この裁判はJASRACの不透明な分配方法に対して行われたものではない。
「こんなやり方じゃ正しく著作権者に分配されないではないか!!」
と声を上げたら、「ライブハウスの経営者」として訴えられたのである。
ではそもそもJASRACはどうしてライブハウスの経営者を訴えるのか?
それは「カラオケ法理」と呼ばれている法律的な解釈により、「カラオケは客ではなく店が歌っている」という考えによるもので、カラオケ店から著作権料を徴収する方法として苦肉の策として考えられた法解釈である。
デジタル時代の昨今においてもこの考えはまかり通っていて、それに対しては問題視する声を上げる著作権学者は少なくない。
逆に言えばJASRACにとってこんな便利な法解釈はない。
カラオケ屋からもライブハウスからも、店から毎月決まった額を徴収していればよいし、そのような「包括契約」を結んでしまえば、もう他の著作権業者がこの「演奏権」という分野に新たに参入出来る余地はなくなる。
ライブハウスからすればもう「みかじめ」のようなお金は毎月払っているのだ。どうしてまた新たな業者に毎月いくらか払わねばならない!? じゃあその新しい業者の曲はもううちでは演奏させない!! となるのは当然である。
放送業界では同じようなことが起こって、JASRACは最高裁で敗訴している。
それでも「演奏権」という分野ではまだまだJASRACの独占状態で、今のうちになるだけ「囲い込み」をしときたいという考えもあるのだろう。この「カラオケ法理」というもの解釈をJASRACはどんどん広げてゆく・・・
そして今回のこの裁判の判決である。
それに関してはいろんな著名な著作権学者が法律会で意見を出されているが、特に東洋大学法学部の安藤和宏教授は最高裁に対してこのような意見を書いて下さった。
【判例評釈】
飲食を提供するライブハウスにおいて演奏者が主催するライブ演奏の主体はライブハウスの経営者であるとして演奏権侵害が肯定された事例
知財高判平成28年10月19日(平成28年(ネ)10041号)Live Bar事件
東洋大学 法学部 安藤和宏
この先生が危惧してらっしゃるように、これがまかり通れば、「レンタル・スタジオ、リハーサル・スタジオ、レコーディング・スタジオや、楽器が設置されている公民館、市民センター、市民集会所、あるいはマンシ ョン等が提供している楽器設置型の共有スペース等の経営者にとっても演奏主体性が認められる可能性がある」・・・つまりJASRACは今後、音楽教室に続いて練習スタジオや公民館にも「売上の何パーセントよこせ」などという主張をして来る可能性があるということである。
私は、市民センターで音楽を演奏して金銭をもらうこともある。たとえばとある企業のイベントに出演してギャラをもらってドラムを叩いた。
毎年夏に開催している「日中友好こども(大人も可)サマードラムスクール」は、今年は合宿出来る貸しスタジオで行われる。
このスタジオではウェブサイトで「日頃お世話になっているファンをつれて一緒にリハツアー!最終日は80畳で打ち上げスタジオライブ!」といった使用を歓迎しているが、料金を取ればそれは立派な商業活動である。
JASRACはコンサートホールでは演奏の主体を「出演者」ということにしていて、ライブハウスでは全く逆である「小屋の経営者」としている。
ライブハウスとコンサートホールのはっきりとした線引きはない。
コンサートホールより大きなライブハウスもあるし、飲食を出すコンサートホールだってある。
JASRACがライブハウスだと思えばライブハウス。そこで演奏するなら経営者が金払え!!
(後の項で触れるが、JASRACは「出演者からの使用許諾は認めない」とこの裁判でも明言していたが、これは実は重大なる違法行為である)
まあJASRACにしてみたらとにかく何でもかんでもライブハウスと同じように扱ってしまえば確実に毎月決まった「上がり」が来るし、そこにはもう他の著作権業者は入れないし万々歳なのである。
この判決が確定したことをいいことに、音楽教室の次には楽器さえ設置しれいれば市民センターや貸しスタジオの経営者などを訴えて来る可能性もあるということだ。
「テロ等準備罪」ならぬ「演奏準備罪」のようなものである。
日本の音楽が危ない!!
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