2021/01/30 13:00

またも応援メッセージをいただきましたン‼
ありがとうございます‼

僕は、彼を知ってから彼の音楽に出会ったのではなく、彼の音楽を知ってから彼に出会った。
本人に会う前に、手に入れた2枚のアルバムを車で何度も何度も繰り返し聴いた。曲を聴くごとに思い出す風景は違う。セカンドアルバム「LOVE」の10曲目にある「未来はあなたの手の中」を聴くと、風の強い日の雲雀野埠頭で当時彼女だった妻を待っていたあの時間が蘇る。楽団ひとりはもはや僕の人生に侵食している。
勝手なことを言わせてもらえば、短歌とラップはある意味でとても似ているように思う。作品中の主人公と作者がほとんどイコールで結ばれてしまう呪いとも言える部分が。
「レペゼン石巻」。彼は恐れることなくその手の中にあるマイクにぶつける。
これは同時に「あなたはなぜ石巻でラップをするのか?」という問いを生む。
「ただ俺が育った場所だから」。そうかもしれない。でも……。
「レペゼン石巻」。そう声高に叫ぶことは、決して簡単なことではないと思う。あの日以来、「石巻」という言葉に含まれるあまりにも複雑な意味。
「レペゼン石巻」。彼がそう口にするたび、この人はその覚悟を持ってマイクを握っているんだ、といつも思う。
2021年3月11日で、2011年3月11日から丸10年が経過する。その翌日、2021年3月12日に僕らはどんな気持ちになっているだろうか。
10年が経過した、その次の日。10年と1日目の夜。
彼は、楽団ひとりは、あまりにも大きく複雑な意味が含まれることを承知で、あえてその日を選んだ。
「レペゼン石巻」
彼にしか、石巻でしか、そして、その日、その夜にしか見ることのできないものがきっとある。
【近江瞬/歌人】


斜に構えているようで、けっこうお利口さん。 ひねくれている、いや、真正直で純粋だ。 例えば煙草をフゥと吐き出す仕草や、こちら側をじっ、と見つめる視線。 彼がつくり出すサウンドや、言葉選び。 どれも刺激的、 ただどこかに、可愛らしさ、切なさが見え隠れする 得も言われぬ心の疼きを、こちら側に伝えてくるのです。

存在が愛おしく、いつまでも見つめていたいと思う そんな魅力が彼にはある 楽団ひとりのやること、成すこと、応援しています。
【小田島万里/フォトグラファー】


10年目の石巻には、まだまだカルチャーが必要です。 2011年3月11日に未曾有の被害を受けて、その後、堤防・マンション・道路・橋・・・建築物の復旧はものすごい勢いで進みました。 10年経った今だからこそ、この街が箱だけの空っぽにならないように、コンテンツを生み出す人材が必要だと思っている。 酒場でふらっと出会って人生の話をして、そこにいつも音楽がある。 そんなカルチャーが無くなったら建物ばかりが立派でも空しい。 楽団くんはいつもそんな街の真ん中にいるので、このアルバムとリリースライブが持つ意味は石巻にとって大きいだろう。 楽団ひとりに清き1票を。 ただし、彼がこの街で「最後のラッパー」にはならないように祷を込めて(笑)
【渡邊享子/合同会社 巻組 代表】


今現在は、やぐちさんが組んでくれたセットリストと、ライブのロケーションルートマップを突き合わせながらイメージを膨らませています。歩きなれた道のりなのに、いつもと違ったフィルターが掛かって見えるようです。全ては流れ、どれ一つをとっても留め置けない。その渦中にいるんだな、と再度実感しています。石ノ森萬画館のある中瀬。そこにアクセスするための新しい橋を架ける工事。橋のたもとにあたる建物を解体しようと近づく重機。あの津波を生き残った数少ない建物なのに。見慣れた風景は徐々に変わりゆき、やがて思い出せなくなるのだろうと。震災遺構として残されることになった門脇小学校。窓枠には、クラスを示す「1-2」の張り紙。時間が止まった瞬間の境界線。こちら側は動き続けていると言うのに、だ。僕自身も取り返しのつかないことを重ね続けてきた10年。取り返してどうする。上書きするんだよ。でも、残しておきたいものもあるんです。結果としては残らないけれど。それが、僕の見慣れた街並であったり、ざわついた感情の断片である歌詞だったり。復興、という言葉、あまり好きじゃないんです。復び、興す。元に戻す。そうじゃないでしょ。もう一段階の、上書きの準備を。