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【二度目のお願い】ライブハウス青森Quarter存続維持プロジェクト

皆様のお陰でなんとかこれまで営業を続けることができましたが、コロナ禍が想像以上に長引き、資金繰りの限界を間も無く迎えます。青森のために、なんとしてもこのライブハウスを存続させたく、覚悟を持って二度目のクラウドファンディングを実施いたします。何卒、よろしくお願いいたします。

現在の支援総額

9,163,000

114%

目標金額は8,000,000円

支援者数

1,364

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2022/03/26に募集を開始し、 1,364人の支援により 9,163,000円の資金を集め、 2022/04/30に募集を終了しました

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【二度目のお願い】ライブハウス青森Quarter存続維持プロジェクト

現在の支援総額

9,163,000

114%達成

終了

目標金額8,000,000

支援者数1,364

このプロジェクトは、2022/03/26に募集を開始し、 1,364人の支援により 9,163,000円の資金を集め、 2022/04/30に募集を終了しました

皆様のお陰でなんとかこれまで営業を続けることができましたが、コロナ禍が想像以上に長引き、資金繰りの限界を間も無く迎えます。青森のために、なんとしてもこのライブハウスを存続させたく、覚悟を持って二度目のクラウドファンディングを実施いたします。何卒、よろしくお願いいたします。

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目標金額達成いたしました。
皆様のご支援・ご協力、心より感謝申し上げます。

引き続き、4/30まで何卒よろしくお願いいたします。

ご挨拶

日頃よりライブハウス青森Quarterをご愛顧いただき、誠にありがとうございます。

前回のプロジェクトでご支援いただいた皆様、本当にありがとうございました。
有志の皆様がプロジェクトを立案してくださり、そこに集まった沢山のご支援により、この二年間、経営を続けることができました。心より感謝いたします。

コロナウイルスが蔓延して以降、ライブイベントは思うように開催できず、開催できたとしても入場者数などの制限も多く、厳しい日々が続いております。

そして昨年末、徐々に感染者数も減少傾向になり「そろそろ以前のようにライブイベントが戻ってくるだろう」と希望を持っていたところに、今年に入ってからのオミクロン株が蔓延し、特に青森は感染者数が多く、またしても先の見えない状況になってしまいました。

日頃お世話になっている地元の出演者の皆様の中には、会社や学校からの制限により、出演やイベントの開催を自粛された方も多く、また来場される方の中にも外出を控えざるを得ない方も多数おります。

そして、まだ情報公開されていないライブイベントなども、予定の組み直しや、キャンセルが出ている状況です。

皆様のご支援や、銀行の融資でなんとか二年間繋いできましたが、それも間もなく限界を迎えます。

「このライブハウスが無くなってしまえば、ツアーバンドの日程から青森が無くなり、誰も来なくなってしまう」

私の生まれ育った青森の為に、店舗存続をかけ二度目のクラウドファンディングに望みを繋ぐことといたしました。

皆様も大変な状況の中、本当に心苦しいお願いではありますが、
何卒ご支援・ご協力の程、よろしくお願いいたします。

株式会社ケイ・フラクション(ライブハウス青森クオーター)代表取締役 小林孝典

これまでの活動

1970年後半 飲食店「1/3」(さんぶんのいち)をオープン。

1985年 ライブスペースを兼ねた飲食店「FREE LIVE SPACE 1/3」 として古川に移転。

FREE LIVE SPACE 1/3 

1991年 ライブスペースを分離し、「LIVEHOUSE Quarter」を安方に開店。

1994年 道路拡張のため「LIVEHOUSE Quarter」を休業。

2000年 現住所に1F「LIVEHOUSE Quarter」 2F「Bar space1/3」を開店。

1F「LIVEHOUSE Quarter」 2F「Bar space1/3」 

80年代には「シーナ&ザ・ロケッツ」のこけら落とし公演を皮切りに「THE BLUE HEARTS」「ユニコーン」「X」「聖飢魔II」など、多くの著名ミュージシャンの方々にツアーで来ていただき、2000年、QUARTERの再オープンに際しては「↑THE HIGH-LOWS↓」のこけら落とし公演2daysを皮切りに現在に至るまで、数多くのミュージシャンの方々に出演していただきました。

80年代、東北にライブハウスが珍しかった時代から、
本州最北端の青森で、苦しいながらもこれまで頑張ってきました。

資金の使い道

経営維持のための諸経費:約660万円
CAMPFIREの決済手数料:約140万円
リターンの制作、配送料:約100万円

実施スケジュール

支援受付開始 : 2022年3月26日(土)18:00
支援受付締切 : 2022年4月30日(土)23:59

リターン履行 :郵送、店頭受取共に2022年8月1日より

応援メッセージ(敬称略)

宮田和弥 ( JUN SKY WALKER(S) )

ジュンスカとして青森で初めて行ったステージに立ったのが『1/3』あれから35年が経とうとしている!

