はじめに・ご挨拶
定福寺は、高知県にある真言宗智山派の寺院で、724年の開基とされています。3年後に開基され1300年となります。定福寺のある豊永郷(大豊町)は、吉野川に面した急峻な山間地域にあります。
江戸時代の記録では豊永郷には9千人の人が住んでいたことがわかります。昭和30年代のピーク時には2万数千人の人口がありました。しかし、現在3千数百人の人口となっています。高知大学の元教授が豊永郷を調査している時に「限界集落」という言葉を使用し始めたようです。
定福寺に隣接する地に、NPO法人が運営する民俗資料館があります。昭和30年代頃、地域の人々の暮らしが変化をはじめたことに気づいた先々代住職が、地域で使用されていた茶釜を求めてきました。依頼、前住職と共に不要になった道具を300点ほど収集し、当時境内にあったユースホステルに展示いたしました。それを観たユースホステルを利用していた学生たちの協力により、周辺地域の民具を収集活動が始まりました。12,000点以上が収集され内2596点が、重要有形民俗文化財の指定を受けました。5年前までそれらを保存していた民俗資料館は、半透明の波トタンの屋根で直射日光が当たり、壁はベニヤ板の建造物でした。定福寺では、人口減少・高齢化が進む豊永郷の人々の生活を残し、活かすために活動をはじめました。途中NPO法人に引き継がれ、現在の豊永郷民俗資料館が再建されました。この活動を始めたきっかけは、定福寺を護って頂いた方々の文化を今度は、定福寺が働きかけをして残さなければならないと考えたからでした。この豊永郷民俗資料館がある場所が、教院のあった場所の片隅になります。 定福寺は、社会の変化に合わせつつ、徐々に元の姿を取り戻しています。真言宗は江戸時代まで世襲制ではなく、師弟関係により引き継がれてきました。定福寺の住職の多くは高知市内の五台山竹林寺から来ています。先々代が初めてお寺に生まれた子供でしたが、9歳から竹林寺で修行をし30歳過ぎに帰山いたしました。前住職は養子として寺に入り、私も養子として寺に入りました。定福寺は師弟関係の重要性を身をもってわかっています。先師の記録からわかるのは、お寺は「祈る場であり、学ぶ場であり、集う場である」ということです。定福寺境内には万葉植物園や宝物館があり、100本以上の紅葉や2500年前の地層から発見された大賀蓮が、高知県に始めた植えられた場所です。四季を通じて参拝の方や拝観の方々がお越し頂けています。定福寺では、現在進行している境内の整備と皆が利用でき、豊永郷の文化を伝える場として講堂建設計画の2つの事業を実施しようとしています。境内の整備は3年前から始まりました。
このプロジェクトで実現したいこと
目的は、境内の整備と駐車場の建設です。定福寺には、2年前まで5台ほど駐車できる駐車場がありましたが、老朽化により再建し多目的トイレも併設いたしました。それに伴い境内は、車いすやベビーカーで散策できるように、ユニバーサルデザイン化を進めています。境内の整備は、6割はできていますが肝心の本堂までのスロープをつける工事が残っています。スロープは、現在ある道を利用し、本堂前の石段からではなく、東側の道路から生活道を整備し、本堂の回廊までの道を作ります。
また大きな法要の際や団体参拝の方、ツアーの方、植物のシーズン中にお越しいただく方々には、駐車スペースがなく、ご不便をおかけいたしておりました。そのために大型駐車場の確保と整備を進めています。
大型駐車場は、毎日使用されることはないと考えられます。使用しない時に有効利用しようと考えています。かつて定福寺に剣道場があったように、子供たちがスポーツを楽しめるように運動施設の役割も併せ持つようにと考えています。豊永郷は急峻な山間地域であり平地がほとんどありません。また市街地と違い、子供たちは自分でスポーツの選択ができず、楽しむ機会もありませんでした。駐車場という平地ができるこの好機に、少しでもその機会を与えられればと考えています。私はサッカー指導のライセンスを取得しており、7年間高知市内の小学校のチームで指導を行っています。 それらもスポーツの指導に役立つと考えています。 しかし、これまで境内整備や駐車場の整備には、想定を上回る3千万円以上の費用がかかりました。今後の境内整備の計画を進めるためには、予算が不足し大変困難な状況になってしまいました。 境内のユニバーサルデザイン化と駐車場の建設と駐車場の有効利用にご協力をよろしくお願いいたします。
