皆様、このクラウドファンディングでは、ご支援ご協力ありがとうございました。私は、今回のクラウドファンディングについて、結構思い入れがあります。ずっとやりたかった、生活に戻った当事者の困りごとを、もっと、特に、医療関係者に知ってほしいという思いがありました。このクラウドファンディングのリターンにあります、冊子とオンラインアカデミーについては、是非、医療関係者の人、福祉関係者の人にリターンとして選んでいただきたいですし、オンラインサロンについては、むしろ参加する側についてほしいと思っています。このクラウドファンディング期間中に 、私は、Facebook とか Twitter とか 、そういうSNSの発信ができなかっただけではなく、メールすらも見られず、ちょっと音信不通になってしまい、申し訳ございませんでした。それだけこの期間に、たくさんのミーティングがあって、クラウドファンディングで作りたいとしている冊子やアカデミーのプロジェクトが、どんどん進化していたんですね。昨日はオンラインアカデミーで講演していただく先生とミーティングをしました。講演だけではなく、このプロジェクトを育てていく、そういう連続した講座も決まりました。また、ずっと長年、この障害のことについて活動されているお医者さんにチームに入ってないただけるように、頑張って講師依頼書や企画書などをせっせと書いておりました。そういうことを準備してからクラウドファンディングを始めなよと言われたら、それまでなんですが(笑)こうして裏で着々とプロジェクトを進めていて、本当に、素晴らしい人や先生方が関わってくださることが、日々決まってきています。詳しい内容をこのクラウドファンディングスタートの時にはお伝えできなかったのですが、そうですね、見込み株を買うような気持ちでリターンを購入していただけたら嬉しいです。もちろん、クラウドファンディング終了後、実際に冊子ができたり、オンラインアカデミーをスタートした時にも、皆さんにお知らせしていくので、その時になって介入していただくのも大歓迎です。昨日も当事者の方にインタビューをしましたが、やっぱり実際にインタビューをし始めると、本当に、さらに多くのことを聞きたくなりまして、想定した時間の3倍ぐらいの時間がかかりました。今、スケジュールを組み直しています。特に一緒に取材をしている鈴木大介さんの熱の入れようはすごいものがあります。インタビューはオンラインでしていて、私は役割としてヒアリングなんですが、インタビューだけ鈴木さんが入ってくるんですけども、鈴木さんは、質問しながら話を聞いて、次の質問や、今のここのところについて話を深めたいっていうことを考えながら、そしてさらにそれらをパソコンに打ちながら作業しているのです。昨日も開始して55分くらい経過した時に、チーン!と終了ベルが鳴ったように、本当に枯渇したというか、急に鈴木さんの動きが止まっちゃったんですね。もう本当に集中してるんだっていうのが分かりました。このように、インタビューをしてみて、本当の困りごととはこういうことかと、改めて感じています。また、生活に戻った時、職場の人とは、こういうことだからうまくいったのか!こういうことだからうまくできなかったのか!など、参考になることが本当にたくさんあります。これらをぜひ、多くの方に届けたいと思っています。最終日ではありますが、どうぞご検討ください。特に医療関係者の方、ぜひ仲間になってください。よろしくお願いします。
西村紀子 の付いた活動報告
こんにちは。NPO法人Reジョブ大阪の代表理事、言語聴覚士の西村紀子です。連日、温かいご支援ありがとうございます。もうすぐストレッチゴールの75万円に達する勢いで、改めて皆さんのお気持ちの分も頑張らねば!と思って気を引き締めています。このプロジェクトのきっかけは、鈴木大介さんと、私の雑談です。鈴木さんが「退院したあとので生活で、こんな大変なことがあるなんて、入院しているときにまったく聞いてなかったよ」とか「こんなリハがあるなんて知らなかった。もっと早く気づいておけば、退院したあと楽だったのに」などと、色々なことを話すんですね。その中で「えー、それ、病院でやってないの?」と驚くものもありましたが、「それはちょっと、病院では気がつかないよなー」っていうこともたくさんあったんです。私は、言語聴覚士です。それなりに勉強はしていましたし、勉強会などにも参加して、復職や在宅生活に関する困りごとや支援の方法など、色んな人の話を聞いていたんですが、今までは、軽度の人について、ここまで知ることはなかったんですね。