その後、お店も僕自身も形体を変えながら『LIVEHOUSE Quarter』『Bar space1/3』と出演させて頂く中で数々の思い出をプレゼントして貰ってきた。

そのプレゼントは今でも僕の歌う原動力となっています。またQuarterのステージで歌いたい。青森の音楽を愛する人達全ての気持ちが、全国の音楽そしてライブを愛する人達と繋がり続いて行きますように! 

JUN SKY WALKER(S) 宮田和弥

綾小路 翔(氣志團)

俺たちの青森の実家、クォーターが存続の危機を迎えている。

ありえない。

クォーターがなくなったら困る。超困る。

みんな、どうか力を貸して下さい。

お願い。お願いーっ!

もちろん俺も全力で協力します。

本州最北端の音楽シーンを支え続けてくれたクォーター。

ここで恩返ししなくちゃ嘘だぜ。

世話になったすべてのライブバンドたちよ、すべてのライブキッズたちよ。

みんなでまたクォーターに集まろう。

ご支援のほど、何卒夜露死苦機械犬(よろしくメガドッグ)!!

 

氣志團 綾小路 翔

 

P.S.次回氣志團がクォーターでGIGやる暁には必ずスペシャルな事します!マジ約束!(アンコール200曲演るとか、どえらいゲスト連れてくとか、そのまま打ち上げやるとか、なんなら脱ぐとか!ちょっと面白いこと考えとくから!) だもんで、本当にみんな、何卒お願いします!₍₍☝️( ˊᵕˋ)ナニトゾ~⤴︎


秋田ひろむ(amazarashi)

僕のライブハウスデビューは中学生のとき、THE DEAD POP STARSを観たQuarterでした。

高校生のとき、先輩のライブに誘ってもらったり、バンドコンテストに参加したりしてステージに立たせて貰いました。

amazarashiを結成してからも、沢山ライブをやらせてもらいました。amazarashi初めての企画ライブもQuarterでした。

音楽の楽しいところも、シビアなところも沢山学びました。

今、僕が胸を張って「青森のミュージシャンである」と誇りに思えるのは間違いなくQuarterのお陰です。


青森の音楽を愛する人、音楽を志す人たちにとってQuarterは必要な場所です。絶対になくしては駄目です。

僕も微力ながら支援させていただきます。皆さんも一緒にどうかよろしくお願いします。

amazarashi 秋田ひろむ


ユニコーン

やっぱ青森さ行ったらー「あさ〇」で1辛のラーメンで気合入れーの、

「QUARTER」で唇腫らしながらLIVEをするってーのが文化ってもんでしょー。

ねー?どお?


BUCK-TICK櫻井敦司(BUCK-TICK )

約35年前、初めての青森のライブハウスが「1/3」でした。

数える程のお客さんでしたが、遠く離れた見知らぬ街で

待っていてくれる人が居ると思うと、

とても感動したのを今でも覚えています。

そしてシャイにも程があるほどの男前のマスターと美人の奥様、

とても居心地のいい場所だと感じました。

またマスターの店でLIVEが出来るよう、私たちも音楽をやり続けます。

その時はまた朝までお酒飲ませて下さい。

んー、朝まではもう無理かな?

若かりし頃のアルバムの写真を酒の肴に、

マスターの笑顔を酒の肴に、一杯やりましょう。

そう‥ そのためにもみなさん!