私たちの地域のご紹介
定福寺のある豊永郷(明治時代までの名称)は、長岡郡大豊町の東北部にあります。豊永村・大杉村など4村が昭和に合併し大豊町になりました。自然環境に恵まれており、豊永郷の中心地には、標高1400Ⅿの梶ヶ森があります。山頂からはは眺望があり、瀬戸内海や土佐湾が一望できます。また山荘梶ヶ森は、宿泊施設や研修施設もあり、天体望遠鏡が設置され天体観測ができます。山頂付近にはキャンプ場も併設されています。梶ヶ森の山頂付近から水が湧き出しており、名水になっています。豊永郷は急峻な山間地域にあるため、高度差による環境の違いにより生活圏の植物が異なっています。貴重な動植物の観測なども楽しめます。西峰地区の京柱峠は徳島県との県境にある峠で、国道439号の通る景観の美しい峠になっています。吉野川はラフティングやカヌーの日本三大名流に選ばれており、多くの人々や修学旅行生が訪れています。大杉地区の大杉は、屋久杉と並んで貴重な杉です。
文化面では、古い史料がいくつかあり記録もありますが、建造物としては、国宝薬師堂のある豊楽寺。豊楽寺には、国指定を受けている仏さまが数体安置されています。かつての旧立川番所であった立川番所書院は重要文化財の指定を受けています。登録有形文化財の指定を受けている定福寺本堂、定福寺持仏堂があります。定福寺には県指定をうけている本尊さまや仏さまが12体安置されています。定福寺に隣接する豊永郷民俗資料館には、豊永郷の人々が利用してきた山村の生活用具が収蔵展示されており、建造物と展示をあわせて2017年にグッドデザイン賞を受賞しています。
食堂などでは、インド人と日本人の夫婦が営むシャンティ―やなかとよ食堂などが豊永郷にあり、周辺ではトレッキングなどのコースも整備されています。
プロジェクトを立ち上げた背景
大豊町は2万人の人口から3千人台となり、過疎化が急激に進んでいます。また高齢化率も60%近くとなっています。このような状況から、ご法事などのお祈りの方法も変化してまいりました。かつては各家庭でご法事が行われ、その後で精進落としが行われ、皿鉢料理などで親類やご近所の方々とお食事をすることがほとんどでした。しかし、子供たちは山を下り市街地で仕事をしている状態となり、残された老夫婦ではそれらの準備ができないことから、お寺を利用してのご法事と精進落としが多くなりました。また、有形・無形文化財が多く残る豊永郷には、観光客が増加し、自然環境を活かしたラフティングや登山やトレッキングを楽しむ人々も訪れ、関西圏からの修学旅行も非常に多くなっています。これまでと違った形で豊永郷や定福寺を訪れる老若男女が多くなりました。一方でこれまで定福寺は、お手洗いは水洗化されておらず、多目的トイレもなく(最寄りの多目的トイレまでは車で20分)、訪れ辛い環境がありました。多くの方が訪れて頂いても駐車場は5台しか止められず、狭い道でのすれ違いが大変な紅葉や蓮のシーズンには、平時には3分で降りることができる道が20分以上かかり、近隣住民にも多大なるご迷惑をおかけいたしておりました。そのような状態の解消と利用しやす寺院である必要があると考えていました。
豊永郷のある大豊町は国道32号線が横断する町ですが、大豊町の端から端まで移動すると車では1時間以上かかります。統廃合の結果、小学校と中学校が1校ずつしかありません。遠くの生徒はスクールバスで片道30分かけて通います。よって放課後の遊びや部活が十分にできる環境にはありません。また高知市内まで高速道路を使い40分かかるため、時間と費用の問題でスポーツや習い事などは、できる環境もありません。定福寺まではスクールバスで30分かかります。2020年に小学校を卒業した生徒は8人でした。このような環境にありながらも、スポーツの得意な子も多くいます。平地の少ない場所で、なんとか体が動かす場所と方法を子供たちに与えたと考えていました。
