今年の4月から作り進めてきた新しいブランドを無事公開できるという運びになり、胸が高まる気持ちと、これからも頑張るぞ!という気持ちでいっぱいです。決して楽ではなかった新ブランド「mooneyo」の立ち上げまでの道のりをまとめてみました。ズボラな女子代表のわたしの花体験これからお花の事業を始めていくわたしですが、実は割とズボラです。ズボラというより、ルーティンを超絶守れない人というのが正しい言い方かもしれません。家にある観葉植物の水やり担当は私と正反対で几帳面な夫。独身時代はサボテンを枯らしてしまったこともありました。「自分ってサボテンすら育てられないのか?」とめちゃくちゃ落ち込んだことを記憶しています。お花自体は大好きで、自分自身を元気付けたい時には自分にも買うし、友達に送ったり友達からもらったりすることもしばしば。お花の持っている力は素晴らしいもので、人もその場所もパッと華やかになりますよね。社会人なりたての頃、私を元気付けてくれたのはお花の力でした。お祝い事がある時に、お祝いムードをより一層高めてくれたのはお花の力でした。「そんなお花の美しさがずっと続けばいいな・・・。」プリザーブドフラワー?ドライフラワー?造花?合理的なことばかりをついつい求めがちな私にとってはどれもなんだか物足りない。せっかくなら何か実用的なものがあればいいな。そんなことをぼんやりとずっと考えていました。結婚式が終わったあと、捨てられるお花たち以前友人の結婚式に参加した時のこと。高砂の後ろに飾ってある大きな装花がとっても印象的な結婚式でした。友人カップルがゲスト1人ずつにお見送りをする際に、あの装花をもう一度目に収めておこうと思い、ふと振り返ってみました。そしたらなんと、会場のスタッフさんたちが物凄い勢いで大きな黒のゴミ箱にどんどん捨てていました。その光景は今でも目を閉じるとすぐ浮かんできてしまうほど、私にとって強烈な思い出となっています。その時、私の中で「新しいお花の楽しみ方を世の中に生み出す仕事がしたい」と決心の気持ちが芽生えていました。事業を順調に進めていた矢先の新型コロナウイルス2018年に立ち上げたBeacon Dressもありがたいことに沢山の花嫁様にお越しいただけるサロンとなり、2020年1月には念願だった地元大阪への出店も果たし、5月には東京2号店を出店する事業計画で進めていた矢先の、緊急事態宣言。4人の従業員のお給料は払い続けないといけないし、結婚式中止によるキャンセル料の支払いが続き、このまま私の会社はどうなってしまうんだろう?と不安な気持ちでいっぱいでした。その時にずっと頭の片隅にあった「新しいお花の楽しみ方を生み出す仕事」を本格的に始めてみようと自宅キッチンで草木染めを始めてみました。人間、不安な気持ちでいっぱいの時は、手を動かしたり、体を動かすことが本当に大切ですね。お花に触れながら進める作業はとっても癒し効果抜群でしたし、より一層お花がもつ魅力の虜になっていってました。そして、裁縫ができるスタッフに手伝ってもらい出来上がったクッションカバーを自宅ソファの上に置いて、実際に利用してみると・・・。お花の優しさに包まれて、優しい気持ちになれる今までになかった感覚!!!!!これは絶対形にしよう!と思いました。家の近所のお花屋さんラパレットさん、fiore soffittaさん。お店の少し元気がなくなってきたお花をお裾分けしてくださり、本当にありがとうございました!思っているより100倍大変なものづくりいよいよ、ブランドローンチに向けて動き出しました。一緒に立ち上げメンバーとしてお仕事を依頼したのはお花に携わる発信や、ブランディングディレクターとして活躍されるayupysさん。ブライダル事業の方でお世話になっているデザイナーの苑子さんの大学時代の友人とのことで、お仕事を引き受けてくださりました!ブランディングを進めてくださるだけではなく、デザイナーさんの紹介や採用面も積極的に進めてくださり、頭が上がりません。HPの制作までもマルチで完璧に進めていってくださるあゆみさんを見てて、本当にこの人にお願いしてよかったな!と思いました。もう1人はブライダル事業の方でお仕事を依頼していた菜美さん。彼女の持ち前のポジティブさと、色んな人の心の懐に入っていく姿を横で見てて、是非新規事業の方もお仕事をお願いしたい!と思うようになりました。プロダクト開発に向けて数多くのメーカーさんや職人さんとのやりとりをスムーズに進めていけるのは、菜美さんだからこそだなと本当に思っています。私とこちらのおふたりと3人で進めいくプロジェクト。誰もメーカー出身者がいない。。。パターンって何?ってところから、右も左もわからないままの状態からのスタート。出したい色に染めることができた!あのメーカーさんとお取引できることになった!あの職人さん手伝ってくださるって!