まずはグッズ買って下さい。よろしくお願い致します。

櫻井敦司(BUCK-TICK )


今井寿 (BUCK-TICK)

何度かライブをやったこともあり、

ライブをしてなくても飲みに行ったり。

楽しい思い出の・・・

というか、♪音楽発信の場所‼️

なくちゃいけないライブハウス♪

どうか、続いていけますように🤲🏻

頑張ろう👊🏻オレたちは強い🌈

今井寿 (BUCK-TICK)


星野英彦(BUCK-TICK)

青森といえば1/3

30年以上も前、ボロっぼろのハイエース(バクチク号)で東北を回り、

初めて青森に行った時もお客さん、そしてマスターやスタッフの皆さんに

温かく受け入れてもらいました。

最近LIVEは出来てませんが、約4年前、打ち上げで行ったBar space1/3でマスターが

持ってきた当時の写真や色紙を見ながら昔話しに花を咲かせ飲ませて頂きました。

そんな青森のライブハウスには欠かせないQuarter(1/3)を守りましょう。

BUCK-TICKも応援しています!

皆さんも応援して下さい!

星野英彦(BUCK-TICK)


樋口 豊(BUCK-TICK)

1987年にメジャーデビューしての初のツアーが東北でした。

そのツアーで初めて青森「FREE LIVE SPASE1/3」でLIVEをさせてもらったことが、

BUCK-TICKの青森でのスタートでした。

当時東北でのロックの盛り上がりは、全国の中でも凄かったですが、その原点はライブハウスだったと思います。

青森の大切なロックの火を消さないよう、ぼくも全力で青森Quarterをみなさんと一緒に応援したいと思います。

樋口 豊(BUCK-TICK)


ヤガミ・トール(BUCK-TICK)

BUCK-TICKもデビュー当時お世話に、なったライブハウスです。

青森の音楽発信の大事な場所です。コロナ禍の影響で経営が危機的状況です。

将来の音楽発展の危機です。皆さん応援して下さい。

宜しくお願い致します。

ヤガミ・トール(BUCK-TICK)


川上つよし(東京スカパラダイスオーケストラ)


三十数年前のデビュー以来、3~4年に一度位のペースで演らさせて頂いており、数々の思い出があります。中でも、2014年のデビュー25周年ツアーでの本番当日、羽田から飛び立った飛行機が大雪のため途中で引き返すというアクシデントがあり、急遽、新幹線で向かった時の事は忘れられない思い出です。当初の開場時間をとっくに過ぎ、すっかり暗くなった頃に何とか到着したのですが、ぼおっと灯る入口の明かりの前で、大雪の中を大勢のお客さんが文句も言わずに大人しく並んで待っていてくれた光景は今でも忘れる事が出来ません。決して大きい光では無いかもしれませんが、青森に音楽の力が信じられる小さな灯を灯し続けていけたら、と切に願います。
 

川上つよし(東京スカパラダイスオーケストラ)


古坂大魔王 

近くにある別世界。青森クォーターはまさにそこだった。

テレビや雑誌などでしか目にしない耳にしない、一流のミュージシャンたちが集い、ライブをする。

見にいけなくてもクォーターの前に貼ってあるポスターに心躍った。

小さい。確かに大きくはない。しかしながらそこに来るアーティストは大きい。本当に一流のアーティスト達が歌を紡いだ。

終わらせてはいけない。僕らも何度もライブをした青森随一の「歌い場」。

そこはただの「場所」ではなく。そこには、そこで踊り歌い泣き笑い…たくさんの感動と感情が産まれた「そこ」なのだ。

遠く東京に住んで間もなく30年。

青森クォーターは、永遠であり…なくてはならないと思います。

古坂大魔王


上中丈弥 (THEイナズマ戦隊)

縁もゆかりも無かった青森の街と我々をRAB青森放送が繋いで下さって

縁もゆかりも無かった青森の熱いお客さんと我々を繋いで下さったのが青森のライブハウスQuarter

もう切れない縁となりました。

死ぬまで通い続けたいライブハウスがあるってのはバンドマンにとって生きるチカラとなります。

またあのステージで四十路バンドマンの熱いメッセージ届けさせて下さい!!

ツアーでまた響かせに行くよー!!

頑張ろう青森Quarter!!

