で国内林業は衰退してしまった(その経緯は次回以降にお話しします。)ため、この豊富な資源をどう利用するかが問題となっています。
さらに、このグラフの重要な問題点は面積の分布に偏りがあることです。収穫時期にある森林は沢山あっても、将来利用できる森林が少ないと安定的な国産材供給が出来ません。そのため、利用期に達した森林を利用して、新たに植栽しておく必要があります。ちょうど人間の少子高齢化が問題になっているように、日本の針葉樹人工林でも少子高齢化が深刻になっているわけです。
次回からは、なぜこの大量の資源が使われずに蓄積してしまったのかお話したいと思います。
2020年は誠にお世話になりました。来年からもどうぞよろしくお願いします。
さて、2020年はコロナで思い通りにならない日々を過ごした方が多かったのではないでしょうか?僕自身、同級生が一人もいない和歌山研究林に所属し、県外に出ることができない1年間は非常に心細く感じました。しかしながら、クラウドファンディングを通じ皆様との関係を築いたことで、森林の抱える問題を世に広めるという非常にやりがいのある仕事に関わることができ、有意義な時間が過ごせたと思っております。プロジェクトは来年以降が本番です。ここからさらに力を入れて取り組んでいきたいと思いますので、どうぞ来年からもよろしくお願いします。
それでは皆様、良いお年を!
2020年12月31日 井口光