嬉しいニュースがあった次には必ずと言ってもいいほど訪れる2-3つのバッドニュースたち。1人で進めてたら絶対心が折れていたことも彼女たちのおかげで前を向いて進めていくことができました。全力でご協力くださる関係者の皆様ブライダルの方でいつもお世話になっているcamelさんのご紹介で花の仲卸会社さんフローレ21さんとのお取引が始まりました。千葉の房総半島まで農家見学に連れて行ってくださりました。夜勤明けにもかかわらず、車中含めて沢山お話をしてくださった井上さん、本当にありがとうございます。当ブランドはカーネーション農家を営む精華園さんから規格外で市場には出せないお花を購入しています。規格外のお花がなるべく出ないように沢山研究を続けてらっしゃる農家さん。その中でもどうしても出てしまう、規格外のお花たち。当社が行う染め物は花弁があればできます。なので、茎が短かったり、折れてしまったお花はもちろん、切花してから数日経ったお花でもきれいに染めることができます。その旨を熱弁して、だったら是非。とのことでご協力いただけることになりました。精華園さんは2019年の台風19号被害によって、ガラスハウスのほとんどが割れ、多大な被害が出ました。ボランティアの方などを始めやっと復旧したかと思った矢先の新型コロナウイルス。代表の岩田さんがおっしゃった「農家の仕事をもう辞めようと思った」というお言葉が胸に突き刺さっています。そんな苦渋の決断を迫られていた岩田さんが、それでも今日の日も農家のお仕事を続けてらっしゃる。私もそんな岩田さんの大切に育てたカーネーションを1人でも多くの方に楽しんでいただけるよう、おこがましいですが最大限の努力はしようと心から思っています。mooneyoのこれからお花の新しい楽しみ方を生み出す会社にしていきたいと思っています。【今後の展開】1. 農家さんや市場から規格外のお花などを購入して、自社サイトでライフスタイルグッズを販売すること。2.お花屋さんと協力して、どうしても出てしまう売れ残りのお花を利用して、プロダクトとして再生していくこと。各お花屋さんにて販売していただくこと。3.結婚式などのイベント時に使用するお花を、イベント後に染めて新婚カップルや両家ご両親にプレゼントすること。3本柱で動いていきたいと思っています。まだまだ未熟で、想いだけは一丁前な会社ですが、新規メンバーも募集していますので是非ご興味のある方はお気軽にお問い合わせください!これからもmooneyoが皆様に愛されるブランドとなるよう大切に育ててまいります。この場をお借りして、このプロジェクトに携わってくださる全ての関係者の方々、友人・家族に感謝の気持ちを伝えます。ありがとうございます!
みなさん、はじめまして。「mooneyo」を運営している、代表のラッセル知仙です。バイヤーとしてNYで暮らしていた経験を活かし、自宅の一室でウェディングのドレスショップを開業してから約3年。これまでブランドやドレスについてはInstagramで発信をしてきましたが、こちらでは私自身の考えや思いについて、丁寧に伝えていければと思います。これまでの事業について現在私が経営しているドレスショップは、東京・神宮前と大阪・四ツ橋に小さな隠れ家サロンをもつ「Beacon Dress」と、オンラインセレクトショップ「Befits You」。日本では出会えないインポートドレスを、結婚式場への持ち込み料を払ったとしても手が届く価格で花嫁様に届けることを大切にしています。ドレス選びには、一切仲介業者を通していません。バイヤーとしてNYで暮らしていた経験を活かし、すべて自分の足で世界中のドレスショップ・ブティックを周り、心から素敵だと思えるものだけを揃えるというこだわりのもと、「Beacon Dress」と「Befits You」を育ててきました。ほんとうに好きなドレスを、花嫁様が選べるように私がウェディング業界に興味を持ったきっかけは、2016年にNY州で自分たちで挙げた結婚式。「最高の一着!」と思えるドレスを見つけ出すため、日本・アメリカ・イギリスの3カ国でドレスショップを巡ってみると、海外には今まで見たことのないようなデザインのドレスが想像以上にありました。自分のドレスを探しながら、「こんなに素敵なインポートドレスを揃えるショップが日本にあったら…」と思うようになったのです。日本で結婚式を挙げる場合は、式場が提携しているドレスショップからウェディングドレスを選ぶことが多いと思います。提携店以外からドレスをレンタルすることで、多くの場合「持ち込み料」が必要になってしまうから。自宅の一室でサロンをはじめてみた時にも、多くの花嫁様から「持ち込み料+ドレスレンタル料」という予算の相談を受けました。それなら、”持込み料込みでも手が届く価格”で、インポートドレスをたくさん集めよう。