研究会などでは、「リハビリを頑張って、こうなりました」という発表が多いです。学会や論文もそうです。こういう人を、どのくらいリハ職の方が関わって、どれだけ改善したかとか、改善はなかなか難しかったけれども、例えば職場調整をしたとか、新しい職場を探したなど、そういった発表がほとんどです。多くは、支援が必要だなと、病院できがついてもらえるレベルの方々。ところが鈴木大介さんのように、退院した後に、自力で何とか頑張って、お仕事を続けられたという人については、もちろん医療者は知らないんですよね。ましてや、鈴木さんは文筆家。本を書いているような人が(それも、本の質も高く、受賞などもされていますしね)、こんな些細なことでも困り事があったということを、私は全く知らなかったのです。私は、患者さんが入院中に「この人は退院したあとに、こんな問題があるんじゃないか」ということが、想像つく方でした。「それは西村先生の妄想じゃない?」とか「思い込みじゃない?」とか「心配し過ぎじゃない?」などとよく言われたましたが、「いやいや心配し過ぎでってことは、絶対にない」って思うぐらい、結構想像を広げていたはずなんですけども、それでもここまでのことは気がつきませんでした。これでは医療における、軽度の人の診断見逃しっていうのは、削減できないと改めて実感したんです。なので、軽度の人が、自宅に帰った時にどれほど困るのかということを医療職の方に知ってほしいと考えました。そもそも、病院の人も、別に軽視しているわけじゃないんですね。目の前の患者さんのことを、何とかしたいと思ってるんですけれども、この患者さんが、退院後、何に困るのかということを知らなければ、そもそも支援なんてできないですよね。なので、多くの医療職に知ってほしい。これがまず第一の目標です。また、医療職への周知が急に広まるわけはないですよね。おまけに既に自宅に戻って、困ってる人もたくさんいますし、今もって、発症して病院に入院している、または通院だけど終わっているという人もいるかもしれません。軽度だったら「そのまま帰りなさい」っていうこともあるので、そういう人が「未診断」のまま帰る、そう今も、未診断の方がたくさんいると思うんです。そうした人たちが、医療側が変わっていくのを待つというのは、もうやってられない話。それだったら、サイトを作って、頭を怪我したり病気をした人が「あれ?今までの自分とちょっと違う」と思った時に、「これはどういうことなの?」と思って、ご自分で学べるような、情報サイトを作れたらいいと思いました。ちなみに、病院職員の方を持つわけではないですが、障害のことを説明しても、当事者さんが忘れてしまうということも多々あります。なので、書面で渡すようにしていましたし、その方法を他の方にもお勧めしているんですが、その書面をなくされることも多々あります。他にもたくさんたくさん書類がありますからね。だからこそ、困った時に検索できるサイトを作りたいと思ったのです。 未診断のまま過ごしている人達は、本当に大変な思いをしています。医療の改革を待っている場合ではないと思って、サイトだけでなく、冊子も作ろうと思いました。冊子に関しては、病院に置いてほしいと思っているんです。なぜなら医療職の方は、今、新型コロナウィルス感染拡大の影響で、非常に忙しいですよね。そんな中で、患者さんに丁寧に説明する資料を作るというのは、かなり難しい話だと思うんです。毎月、色々な当事者の声が載った冊子を作りますので、それを病院に置いておき、入院している、または通院している患者さんや、家族さんが手に取っていただいて、ご自分で障害について学ぶきっかけにしていただきたいと思っています。なので、医療職の方、是非この冊子やオンラインアカデミーのリターンを購入していただきたいと思います。オンラインアカデミーについて、少し内容をお伝えしますね。こちらは、様々な当事者、そして、長年支援に関わってきた人をインタビューして、その情報をどんどん載せていきます。公開のサイトや、冊子には、鈴木大介さんがインタビューした内容を記事にまとめたものだけを掲載します。それは、インタビューを受けた方を守るためでもあります。残念なことですが、すべてオープンにすると、心ない反応で傷つけることになるかもしれないからです。しかし、オンラインアカデミーは、本人の了承を得た範囲での、生のデータなどを大量に掲載していきたいと思っています。また、長年支援をしている方の、セミナー動画も載せます。さらに、毎月、私と鈴木さんが、高次脳機能障害や脳についての本を読み込んだ解説動画もあります! そして、セミナーや、読書会への割引参加権もあります。