上中丈弥 (THEイナズマ戦隊)


RINGOMUSUME


RINGOMUSUMEだけでなく、妹ユニットのアルプスおとめやライスボールもお世話になり、たくさんの思い出が詰まったクォーター。

コロナ禍になっても、オンラインライブで私たちとファンの皆さんを繋ぐ発信地として温かく受け入れてくださり、そしていつも変わらないスタッフさんの笑顔がそこにありました。

私たち現体制のRINGOMUSUMEは2022年3月を以って卒業になりますが、100年続くグループを目指して、4月以降もRINGOMUSUME、そしてリンゴミュージックは走り続けます。共に青森のエンターテイメントを盛り上げるために、今こそ手を取り合い、また新しい春を迎えていきましょう。

これからも大好きなクォーターが、私たちと共にありますように。

皆さんのご支援をよろしくお願いします。

RINGOMUSUME(とき・王林・ジョナゴールド・彩香)より


ARAKI

もう最近では青森の実家へ帰省する回数より青森クォーターへ行く回数のほうが増えてきました。

自分は青森市内の出身ではないですが、故郷なことは変わりありません。

たくさんの仲間達とまた故郷で笑顔になれるように、これからも応援していきます!

皆様もご協力いただければ幸いです。


水戸華之介(水戸華之介&3-10Chain)

初めての出演はもう三十数年前になります。

今とは違う場所、違う建物だけど。

対バンはレピッシュで、当時ならではの限界を超えた超々満員でした。

とにかく楽屋が狭かったので、自分の出番を終えると汗だくのまま近くの健康ランドへピストン。

ひとっ風呂浴びて出ようとするとロッカーに靴がない。

受付のおじさんに相談すると「これでしょう」と自信満々に出してきたのがなぜか野球のスパイク。

面白かったからとりあえず「それです」と受け取ってみました。

しかし普段履きとしては最悪です。

3歩で嫌になりました。

スパイクとアスファルトがぶつかり合う、かちゃかちゃいう不快な音。

あれこそがクォーターとの始まりの記憶です。

(ちなみにスパイクはちゃんと返却しました)

アンジー、エレカマニア、3-10chain、ウタノコリ、数々のワラッターのイベント。

あらゆる人生の章でお世話になってきました。

これだけ長く存続して、歴史を紡ぎ続けているライブハウスって、実は全国でも片手に足りるくらいしか有りません。

バンドブームどころかインディーズブームのさらに前。

ロックが本当に儲からなかった頃。

炊飯器を持ってツアーをするバンドも珍しくありませんでした。

楽屋で白飯だけを食べようとするのを見かねて、目玉焼きを作ってあげたら泣くほど喜ばれたという経歴を持つタカさん。

そんな日本ロックの黎明期からを知るライブハウスは財産です。

歴史というのは閉じたらそこでおしまい。

無くなったら寂しいという感傷だけでなく、その希少な文化的価値を思います。

存続のための協力を惜しみません。


MAGUMI(レピッシュ)

私達がデビューする前の35年前まで東北はROCK不毛の地と呼ばれてました。

 その中で放送局・イベンター・レコード会社の協力と世の中の流れなどもありバンドも細かく東北を周れるようになり徐々に変わっていったのです。

 その当時から青森の現場で頑張っていたライブハウスが1/3です。初めて行ったとこなのに最初からぱんぱんの満員でした。

何かわからないけど青森ってすげーなと当時思ったものです。当然オーディエンスもねぶたの熱をそのまま移したように勢いのあるものでした。それからも強力なフォロワーとして残ってくれたので青森はツアーから外せない地となったのです。