提携ショップでは運命の一着が見つからないけど…ほんとうに着たいドレスは高級すぎて手が届かないから…「このドレス”で”いいや」そんなふうに一着を選ぶ花嫁様が一人でも少なくなるように。まだまだ小さなサロンですが、日本のウェディングドレス選びを変えたいという密かな野望を込めて、ドレスショップを自分でつくることを決めました。経営の道を選んだのは、祖父の背中を見ていたからここからは、経営者になるまでに私自身がどんな人生を歩んできたのかをお話ししていきたいと思います。私が生まれ育ったのは、大阪の鶴橋という下町。祖父が食品会社を経営していて、両親を含め親戚のほとんどが祖父の会社に勤めていました。商人の娘として育ったので、10歳にも満たない頃からレジのお金を数えたり、商店街中を台車を引いて周り、配達のお手伝いをする毎日。起業家になりたい!と思ったことはないし、いつか会社を経営したい!と思っているわけでもないのですが、「やりたいことがあるなら自分で会社を立ち上げるのがいいな」という意識を当たり前に幼少期から持っていたのは、間違いなく祖父の姿を見てきたからだと思っています。そして、今でも大切にしている「自分の足で稼ぐ大切さ」を教えてくれたのは新卒入社したリクルートでした。「3年で寿退社する」と宣言し入社したリクルート今でもそうだと思うのですが、リクルートの名刺には一番上に社名ではなく、氏名が書かれています。その理由は、大企業の名前にぶら下がって仕事をするのではなく、個人で勝負することを大切にしているから。それを教わった時に、「この会社がいい」と強く思いました。就活生の時は社員の方40人くらいにお会いして、自分を売り込むことに必死でした。ただし、当時イギリスに住んでいた彼(今の夫)と遠距離恋愛に終止符を打ち結婚するために、3年で辞めるという自分の中での期限付き!「足で稼ぐこと」を重視するリクルートに入社してからは、営業として毎日たくさんのお客様のいる場所へ足を運びました。どうしたら思いが伝わるのか、どうしたらお客様の課題を解決できるのか……直接お客様の顔を見ながら考え続ける経験が、今の私の大きな財産になっています。数字ファーストではなく、そこにある顧客の思い、自分の思いを一番大切にする。そのためのビジネスモデルを描くという姿勢は、リクルートでの経験から培ったものです。 祝・寿退社&NY移住3日でまさかのリストラ、バイヤーに転身有言実行、3年目で「絶対に叶える!」と決めていた彼と結婚しリクルートを寿退社をしたまでは理想通り。けれどここから、人生は一筋縄でいかないと痛感する日々が幕を開けました。バリバリ働き続けた日々から脱却し、NYに移住してやりたいことはゆっくり考えていこう!と思った矢先……まさかの金融関係に勤めていた夫がリストラされてしまったのです。NYでの暮らしを続けていくために、否が応でも何か自分で稼がなくてはいけなくなってしまいました。そこで始めたのが、今の事業にも紐づいている「バイヤーのお仕事」というわけです。サイトを利用すればすぐに売り上げを作れるという理由で挑戦しましたが、足で稼ぐスキルを磨いてきた私にとって、バイヤーの仕事は想像以上に相性が良かったのです。NYの店舗でしか販売をしていないMARC JACOBSのバックパックを毎日何十個も店舗に買い付けに行き、海外の通販サイトでどこよりも安く販売して生活費を稼ぐ日々。流行の最先端が集まるNYに住みながら日々情報収拾をし、次に何が流行るかを先読みして買い付けては販売をしていました。良いものを自分の足で見つけ出し、自分で集め、そのお店にお客様が集まってきてくれる。まさに「Beacon Dress」の土台となる経験。気づけば新規事業を始められる軍資金もある程度貯金ができたので、もっと人と関わることができて、人の役に立てるお仕事をやってみたいと思うようになりました。バイヤーで生計を立てられるようになった後、冒頭でお話しした結婚式を挙げるというキッカケを経て、今まで思ってもみなかったウェディング業界に足を踏み入れることになったのでした。 「Beacon Dress」が、灯台になりますようにより良いものを、どれだけ優しい価格で届けられるか。バイヤーというお仕事に携わってから、ずっとその理想を追求し続けたいという強い気持ちがあります。アメリカには「結婚式場に持ち込み料を払う」という商習慣がなかったので、日本に帰ってきてからサロンを開いたときにはすごく驚きました。確かにプラスで持ち込み料がかかってしまうと、他のショップからドレスを選ぶハードルは高くなってしまう。だけど理想のドレスが見つからなかったときに、「諦めたくない」と思う花嫁様がいるのであれば、私がその想いの先に続く道を残したい。ひとりでも多くの花嫁様に届くよう、これからも「Beacon Dress」や「Befits You」の運営や発信にも力を入れていきます。 次回の活動報告では「mooneyo」立ち上げのきっかけとなった出来事をお話いたします。