さらには、医療従事者に対して、必要であれば月1回のオンラインの相談会なども開催します。これは、本当は通常月々1,980円で会員になっていただくものなのですが、今回のクラウドファンディングでは、1年間1万円で提供しております。このリターンを選択していただけると、情報もたくさんありますし、一緒に学べる仲間も増えると思います!ぜひ、ぜひ、メンバーになってください。支援者だけでなく、もちろん、「他の人はどうしてるんだろう」というようなことを詳しく知りたい家族さんも、もちろん当事者の方も大歓迎です!!今回のクラウドファンディングでは、かなり金額もお得になっているのが、オンラインアカデミーです!みんなで回し読みできる冊子もお勧め!是非これらのリターンを購入していただけたらと思います。
『チーム脳コワさん』クラウドファンディングも、残すところあと10日。期間半ばで初期設定のの目標金額に達した後も、少しずつ支援してくださる方が増えており、支援・拡散にご協力くださった方々に改めて深く御礼申し上げます。1月末にはこのクラウドファンディングの目的でもある冊子、この初回のインタビューを予定していて、インタビュー項目なども絞り込みを進めているところです。 さて今回は、高次脳機能障害の当事者になった僕に残った「時間の不自由」という障害について、書いてみます。僕はフリーランスの文筆業という少し特殊な仕事をしていたからこそ、完全な失職には至りませんでしたが、もし企業に勤める会社員・従業員といった立場だったら、まず100%失職していたと思います。 電話でパニックになる、通勤の雑踏でパニックになる、すぐ疲れて頭が回らなくなる、文書を読めない、人の指示や話しが聞き取れず自分の考えも上手に言葉にできない……もし勤め人だったらアウトだったと思う障害特性はいくらでもありますが、その中でもトップに君臨するのが、この「時間の不自由」でした。 それはいったい、どんなものだったのでしょう……。時間の不自由 「鈴木さん、〇〇の訂正チェック、お願いできますか」 病後、一日の仕事を終えた夜に担当編集からこんなメッセージが届くと、僕はその場で強い不安や不快感を伴うパニックに陥ってしまうことがありました。元々昼夜の境があまりない出版業界ですから、夜に連絡があったことが嫌なのではありません。 チェック作業なんて、そのものにかかる時間は1時間程度の軽い仕事のはず。その場で寝る前にやるとしても出来なくはない分量です。にもかかわらず、メッセージを見た僕の脳内には色々な思考が渦巻き、混乱し、パニックに陥ってしまったのです。 まず「いつまでに」が書いてないことに、猛烈に腹が立つ。期限が書いていない時点で、僕は頭の中で、~~その仕事の全体の締め切りはいついつだから、担当がそのチェックを上にあげるのがいつで、担当の出社は明日の何時ぐらいで、僕は何時までにチェックを戻さなければ~~といったことを考えて、決めなければなりません。 そもそも担当にチェックを戻した後の動きとか出社時間みたいな向こうの都合は聞かなきゃ正確には分からないけど、僕は「病前通り」にそれを自分で推測しようとして、結局頭の中でその複雑な考えを処理しきれずに破綻してしまったのです。 かといってこれが、「明日の昼までにお願いします」と明確に指定されていても、僕は毎度パニックに陥るのです。なぜなら当時の僕は、「1時間で終わる仕事を翌朝昼まで」、「1日で終わるかなという仕事を一週間後まで」という感じで明確な指示を受けたとしても、そもそも翌朝とかその週にやろうと考えていた仕事の「全部ができなくなってしまう」ような、強い不安に襲われたからです。 さらに、例えば一日5時間で終わる仕事を一日かけてやっている途中で「仕様の変更」が指示されたり、「今の作業の前にこれやってください」と30分で終わる仕事を差しはさまれても、やっぱり僕は発狂寸前のいらだちと、そこからどんな作業も始められない、やっていた作業も再開できないといった致命的なパニックに襲われることとなりました。 意味が分かりませんよね。あの頃の僕にとって唯一苦しさを感じずにクリアできただろう指示とは、いまの手元にある仕事が終わって提出したところで、次の仕事の指示が入る。提出期限は「僕のペースで作業が終わった時間」というものだったのです。 僕は病前にはどんな変則的な予定にも対応できる、どちらかといえばフットワークの良さを強みにして仕事をしてきたタイプだったので、こんな指示が通らない部下がいたら、仕事上で戦力外認定していたと思います。 だってそうですよね。