障がいがあると、多くの人が当たり前にできていることができない、勘違いされる、理解されず困ったり、つらい思いをしたりすることがあります。
これは、私たちの暮らす社会が、障がいのある方や高齢者、外国の方など多様な人々がいることを考慮せず、多数を占める人たちの事情に合わせて作られた社会になっているからです。
身近なことで言えば、駅の改札の多くが右利き用になっているので、左利きの人には使いにくいものとなっています。
障がいを考える上で、『医学モデル』と『社会モデル』と言う考え方があります。
『医学モデル』とは障がいがある方々が感じる社会的不利はその疾患などからくる『個人』の問題や責任と考え、疾患など身体へのアプローチを主とした考え方です。
『社会モデル』とは、「障がい」は社会(モノ、環境、人的環境等)と個人の心身機能の障害とがあいまってつくりだされているものであり、その障壁を取り除くのは社会の責務であるとし、社会全体の問題として捉えるという考え方です。
例えば車椅子の方が駅の2階に行くのに、その環境に階段しかなければ、車椅子の方は1人で2階に上がることは難しく障がい(障壁)となります。
しかしこの駅にエレベーターがあれば、その車椅子の方は自分で2階に上がることができるます。
そう考えると障がいとは車椅子である『個人』の問題なのでしょうか?
歩ける人でも2階に行くのに、階段もエレベーターもないただの高い壁であれば、2階に上がれず障がいとなります。『飛べないあなたが悪いのよ』と言われるのも違いますよね。
Warm Blue Kurumeでは、まず自閉症を知ってもらい『心のバリア(障壁)』をなくす第一歩となることを願っています。
※『社会モデル』は、2006 年(平成 18 年)に国際連合で採択された「障害者権利条約」において 考え方が示されており、2011 年(平成 23 年)に改正された「障害者基本法」においても、この 考え方が採用されているなど、「障がい」の概念は『医学モデル』から『社会モデル』へと変化しています。