 それから1/3は狭かった為に移転してクォーターになりそこも立ち退きで現在のクォーターになり2階がBarの1/3となりました。

 これだけ長い時間行ってるので思い出がありすぎて困るぐらいですがまあ酷い話ばかりでしょう。

お洒落なテラスに雪が積もってるのでその上の階から飛び降りて雪を固めてみたり

当然、毎回の朝までのアホな飲み会にも付き合っていただきました。

 そのクォーターが今回の続く自粛営業でピンチな状況になってます。

ライブハウスは文化です。音響も照明もちゃんとしたライブハウスを地方に作ることは大変です。

皆んなで守らなければこの先、会館でやれるような大きなアーティストでなければ青森にいけないでしょう。

また地元で活動する人達もこれからやりたい人達も場所を奪われるでしょう。どうぞクォーターを守ってください。

 それとオーナーの小林さんにダーツでボコボコにされたままなのでこのままじゃ引き下がれん。


杉本恭一

1987年に 初めて当時の1/3でレピッシュのライブを演って以来

現在のQuarterまで、かれこれ35年

このコロナ禍になってからの2年を除けば

毎年ライブで世話になっている。

自分のやってきた数々のバンドもユニットもソロも

全てQuarterでライブを演った。

流石にそんなライブハウスは全国でQuarterだけやな。


縁あって青森と深〜く付き合わせてもらってる中で

俺にとって青森での居場所はQuarterだ。

現在のQuarterの自社ビルが出来た時

まるで自分家がでっかく綺麗になったみたいに嬉しかった


ライブでも打ち上げでも散々ひどい事をして迷惑をかけまくってきた。

特に酷かったのは、大雪が積もったテラスに大興奮して

雪でこたつを作ってそこで酒を飲み

さらに楽しくなって高いところに登ってテラスの雪にダイビングを繰り返して遊んだ事だ

雪かきの大変さを知らず、その詰まって固くなった雪の処理は相当大変だったと聞いた。

それから数年口を聞いてもらえなくなるのだが


それでも毎年Quarterに行ったし

Quarterは俺を出してくれた。

だからこれからもQuarterに行くし

もちろん今年も行きます。

頑張れ!Quarter!!!


佐藤竹善 (Sing Like Talking)

「もはや何かしらから試されてるとしか思えない、この長期化したコロナ禍ですが、

それならばしっかり受けて立ち続けましょう!ということで、青森から音楽の火種を消さぬためにも、

ぜひ、みなさんのお力をお貸しください。

どんなビッグアーティストも、ほとんどはライブハウスという成長の火床から芽吹きます。

これからもたくさんのアーティストが青森に愛着を感じ続けてもらうためには、大きなホールよりも

苦楽を分かち合ったライブハウスあってこそなのです。」


人間椅子

ーーーーー

青森Quarterが大ピンチと聞きました。我々人間椅子のルーツは青森県にあります。敬意を表して津軽弁を取り入れたり、津軽民謡のオマージュを行なったり、県内でのライブともなれば特別の高揚感を伴って演奏してきたものです。目にされた方なら、きっとうなずいていただけることと思います。

そんな我々の心のよりどころ、青森県のライブハウスQuarterが危ない!いろいろと思い出します。スタッフのSさんとの尽きることのないエフェクター談義、ライブが終わればニ階でよく打ち上げをしたものです。Kさんがわざわざ高級な肉を提供してくださったり、ある時に食べた筋子は美味しかったなあ…。

Quarterの灯を消してはなりません。僕はまた打ち上げで筋子が食べたいんです。皆さん、何卒ご協力をよろしくお願いします。いろいろとナイスな返礼品があるみたいです。僕もあのTシャツがほしい!これからもQuarterが続いていくことを、切に願ってやみません。

和嶋慎治(G/Vo)

ーーーーー

青森にちなんだ曲が多い人間椅子にとって、Quarterは大事な場所です。津軽弁の歌詞や津軽三味線ギターを地元で披露するのは格別な楽しみだからです。MCを全て津軽弁で語ることができるので、嬉しくてついつい喋り過ぎてしまいます。そんな老舗ライブハウス、青森Quarterが存続の危機に瀕しているそうです。ほんの少しでいいので、皆さんのお力添えをよろしくお願いいたします。

鈴木研一(B/Vo)

ーーーーー

青森Quarterは、人間椅子にとっても、僕個人にとっても、大切で、大好きで、思い入れの深い場所です!!初めて出演したのは、Quarterの前身の「フリーライブスペース1/3」で、確か1989年11月、GENというバンドのツアーでした。もう33年前!それ以前から青森のライブハウスといえば「1/3」、今も青森といえば「Quarter」!はっきり言って超老舗です!絶対に失ってはいけない!バンドマン、見にいらっしゃるお客さん、皆の宝だと思います!Quarterに力を貸してください!そして、またいつものようにQuarterで会いましょう!よろしくお願いします!