いつまでと期限を指定してもしなくても、難しいという。一度作業を頼んだら、終わるまで変更することも、ちょっと簡単な仕事を差しはさむことも、拒否されてしまう。ほんと、これじゃ使い物になりません。 これが、僕に残った「時間の不自由」でした。「スケジュール能力の崩壊」といってもいいかもしれません。 それにしても、どうしてこんなことになってしまったのでしょう。僕に残った個々の障害特性から、読み解いてみたく思います。スケジュール能力崩壊の原因 まず、要所要所で感じるいらだちの原因は、もともと高次脳機能障害によって感情のサイズがコントロールできない「脱抑制」「易怒」の症状があったからですが、いらだった理由は「絶対無理なことを押し付けられている感」があったからです。 そう、こうした「予定」に関わる微々たる障壁を、僕は自身ではどうにもクリアできないと感じていました。その理由を書き出すと、こんなものになります。1・脳内で時間の逆算ができない。2・一つの作業にかかる時間が想定できない。3・脳内で予定の組み換えができない。4・作業の中断ができない。 まず1。時間の逆算ができない主な理由は、僕のワーキングメモリ(作業記憶)が低下していたからです。本来こうした逆算とは、脳内で作業完遂までに経る作業を洗い出し、それぞれどのぐらいの時間がかかるかを考え、その合算を提出時間から逆算して、作業のスタート時間を決めるという思考作業。 ですが当時の僕にとってその思考作業には、とてつもなく複雑な暗算をしているような困難感が伴いました。なぜなら、脳内で逆算している先から、必要な作業、目標終了時間、それぞれの作業の所要時間といった情報が、頭の中のメモ用紙からすいすい消えて行ってしまうから。 記憶が弱いなら、作業工程と必要時間をひとつひとつ書きだせばいい? もちろんそうですが、病前なら一瞬で「このぐらいで仕上がる」と読めた、きわめて単純な作業の組み合わせですら、読めなくなってしまうため、この「書きだせばいい」ことに思い至り、さらにそれが習慣化するまでに、僕は長い時間を必要としたのです。 それは、何も考えずにたどり着けていた家から駅までの道を、いきなり地図を書かなければ帰れなくなったような不自由感。まさか駅まで行けないとは思わないから、思わず家を飛び出して、毎回たどり着けずに途方に暮れるような、そんな気持ちでした。手順を逆算できても読めない作業時間 けれど、いざ「書き出せばいい」に至っても、その先にあるのが2の「作業時間が読めない」です。 理由は、脳の情報処理速度が落ちていて、そもそもこれまで10分でやれた作業が10分では終わらなくなったこと。加えて注意の障害や記憶の障害もあると、手元の作業一つに集中することそもそもが難しいし、易疲労で脳の認知資源が切れたら一層作業に時間はかかり、その認知資源がいつ切れるかも自分ではわからない。 こうなると、10分でやれた作業が30分かかるのか1時間になるのかも自分ではわからなくなってしまい、すべての作業が「やってみないと終わる時間がわからない」ということになってしまうのです。もう、こうなると逆算どころじゃないですよね。私の予定を変えないで さらに困難は続きます。1や2の状況があっても、締め切りのない状態で作業を一つずつ終わらせていくのはなんとかやれる。けれど、その作業中に仕様変更や作業の順番の変更、新規作業などが差しはさまれると、僕は途端に混乱して、いま順調に進んでいた手元の作業も何もかもできないような状況に陥ってしまいました。これが3の「予定が組み換えできない」ですが、これは本当にとても大きな苦しみを伴った不自由です。 たとえば作業にかかる時間を数字にして、1時間の作業、2時間の作業、3時間の作業を順番にやれば1+2+3=6時間ですが、これの順番を入れ替えて2を頭にと言われた際に、僕にとっていきなり2+1+3=24とか=100とか=∞に感じられたのです。 え? 何言ってんの? 順番を変えたからと言って、本来単体の作業にかかる時間が変わるはずがないでしょ? 1時間の作業を差しはさんだら単に+1でしょ? 僕が上司や同僚なら、間違いなくそう思ったでしょう。けれど、1や2の不自由を抱えていた僕にとって、3はさらなる大きな思考負荷。あの混乱は、思い出すのもつらいです。 何とか家から駅までの地図を書いてそれを見ながら進んでいるときに、その地図をバッと奪われて別の地図を渡されたり、地図を破かれたり、道がどんどん変化して地図と違う道筋の中に立ち竦むような、それは絶望的な混乱でした。