はじめまして!19期の新歓代表、たいせいです。
僕からはコロナ禍でいかに新歓活動を行なったかを話させていただこうと思います。
(文章がとても長くなってしまったので、飛ばしながら読んでいただければと思います…)
・自ら選んだ新歓代表
FreeDの新歓代表は、代々「渉外」という係から1人選ばれています。渉外というのは五月祭や駒場祭など、大学の学祭の会議にて、FreeDのステージ時間を確保するために、委員会や他のサークルと交渉したりなど、外部組織との交渉を主に行う係です。
毎年男女1人ずつの2人で渉外は構成され、そして新歓代表はそのうちの女子が務めることが例年の慣習でした。
僕はその例年の慣習を破って、「新歓代表をやらせて欲しい」と自ら名乗り出ました。
なぜ新歓代表がやりたかった、というと単純に「後輩が好き」だからです。正直にいって、僕の同期を見てて、「俺より後輩好きなやついねえな」と思ってます。慢心ですかね笑。でも本当にそれぐらい後輩が好きで、血の繋がっていない弟や妹のように感じています。そんな後輩の中でも特に、4月に新しく入ってくる新入生も大好きです。新しく大学に入ってきた新入生と沢山話すとき、楽しくて仕方ないんです。
そんな僕は、「他の人に新歓代表やらせるぐらいなら、1番後輩や新入生に愛があると自負する俺がやりたい」などと偉そうな考え方の元、新歓代表に名乗り出ることにしたのです。こんなこと考えていたのは同期に言ったことなかったので、これを見て「なんだコイツ」って思われてるかもしれませんね笑
でも、本当に後輩が好きで、後輩と喋るのが大好きな僕だからこそ、たくさんの新入生を呼び込むことができるのではないか、そしてその新入生みんなが入ってよかったと思えるような新歓活動を行えるのではないかと思い、最高の新歓活動を作り上げることを決意したのです。
・コロナ禍の到来
さて、そんなやる気満々で新歓代表を引き継いだ僕に襲いかかったのは、そう、新型コロナウイルスです。皆さんも思っているかもしれませんがここで改めて言わせていただきましょう。「コロナふざけんな」と。
コロナウイルスは、新歓活動が3月から4月へと本格化していくのに合わせたかのように蔓延していきました。僕が準備していたことが全て水の泡になっていったのです。
FreeDは他大学とのインカレサークルなので、新歓活動も東大だけでなく、様々な大学で行っています。そのための準備として、いろんな女子大に走り回って資料の提出をしたり、女子大に所属するメンバーに資料を持ってくるようお願いしたり、説明会や新歓本番のために予定を沢山空けておいたり…
コロナの到来で、それまで僕がやっていたことは全て無駄になりました。
悲しく、虚しかった。
それだけではありません。コロナ禍で3月末にFreeDの対面での活動が禁止になり、4月に予定していた新歓のメインイベント、「体験練習」も中止になりました。
僕は呆然としていたのを覚えています。
準備していたことが全て無駄になった。でも新入生は入れないとFreeDの未来が無くなってしまう。どうしよう。
何も出来ずに1日1日が経っていきました。
でもやっぱり頑張らなくちゃ。僕の背中を押してくれたのは、未来の新入生に会いたい、という気持ちでした。
コロナ禍で大変なのは新入生も同じ。僕たちが積極的に動いて新入生の目に入れば、サークルの情報がなかなか入らないで困っている新入生のためにもなるのではないかと思いました。
そんな僕は、4月入ってすぐにはじまった、大学のオンライン授業を参考にし、zoomでの座談会を提案したり、芸能人がよくやっているインスタライブにも手を出したりしました。
オンラインでやれることは全てやってやろう、そんな気持ちでした。
実際に4月の頭にはオンラインでの座談会やインスタライブを行い、結果としては、座談会には40人ほどの新入生が参加してくれました。
その後も座談会だけでなく、オンラインでの体験練習を行ったり、同じ大学や他大学の団体が主催する合同新歓への参加をしたりとさまざまな活動を行いました。
座談会に毎回来てくれてた人や、インスタライブで質問をしてくれた人がいてくれて、本当に励みになっていたのを覚えています。(今や21期であるみんなのおかげだよ!本当にありがとう!)