このような整備を始めた最初のきっかけは、地域に住む現在93歳のお婆さんの一言でした。毎月2回、そしてお寺の行事の時など年数回は必ずお越しになるお婆さんが、「本堂の階段が登れなくなり、この前は怖くて後ろ向きに降りてきました」とおっしゃられました。また、その数年後、脳卒中により体に障害を持った方が、いつも定福寺に参拝に行きたいと、家でグーグルマップを見ていたそうです。ある時豊永郷民俗資料館の建築に伴い、階段を昇り降りする距離が短くなったことを確認し、その後訪れて頂きました。それでも階段があるため、私もいっしょにお手伝いをさせて頂きお参りいただきました。その後、別の方はご法事で、車いすでお越しになられました。階段は子供や孫たちが抱えてくれるということで、お越しになられましたが、車いすで入れるトイレがありませんでした。ご法事の前にトイレに行きたいとおっしゃられ、結局、車で片道20分往復させてしまうこととなりました。
お寺はお越しになれる人が来る場所ではなく、お越しになりたい方が誰でも、お越し頂ける場所でないといけないと考えました。そのようなことをきっかけに、考えていました。そのために住職となって最初に取り掛かったことが境内の整備でした。
これまでの活動
私が住職となり、最初に取り掛かったのは、駐車場の場所の確保と老朽化した駐車場の再建でした。駐車場の場所の確保は、話し合いを含め3年かかりました。その間に老朽化した駐車場の再建を試みました。いくつかの会社から相見積もりを頂き、進めましたが2千万円必要でした。
また参道の整備やそれに伴う池の整備費用に400万円が必要でした。駐車場の土地の取得や事務手続きなどの諸経費で250万円となりました。
資金の使い道・実施スケジュール
現在、境内の整備は進んでいます。ご支援いただいたお金は、すべて境内の整備費用に使用させていただきます。
2021年3月上旬 クラウドファンディング終了
2021年3月上旬 HP開設
2021年4月下旬 完成予定
2021年5月初旬 リターン発送
<本堂までのスロープ>
・スロープ工事、石畳(3千円/1枚)、本堂回廊までの架け橋 200万円
<駐車場整備>約300㎡
・石段 400万円
・駐車場整地(1万円/1㎡)、防球ネット、支柱 400万円
*費用が達すれば、駐車場を人工芝にしたいと考えています。(2万円/18㎡)
リターンのご紹介
散華
散華は、日本では尊い存在の神や仏などをお招きする際に、花を撒く儀式です。その時に使用される花を定福寺で作りました。京都の仏像修復などを行う美術院の仏師であり、定福寺の娘である高田明に定福寺に関する絵を描き、長老がその裏に言葉を認めています。
お線香
京都に本社のある松栄堂さんに定福寺のお香を作って頂きました。文字は先々代義光師のものです。
木札
木札は、境内や持仏堂に掲示させていただき、3年後に講堂が完成した時は、そちらに掲示させていただきます。
石柱
御寄進をされたお名前と住所を石柱に記載し、境内に建立させていただきます。
最後に
定福寺のある豊永郷(大豊町)は、山奥にあり人口減少高齢化の進む地域ですが、自然や文化を楽しめる地域です。山奥のお寺の在り方を考えた時、先人たちが行ってきた行動や記録されているものからわかるのは、お寺は「祈る場であり、学ぶ場であり、集う場である」ということです。多くの方の声に耳を傾け、今後のお寺を考えた結果、現在進めている境内整備と駐車場の建設、みんなが集える場所の建築などの計画に行きつきました。その中で今回、皆様にご助力を賜り、境内整備と駐車場の建設を行いたいと思います。
僧侶は法(仏教の教え)によって師弟で引き継がれていますが、これまでもこれからも僧侶だけでは、定福寺は成り立ちません。多くの支えがあり、それらに感謝し、また定福寺ができることを皆様にさせて頂くことで、1300年間あり続けました。文化は人や物や思想が行きかう中で、その地域に合ったものが根付き、しかも変化させながら現在までつながってきています。伝統文化も常に変化をしています。一方で変化させてはいけない大事なものもあります。それらを各時代の僧侶は、判断しながら生活されていたことは、先師たちの記録からもわかります。皆様のご助力により、定福寺がどなたにでもお越しいただける、また子供たちに希望を与えられるような場にしていきたいと思います。何卒、ご協力のほどよろしくお願いいたします。
本プロジェクトはAll-in方式で実施します。
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