今していることを止められない! これだけでも地獄ですが、病後の僕にはここまで説明した症状に加えて、一度注意を向けたものから注意を引きはがすのが難しいという注意障害の特性もありました。一度見たものから目が離すのが難しい、一度考え始めたことや、おこった感情や、やり始めた作業などに注意が「強力な接着剤でくっつけられたよう」にへばりついてしまい。それを切り替えて別のことをするのが難しいという症状です。 これによっておこるのが、4の作業を中断できない、という不自由でした。当時の僕は手元でやっている作業を中断しようにも、まず作業に没頭出来ているほどにその作業を「続けようとする力」が強く、注意を引きはがすのが困難なのです。 さらに合わせ技で、ワーキングメモリが低下していた僕は、なんとか頑張って作業を中断しても、元の作業に戻ったときに「途中までやったはずの作業の記憶がない」「その作業を継続するために頭の中にあった思考が全く残っていないこと」が度々ありました。 こうなると、僕の感覚では、一度中断されたり仕様を変更した作業に戻ると、「全部一からやり直し」「二度と前の作業は再現できない」という状況なのです。 いわばその感覚は、家から駅まで行く途中でちょっと声をかけられて話をしたら、いつの間にかに家までワープして戻されるような感じです。 何なのこの理不尽な世界!? 職場の人からすれば「こいつ何言ってるの?」でしょうが、当事者の本音は「こんなんやってられるか!」です。僕のトリセツ 当時の僕本音を書けば、 「一度始めた作業は、終わるときが終わるときです!」「始めた作業の仕様変更や予定変更は受け付けません!」「一つ頼んだ仕事が上がってから次の仕事を頼んでください」「複数の仕事を頼むなら、1日で終わる仕事の締め切りは十日先、十日かかる仕事の締め切りは二か月先にしてください」「スケジュールは鈴木の仕様を見極めたうえで、そちらで決めてください」 いやね。これじゃ仕事になんないのわかってます。 僕は幸いなことに在宅ワーカーの個人事業主ですから、言える取引先には少しずつこうした事情を伝え、何とか仕事を継続しましたが、取引先は1/3ぐらいには減りました。 これがお勤めの仕事だったら? もっとほかのスタッフと予定を調整しながら進めていくタイプの業種だったら? 人の命にかかわるような責任や、何よりスピードが求められる仕事だったら? ……「失職」、この二文字以外に、考えつきません。 高次脳機能障害の症状について解説するリーフレットなどもたくさんありますが、「注意が悪くなる」「記憶が悪くなる」「感情がコントロールできない」といった説明に、ほんとうに、何の意味があるのかと思います。そうした障害特性の合わせ技により、日々、僕たちは仕事の場で想定外の不自由を味わいます。今回はあくまで僕のケースですが、多くの当事者がそれぞれの仕事の場で、どんな不自由を抱えているのか、どんなシーンでどんな理不尽な思いをしているのかを、丁寧に聴き取っていこうと思います。引き続きのご支援をお願いいたします。
こんにちは。このプロジェクトの主催団体、NPO法人Reジョブ大阪の松嶋です。このプロジェクトは、お陰様で目標金額50万円を達成しました。支援してくださった皆様、本当にありがとうございます。実は、クラウドファンディングでは、支援者の方の情報は、クラウドファンディングが終了するまで分からないのです。ま、当たり前と言えば当たり前ですよね。個人情報ですもの。一斉ではありますが、お礼のメールを出しました。また、支援後の画面で、支援したことをTwitterでつぶやけるので、それでつぶやいてくださった方たちには個別にお礼が言えています。支援していることを拡散してくださって、またまたありがとうございます。クラウドファンディングというのは「集金」よりも「広報」に大きな意味があります。もちろんお金は大変ありがたいです。たくさんあればそれだけ嬉しいです。でも「広報」はもっともっと大きな意味があります。先日「高次脳機能障害を知らなかった」という人とお話をしました。その方とお話をしているうちに「あれ?私の父親もそうなのかも……」ということになったのです。脳梗塞のあと、退院し、家に戻ったら、急におとなしくなった。趣味の機械いじりをしなくなったというのです。で、歳も歳だし、認知症だということになっているとのことです。認知症はある日突然なるものではありません。だんだんとなるものです。この方の場合は、脳梗塞の日を境にそういう状態になっているので、高次脳機能障害の可能性が高いですね。とりあえず、ウチの言語聴覚士西村につないで、話をしてもらうことになりました。認知症と高次脳機能障害ではリハビリが全然違います。