ナカジマノブ(Dr/Vo)


青森放送  橋本康成

80年代中盤以降、若いミュージシャンが続々世に出てきた。

それはあの「イカ天」のちょっと前、そんな人たちを登場させる在京放送局はなく彼らの主戦場はライブハウスや地方局のラジオだった。

それをロックと呼ぼうがポップスと呼ぼうが、この時期登場した音楽は既成楽曲にない新しさに溢れていた。それが80年代後半の青森の若者たちに火をつけたのだと思う。

中央の文化や流行に憧れてそれをけっこうな時差でようやく受け取ってきたそれまでの世代とは違い、まだ売れる前のニューカマーをいち早く、リアルタイムですぐそばで見られるようになった。そんな人々の音楽の新鮮さに惹かれ、自分のラジオ番組に登場してもらうようになる。それと連動してもらったのがQuarterだ。(当時はFREE LIVE SPACE 3分の1)

最初は深夜に放送したストリートスライダーズの特番用インタビューで場所を借りた。

バービーボーイズがRAB初のスタジオLIVEを契機に青森で爆発的人気を獲得したあと、自分は「なんだわけ天国」というテレビの音楽番組を持つとその勢いはぐんと増していく。

彼らはテレビ出演したら、後日3分の1にやって来るのである。

TMネットワークだってライブしてるし、インディーズ時代のブルーハーツ!

床がホントに抜けそうになったレピッシュ、アンジーetc.

多くのミュージシャンの駆け出しの頃、ここに登場している。

青森を訪れるたびに成長していく彼らの物語を自分の事のように体験できる場所なのだった。全国のローカルでもその火の点き方は一番早かったんじゃないだろうか?

1987-1989年の3年に渡って青森で開催されたロックフェス「青森ロックシティカーニバル」はここでライブをした人たちと青森のファンが作り上げた結果だった。

その後全国にQuarterの名前が知られるようになると、数多くの大物たちもこのステージに上がるようになる。(関係ないけど、後の時代に岡村靖幸が急遽やったシークレットライブは当日決定・告知にも関わらず満杯にした。そんなムチャな事にも対応してくれた。)

そして時は移り、若い頃ここに通った自分が子どもを連れてライブに足を運ぶなんて30年以上前、青森で誰が想像したろうか?

基本、何かのジャンルに偏らない何でもありのステージはそんな「青森」を一手に引き受けてきた。(望んだかどうか知らないが)

あの時代以前にどんなに渇望しても叶わずにいた、音楽・エンターテイメント体験を日常的なものにしたのは間違いなくQuarterだ。

ホールでは味わえない人間っぽい息遣いはライブハウスの誇る財産だ。

そんな場所が無くなるようなことがあってはならない。

そして大好物ジャーマンポテトの店としても無くしてはならない。


最後に個人的な思い出を。

ラジオ「金曜ワラッター!」ラストイベントの打ち上げでいつまでも別れを惜しみながら飲み続けていたが、朝10時になっても帰らずにいたMAGUMIが突如ステージ上のドラムを叩き始め、九州の「葉隠れうどん」のCM「うっどーん! 拙者、葉隠れの天ぷらうっどーん!」といつまでもいつまでも絶叫し、我々は転げまわって笑っていた。

それでも孝さんは決して「帰れ」と言わず、いつまでも好きにさせていた。

別の年、冬の寒い夜、2Fの窓からテラスを眺めていた際、屋根から上田現が降ってきた時も。


本当にごめんなさい。

青森放送  橋本康成

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<All-in方式>
本プロジェクトはAll-in方式で実施します。
目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。

最新の活動報告

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  • CF残り3日となりました。目標金額を達成して以降も沢山のご支援、ご協力、本当にありがとうございます。明日、皆様のご協力に感謝を込めて地元のバンドマンの皆様がイベントを開催いたします。入場無料ですので、ぜひご来場ください。何卒よろしくお願いいたします。 もっと見る

  • 皆様大変お世話になっております。本日4/27、目標金額を達成いたしました。沢山のご支援、ご協力、本当にありがとうございました。 残り4日、4月30日の終了まで、何卒よろしくお願いいたします。 もっと見る

  • CF残り7日となりました。沢山のご支援ご協力、心より感謝いたします。4月29日(金)、地元の皆様が支援企画を開催してくださる運びとなりました。入場無料、配信もございます。皆様のご来場お待ちしております。2022.4.29「WE LOVE QUARTER」 OPEN / START 18:00 / 18:30 PRICE 無料(ドリンク代別¥600) ACT : ぴんから / 毒魔 / 鉄満堂ズ / 鋼鉄節 / HOT ROD CADILLAC ※入場無料(要予約・整理券)※配信はこちらhttps://youtube.com/channel/UC50aXHe_3WywiyThPWABWKQ もっと見る

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