2017/08/16 10:43

「昔を壊していく町づくりではなく、

昔を引き継ぎその土地にあった町づくりを行っていくこと」
を私たちは大切にしていきたいと考えています。  

 

龍野という地では、町並みだけでなく

人暮らしの文化や心構えも先人の方から

丁寧に引き継がれてきたものがたくさん残されています。    

 

それを打ち切るのではなく

思いを受け継ぎ

未来・次の担い手へ引き継ぐ活動を1つ1つ大切に行っていきたいと考えて います。               
 

 

活動の一環として、

先人の人から話を聞き 昔を学び、未来を考える

ムカシミライ学校を行わせていただています。

 

 
先日は、旧中川邸 二代目医院長 中川タツ子さんの次男さん

上京住んでするまで旧中川医院にずっと住まれていた


中川 剛(たけし)さんを招いて


1 【中川邸の思い出、歴史、住んでいた者として思うことなど 昔のお話を聞く会】

2 【旧中川邸のこれからの話を聴く見学会 を合わせた】

ムカシミライ学校をさせていただきました。

 

お盆中であったにも関わらず、

大学生から年配の方、県外の遠方の方ま でスタート時間には予想を上回る人数の方々にお集まり頂きました 。


このように多くの方に集まって頂いたこと、気にかけて頂いていることが

とても有り難く、嬉しく思います。

お越しくださったみなさま、本当にありがとうございます。

  

【見学会】旧中川医院の歴史資料・写真などを展示し、歴史や未来のことにつ いて少しお話しさせて頂きました。

 

 

・旧中川邸の受付

・待合室・土間(改装後 カフェスペース)

・旧診察・処置室(改装後 赤ちゃんスペース)

・応接間(改装後 キッズスペース)

・和室(改装後 教室スペース)

・2階中川家・中川医院看護師住居(多目的スペース)

・庭、と見て頂き、

 

「懐かしいなー!これは昔のままの残してくれているんだ。」

「ここの待合室でよく本を読みながら待ってたわ^^」

「こんな風に変わったんやね。ここ綺麗になったねー!」

など、みなさまから様々なお話を伺いました。

 

 

見学後、【いよいよ貴重な中川さんからお話を伺う会です】

 

 

中川さんの同世代の方、龍野をよく知る方々もいらっしゃれば、

龍野に初めて来てくださった方も参加してくださっていました。

 

昔話に笑いが起こったり、病院だったころの様子や、

だいさん、タツ子さんが懸命に病院で働いておられた頃のお話などのお伺いすることができました。 

 

 

 

初代院長 中川だいさんが 女医になることが大変困難であった時代に

産婦人科を思われたきっかけついては、

「当時、女性がしかも1人で当時産婆さんというものはあっても

医者が医療としてすることのなかった産婦人科を開業するのには相当な覚悟がいったことだと思う。

どうして、医者や産婦人科をしようと祖母が思ったのか改めて聞いたことはないのだが、

おそらく出生率が当時低かったこと鑑み、産婦人科を選んだのではないかと考えている。」

と教えてくださいました。

 

また、龍野という地がもともと 文化的な土地であることが、

だいさんのような人を育てたのではないかとも思う ともお話してくださいました。

 

だいさんは、専門外であっても   近所の子どもたちがゲガをしたら看病をしてあげていたというお話を町の方から聞いたことがありました。 

 
今回の剛さんのお話では、習うように2代目のタツコさんも  

町医者のように近所の人がゲガや具合が悪くなれば仕事でなくとも

相談にのったり 、看病をしてたりしてあげていたそうです。

  

また、剛さん母である 2代目  院長 中川 タツ子さんについては、

医者免許をとられた後すぐには医者にはならず、
剛さんたちの子育てが少し落ち着かれた後に、

医者になりたいという思いをを諦められず

3人の子育てと両立しながら皮膚科を開業されたと教えてくださいました 。

 


当時、流行っていたオロナインの500倍は聞くと評判だったそうで、

「とにかく医者業に一生懸命で

いつも忙しくしていて、いくつも隣の町からも患者さんが訪ねてきていた」

と話してくださいました。

 

おばあさんとしてのだいさん・お母さんとしてのタツ子さん の印象を伺うと

「優しい人だった。」と教えてくださいました。

見守りながら剛さんとあと2人のお子さんを育ておられていたのですね。

 

旧中川邸の剛さんの子ども頃の絵。母・タツ子さんが大切に残されていました^^

 

 

 

最後に、中川 剛さんに旧中川邸を見て思ったことや

旧中川邸や未来の子ども達へ向けて期待することを伺いました。

 


「まず、龍野のまちに子どもたちや人が増えないといけない。

そうなるように頑張ってほしい。

 

幼稚園から共に龍野で育ち、東京にでた同級生は沢山いる。 

その姿を見て思うことは、やはり龍野や田舎出身の人ほどしっかり、踏ん張って活躍している人が多いということだ。

 

私も田舎の自然の中で遊び、隣近居の人に親同然に育ててもらいながら育ったので 

都会で育った人より、集中力・忍耐力・人間らしさがやはり備わっているのであろうと思う。

旧中川邸には、そんな力や子を育ててくれる場になるよう期待しています。」

 

実は、剛さんは東芝の元副社長をされ、色々な社会や人を見られてきた方なので 

とても説得力があり、力強いお言葉でした。

本当にありがとうごさいました。

 

旧中川邸にあるだいさん・タツ子さん・剛さんの思いを胸に、旧中川邸を大切 に守り育てていきたいです。 

 大変素晴らしい時間でした。

もしかしたら、お盆なのでだいさんや、なかさん、たつ子さんも龍野のまちに帰ってきて

みんなのお話を聴いてくれていたかもしれません^^

 

 

まだまだ微力ではありますが、

旧中川邸に残された歴史や

豊かな優しさと力を育む場を大切に引き継がせていただき、

 

子どもたちが自然の中で優しく見守られながら遊び、

ご近所同士がもっとつながりの深かった頃の町ように、

 

子どもたちも、大人も色々な人の温かさを感じ過ごせる場所。

 

忙しく過ごす社会の中では、失われかけられているかもしれない体験ができ、豊かな力を育むる場所。


大人になって一度遠く離れていても

いつでも戻ってきたいと思えば、
ふるさとを思い、帰ってこれる場・居場所にしていきたいと思っています。

 

 未来への投資と思い、

どうぞご支援いただけたらありがたいです。

 

どうぞよろしくお願いします。