この方のお父様の場合は、脳が回復する可能性もあるわけで、介護よりも、そういうリハビリが必要ですね。若い人はなおさらです。高次脳機能障害を世の中が知らないために、「怠けている」「覚えが悪い」と言われ、そこから先の長い人生、引きこもってしまうこともあります。世の中の人全員が「高次脳機能障害」を知っていたら、認知症と間違われることも、怠け者と言われることも、ぐっと少なくなるでしょう。そういう意味でも、啓発活動は大切です。NPO法人Reジョブ大阪の理念の一つに「啓発」があるのはそのためです。赤が当事者支援、オレンジが家族支援、青がそれらの啓発を表しています。今年は特に、この啓発のターゲットをしぼり活動を進めていきます。その第一弾がこのクラウドファンディングで資金を集めている、冊子と動画なのです。クラウドファンディング終了までまだ半月ありますし、CAMPFIREさんからの勧めもあり、ストレッチゴールを設定しようと思います。75万円にチャレンジです。これからも、週に2~3本ずつ、活動報告をアップしていきます。言語聴覚士の西村の記事、文筆家で当事者の鈴木大介さんの記事は読むだけでためになりますので、楽しみにしていてください。また、3人でFacebookで生配信もしています。文字ではなく動画で見たいわ!という方はこちらをどうぞ!https://www.facebook.com/ReJobOsakaクラウドファンディングは1月いっぱい。皆様の応援、拡散、お待ちしております。
鈴木大介です。いよいよ「チーム脳コワさん」始動の2021年です。本年もよろしくお願いします。 今日は「障害の自己理解」について、少しじっくりお話ししたく思います。高次脳機能障害は、日常生活や仕事の中で、本当に小さな当たり前のタスクに、つまづいたり失敗したりしてしまう障害ですが、「丸っとできなくなっちゃう」ではありません。ちょっとした対策を取るとか、周囲に適切に助けを求めたり、理解を求めたりすることで「一気にやれることが増える」という傾向があります。ですから、障害の自己理解は、当事者として生きていく戦略の根幹となるものです。けれど、自己理解とは、単に障害特性がどんなものかを知識として知り、それが自身の不自由とどう結びついているかを知ることではありません。 偉そうに書いていますが、僕自身の自己理解も、結構ぐねぐねと紆余曲折をたどって、今に至るのです。その経緯とは、どんなものだったでしょうか……。今日はそこから書きます。障害の知識と自分の不自由が紐づくフェーズ まず僕は、幸運なことに、脳梗塞を発症してかなり早い段階(病棟にいる段階)から、高次脳機能障害について、何となくのあらましと、その障害が自分にあるのだということを知識として理解はしました。理解が早かった理由には、僕が病前の仕事の中で、高次脳機能障害に特性が似通っている発達障害関連の本を読んだり、専門医の取材をしたりした経験があったこと、僕自身の妻が、強い発達障害特性の持ち主だったこと、さらに急性期病院の方針だったのか、主治医からダイレクトに高次脳機能障害の残存を告知され、担当STさんから、かなり詳細な障害の説明や、当事者本として『日々コウジ中』(柴本れい)や『壊れた脳・生存する知』(山田規畝子)を勧めていただいたことなどがあるでしょう。 とはいえ、そうした障害の知識と、自身の中に「具体的にどの障害が残っているのか」、その障害によって「何に失敗するのか」を理解するには、その後とても多くの時間がかかってしまいました。 たとえば「何に失敗するのか」について、まず一度は「病前通りにやろうとして失敗する」ということを、あらかたやりつくす中で、徐々に知っていくしかありませんでした。これは中途障害ゆえのことでしょう。 毎度毎度、ありえない忘れ物をする、時間通りに出かけられない、無防備に雑踏に出てパニックになる、慣れた自宅の車庫入れで車をバコバコぶつける、タイマーを付けてるのに味噌汁の鍋を焦がす、取引先とした約束をすっぽかす、自分で書いた資料をすっぽり忘れて、同じ仕事に別の資料を二つ用意する、やれると言って受けた仕事がやれると思った時間に全く間に合わない……。 ああ、思い起こすのもつらい。自身に障害の知識があっても、その失敗を防ぐことはまるでできず、ほとんど「総当たり戦」のようにすべてに失敗する日々。なかば心折れそうになりながら、それをどんな工夫で乗り越えればよいのかを考えるということが続きました。 