その後5月に入ってからは、座談会と体験練習を2回ずつ行い、インスタライブは毎週末にメンバーを変えながら継続して行いました。体験練習や座談会への参加者は右肩上がり。全部で合わせて約90名の新入生が参加してくれました。
僕たちは5月末に予定していた新入生の入部申し込み締め切りに向けて、順調にイベントをこなしていき、多くの新入生からのリーチを獲得することができていました。
・降りかかる災難
そんな折、最後に災難が降りかかったのをよく覚えています。
新入生の受付締め切りは5/23(土)の23時59分。その当日、僕はそれまでに入部フォームがちゃんと提出できていることの確認メールを一人一人に送っていました。そんな作業も終わりに差し掛かった夕暮れ、母親が「おじいちゃんが危ない」の一言。
新歓代表として最後にやらなくちゃいけないことが残っているのになんでこんな時に…と思いながらも、横浜の家から僕の故郷の千葉県印西市まで車を走らせました。
僕たちが大学病院についた頃には、祖父は亡くなっていました。
父方も母方も祖父母が健在だった僕は、初めて人の死を眼前にし、悲しみに暮れました。
災難は止まることを知りません。
盲腸を発症した僕は翌週から入院。手術することになったのです。
術後の痛みと祖父を亡くした悲しみを、1人病院のベッドで感じ、なんでこうなるんだ、と絶望感に襲われていたのを覚えています。
そんな時支えてくれたのは、19期の執行の3人でした。
新入生への返信をしてくれたり、入部発表などその後の予定の延期を行ってくれたり、本当に助けてくれました。
執行に助けられたのはそれだけではありません。インスタライブやオンライン座談会という未知の取り組みを最初から支えてくれたのは執行の3人でした。
インスタライブを4人で回すところから僕たちのコロナ禍での新歓活動ははじまりました。3人がいなかったら俺は何もできなかった。本当にありがとう。
(21期のみんなは覚えているかわからないけど、予定した入部発表や顔合わせが延期になったのはこんな状況にあった僕のせいです。ごめん。)
さて、最後の最後に個人的に災難が降りかかったのですが、結果として48人の21期が誕生しました。
48人にメールを送り終えた時、不思議な感覚に陥ったのを覚えています。
3月の終わりにコロナが到来してからの2ヶ月余りはあっという間で、僕の外出自粛には新歓活動が常に一緒だったので、新歓活動が終わってしまい気が抜けてしまったのだと思います。
・最後に
時は経ち、現在FreeDは新たに迎えた21期と共に、最後の自主公演に向けて必死に練習を重ねています。
例年であれば、新入生と3年生とは、五月祭、DN、駒場祭などと多くのステージを共に作り上げるだけでなく、合宿に行ったり、練習後にみんなでご飯に行ったりと、三年生が卒業する12月までに濃密な時間を過ごします。一緒に過ごす期間は半年ちょっとと、決して長い時間ではないのですが、僕が一年生の時は三年生が引退するのがとても悲しくて、三年生の引退公演である自主公演の最後には涙が止まりませんでした。
ですが、今年三年生である19期と一年生である21期が共に作り上げたステージはまだ一つもないだけでなく、現時点で一緒に練習したことのない21期も沢山います。
ここまで読んでくださった皆さん、新歓代表を志した僕の動機を覚えていらっしゃるでしょうか。「後輩、新入生が好き」「新入生とたくさん話したい」という気持ちです。今現在、新歓代表になって成し遂げたかったことはまだほとんどが実現できていません。
コロナ禍という中で、例年のように後輩に惜しまれながら引退したい、後輩全員と一緒にご飯食べて話したい、などと大それたことは求めていません。
ただ、自分が新歓した21期との思い出を何か一つでも残したい。
その最後のチャンスが自主公演です。
一つの願いぐらい叶えたっていいじゃないですか。ここまで散々耐えてきたんです。
どうか、金銭面での課題を皆さんのお力添えによって乗り越えさせてくれないでしょうか。よろしくお願いします。
最後に、これを読んでくれてるか分からないけど、21期のみんなへ。
新歓代表としてインスタライブでぺちゃくちゃ喋ったり、オンラインの座談会で毎回雑談して下らないことを話したりしていた僕を覚えていますでしょうか。
僕は座談会や体験練習の運営をしてたので、みんな一人一人の名前の漢字を覚えています。でも悲しいことに名前の漢字と一人一人の顔が一致しません。多くの21期にまだ対面で会えていないからです。
でも、僕は引退までに、全員と話したいと本気で思っています。せっかく出会えたみんなと、これからずっと仲良くしていきたい。
残り短い時間だけど、たくさん話そうね!
そして、改めてコロナ禍という中でFreeDに入ってくれて本当にありがとう。合宿もない、ステージもない、俺が新歓した時に堂々と宣伝していたようなFreeD生活を提供できていないのはとても申し訳ないけど、コロナ禍が終われば、きっとすぐにFreeDでの最高の生活が待っています。あと少し、頑張ろう。
2020.11.13
19期 たいせい