元々、ある程度、障害の知識があったはずの僕ですら、このように総当たり戦になってしまうのは、病前に無意識にやれていた、あまりにありふれたことで失敗するため、「失敗に備えて身構える・注意する」ということを、毎度忘れてしまうからです。 まさかこんなことで失敗しないだろうということに、全部失敗していく。これが全く予備知識のない当事者であれば、もっと大きな心的ダメージを伴ったことでしょう。 けれど、こうして総当たり戦を繰り返しても、ようやく「障害の知識と自分の不自由が紐づく」の段階に過ぎません。ここから大きなハードルになるのが、この不自由を他者に開示して、理解や協力を仰ぐというシーンでした。心を閉ざしてしまいそうだった僕 が、この「理解と協力の要請」、中途障害の当事者だからこそ、難しいんですよね! 実際、僕が一冊目の闘病記『脳が壊れた』を発行したのは当事者になって一年後のことでしたが、その巻末には「苦しいと言わなくても理解し、助けてと言わなくても手を差し伸べてほしい」という、ちょっと無茶なお願いが切々と書いてあります。 そう、実はこの時点では、自己開示も協力要請も、全然できてないんです。 僕がそうだった理由には、まず、僕に一番近いところにいる妻、高次脳機能障害に近い障害特性の中で生き抜いてきた妻が、僕から何の説明もしなくても「できなくなったのが当たり前・苦しいのが当たり前」という前提で支えてくれたことがあります。 けれどその一方で、回復期病棟やその後のリハビリ通院の中で接した医療職の方々に、自分の不自由を説明しても「きちんとできてるから大丈夫」「それは障害じゃない」というように、妻とは全く逆の扱いをされてしまった結果でもありました。 言っても分かってもらえずに傷ついたり、説明できないことを必死に説明しようとして頑張っても「やっぱ理解してもらえない」という徒労感を味わうぐらいなら、何もせず分かってくれる妻のような人を探す方がいい。そんなふうに僕は、心を閉ざしてしまっていたのだと思います。そんな僕ですから、最も難しかったのが、仕事の場での自己開示や協力要請でした。 取引先には、「電話で打ち合わせするとパニックになる」とか「3人以上の打ち合わせはパニックになる」「一つの仕事が終わるまで他の仕事はできないし、発注そのものしないでほしい」といった無茶なお願いをしていましたが、それができたのは、どうしてもいまその仕事をやり遂げなければならない相手(僕が仕事やれなかったらあなたも困りますよね?的な関係性の相手)限定で、そうでない取引先には説明することそのものを諦めてしまったからなのです。「それじゃ仕事にならんでしょう!というお願いばかりで、迷惑をかけてしまう」「戦力外と判断され、キャリアに傷がつく」「理解してもらえずにパフォーマンスを発揮できないなら、その仕事はしない方がマシ」「詐病や甘えと誤認されてしまうのは嫌だ」「どうせわかってもらえない」「ちょっと言ってみたけど、分かってくれなかったアイツ嫌い!!」 そんな感情が渦巻く中、僕は多くの取引先に心を閉ざしてしまいました。あのままだったら、どうなってしまっていたんだろう……。いま思うと、ちょっとゾッとします。プロの神対応で分かった戦略的配慮の要請 けれど、そんな僕の状況を変えてくれたのが、一冊目の闘病記を読んで興味を持ってくださった、リハビリ職の方々でした。最も劇的な体験は、発症一年半ほどで対談仕事でご一緒した、北原国際病院(八王子)の峯尾舞OTとの出会いです。 対談当日、初めて訪れる版元の会議室、初対面の編集と記者さんという緊張する場で、僕は、対談開始と同時にカメラマンがバシャバシャと炊いたフラッシュの光にすっかりパニックを起こしてしまい、人の言葉の意味が全く頭の中に入らない状況に陥ってしまいました。 対談の頭から相手の話を聞いていないというのは、文字通りの「失態」です。焦って話に集中しようとしても、フラッシュが脳内の思考も言葉も全部消し去ってしまう。訪れる過換気呼吸寸前の胸苦しさ! けれど、目の前にいるのは、高次脳機能障害の当事者支援ばかりをやっているプロ中のプロである峯尾さんです。頭の中の何もかもがかき回されているような混乱の中、なんとか僕が「いま言葉が全く入らなくなっています」と言うと、峯尾さんはハッと気づいたように、カメラマンを制し、その場にいるスタッフ全員にいま僕に何が起こっているのかということ、フラッシュのような唐突で大きな刺激情報にパニックを起こしてしまうのは高次脳機能障害の当事者にごくごく普通にあるということ、そして、今してほしい配慮など、僕が言いたくても言えない、言ったとしても分かってもらえそうにないことを、全部代弁してくださいました。 あの時の峯尾さんの言葉のありがたさ、そしてその言葉によってその場の皆さんが配慮してくださったという安心を得たことで、パニックが一気に緩和されたこと、失われた聞き取りや思考の能力が取り戻されていく感じは、あれから4年経つ今でも、何度も何度も思い出すものです。 「あれ? どうせ分かってもらえないものと、一度は心を閉ざしたけれど、自分から不自由を開示して、配慮を要請していった方が戦略的じゃないか?」 あの日から、ようやく、そうした気持ちが僕の中で育ち始めたのだと思います。 その後も、各地方の高次脳機能障害の支援拠点などで講演講師としてお呼びくださった多くの支援職の方々との交流の中で、僕はたくさんのことを学ばせていただきました。「何をされると困るのか、どうしてほしいのか」を上手に伝え、きちんと配慮してもらえれば、苦しい思いや失敗をせずに、自身のパフォーマンスを発揮できるということです。・講演内容を詰めていくメールのやり取りや指示を、具体的に、シンプルにしてほしい。・時間通りに話せないので、あらかじめ用意した台本を読むスタイルにしてほしい。・当日は公共交通機関より自家用車の方が楽。・日帰り可能な場所でも一泊させてほしい。・当日の登壇前に、関係各所からの挨拶や、名刺交換はやめてほしい。・スポットライトやスライドの光の位置を調整し、撮影はフラッシュなし。・ハンドマイクではなくピンマイク希望。・対談相手がいる場合は自分の右側に座ってもらう。等々等々、お願い事は日々増えていきます。もちろん、これら全てが失敗の中で学んだ配慮のお願いです。地域を代表して高次脳機能障害に携わるような立場の方々でさえ、こちらの伝え方を誤ると、配慮をいただけず、信頼関係も築けないというちょっと寂しい経験もしましたが、今思えばその経験もありがたかったように思います。なぜなら、そうした経験の中で僕は「この障害をどう伝えれば分かってもらいやすいのか」をその都度学ばせていただき、その応用の中から支援職でない一般の人たちに対しても、相手の職種や立場や反応を見極めたうえで「自己開示度のチューニング」ができるようになっていったからです。戦略的な自己理解の終着点 僕ら就労世代の当事者、つまり、何とか仕事を続けて、食べていかなければならない当事者にとって、障害の自己理解の終着点に設定したいのは、障害の知識をその後の人生に「戦略的に活かせるようになること」ことではないでしょうか。 世の中にはまだ障害の無理解ははびこり、障害という言葉を聞いただけで身構える人、過小評価や戦力外視をしてくる人、無駄に過剰な配慮をすることでこちらを傷つけてくる人だっています。 けれど、僕ら当事者は「今をよりよく生き抜く」ことが最優先で、そういう人たち全員にその都度根気よく説明して自身を理解してもらうことや、いつになるか分からん「社会が真にダイバーシティに拓けるとき」を、膝を抱えて待つのは、全くもって戦略的ではありません。 戦略的な自己理解とは、自身の障害を知識として知り、自身の不自由と紐づけること。最も安全な専門職に自己開示してフィードバックをいただく中で「伝わりやすい自己開示や援助希求の言葉」を学ぶこと。さらに最終的には、支援職以外の仕事関係や知人関係、地域社会に対しても「正しい相手に正しく援助希求ができる」ようになることです。「この人なら、障害を全開示、協力を全面要請しても大丈夫」「この人には部分的な開示と、ちょっと配慮のお願い」「この人には障害の有無は伝えず、無理にでも健常者のふりをした方がマシ」「こいつには近寄らない」といった、助けての声のチューニングまでできるようになるのが、自己理解の終着点だと思うのです。 言うまでもないと思いますが、これは、当事者のみでは無理で、支援職の協力なくしては、とても成しえないことですよね。一方で、支援職のみでも決して成しえず、当事者と支援職の協働体制があって、初めて作り上げられるものです。なにしろ、僕らの障害は、外から見えませんし、検査で見えてくる障害なんて氷山の一角ですから。 ということで、改めて、支援職の方々には、まず当事者の訴えを無視したり、徒労感に陥らせたりすることのない「安全な聞き手」であると同時に、当事者のありがたい代弁者であってほしいと思います。また、当事者はその支援職の「理解や代弁」を下支えできるよう、自らの不自由を冷静に観察し、振り返り、開示してほしいと思います。 今回、当事者の就労の場での不自由を聞き取っていくこのプロジェクトが、僕らからの多様な自己開示になること、当事者と支援職をつなぎ、僕らの生存戦略につながることを、切に望みます。引き続きのご支援ご協力をお願いいたします。